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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
薤露行

ウィキペディアに「薤露行」を新規投稿しました。夏休みの自由研究第二弾(爆)。『薤露行』は夏目漱石の短編小説で、日本初のアーサー王物語創作です。


実は、夏目漱石がアーサー王ものを書いていたこと自体、頭にありませんでした。きっかけは、『いかにしてアーサー王は日本で受容されサブカルチャー界に君臨したか』(みずき書林)です。この本については機会があれば別に紹介したいと思いますが、この本に『薤露行』について触れた章(著者はすべて別人)がなんと4つあります。うちひとつは、『薤露行』そのものが主題になっています。これを読めば、興味をそそられること必定。しかも、物語そのものはネットでタダで読めるし、小説のテーマをめぐって名の知られた評論家と小説家が論争しているというオマケまで付いている! これはもうウィキペディアに書くしかないでしょうよf^^;。
 

で、そのあと江藤論文を手に入れ、これに対する大岡の批判を図書館で入手し、これでだいたい書けたような気にはなっていたのですが、まだなにか足りない気がする。全体をシメるにふさわしいものがほしい。ネットで論文を探すと、2つほど見つかりました。とくに南谷論文は、パズルの最後のピースといってもいいくらいの内容でピタリとはまった感じでした。すべての資料・情報に感謝です。
 

結果、分量的にはそれほどでもありませんが、内容的には手応え十分(自画自賛)。夏休みの宿題をこんなにちゃんとやったことないよ(爆)。それにしても、久しぶりに夏目漱石を読みましたが、やっぱりすごいですねえ。

posted by みっち | 22:14 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
パトロクロス

ウィキペディアの「パトロクロス」の項目を加筆改定しました。パトロクロスは、トロイア戦争の英雄アキレウスの「竹馬の友」です。


この記事は、みっちがウィキペディアを始めたころにちょっと手を出したことがあります。ウィキペディアはそのころからルールを含めてずいぶんと変わりましたが、「パトロクロス」の記事はこの14、5年、ほとんど変わっていない状態でした。さすがにこのままでは放っておけないよなあ、というのが執筆動機でした。このところ、ウィキペディアでは議論ばかりに首を突っ込んでいたので、たまには記事書かないとと思っていました。夏休みの宿題というか自由研究ってところf^^;。
 

手持ちの資料からテキストを収集して温めていたんですが、この項目はやっぱり『イーリアス』がないとまずい。しかし、ホメーロスの『オデュッセイアー』は持っていたのですが『イーリアス』は持ってなかった。この際だから買っちゃえ、というわけで岩波文庫の『イリアス』(松平千秋訳)を買いました。岩波文庫って、いま1冊1,000円以上もするの? 『オデュッセイアー』は2冊で1,050円だったんだけど。昔はたしか100円代からあったよなあ、とかぼやいていたら、奥方から「いつの時代だよ」ってツッコまれました。すみません、縄文時代でした(爆)。
 

で、読んで確かめると、手持ちの資料ほとんどいらない、というか、ほぼ『イーリアス』がネタ元でしたf^^;。買ってよかったです。神話以外のことも書けるとより面白くなりますが、そこまではできませんでした。

posted by みっち | 00:18 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
ブラームスのチェロソナタ聴き比べ

奥方のツテにより、クラシック愛好家だった方の遺品整理ということで、コレクションCDをおすそ分けしていただきました。見たら、ブラームスのチェロソナタ集が3枚もありました。すべて国内盤。こんな買い方してる人もいたのね。いい機会なので、聴き比べてみました。


3枚の内訳は聴いた順に、マ/アックス、マイスキー/ギリロフ、ケラス/タローという顔ぶれ。ソナタ2曲を収録しているのは共通ですが、カップリングの選曲が面白い。マはブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番のチェロ編曲版。マイスキーはブラームスの歌曲の編曲版。ケラスはハンガリー舞曲のチェロ編曲版と三者三様で、それぞれの個性がここにも現れているようでした。
 

ブラームスのチェロソナタ、実はあまり聴いていません。手持ちでは、ブリリアントの「ブラームス室内楽全集」激安ボックスくらい。1番は年寄りの繰り言?みたいな音楽だし、2番は構えが大きい割にはまとまりがなく尻すぼみで、どちらも魅力はいまひとつという印象でした。で、聴いた結果どうだったかというと、とくに2番の認識を改めました。これは名曲だった。
 

認識を改めさせてくれたのは、もっぱらケラスです。驚かされるのは、とにかく音楽的ということ。世代的にいちばん若いので、現代的なスマートな演奏かもと予想していたのですが、全然違う。ヴィブラートを使うところと使わないところを弾き分けたり、表現は抑制的ですが多彩。「引き算の美学」というやつですか。タローのピアノも繊細なニュアンスを湛えており、二人の緊密なアンサンブルという意味でも素晴らしい。ハンガリー舞曲がまた秀逸。この人はうまいだけではなく、だれのどの曲をどう弾くかということをよく考えている。ほかの演奏も聴きたくなりました。
 

 

 

 

マイスキー盤もなかなか。ケラスを聴かなかったら、もっと持ち上げたかもf^^;。オーソドックスでしっとりした雰囲気があって好ましい。ピアノもデリカシーがあります。とくに1番は、マイスキーの楽器の低音がよく合っている感じがします。外見は濃いですが、案外さっぱりしており、2番はマよりも演奏時間が短い。ブラームスの歌曲集はよく歌っていますが、ちょっとどれも似た感じになってしまい、こんなに数はいらないかな。

 

 

 

 

 

 

マ盤は、うーん、上手いことは確かですが……。アックスのピアノともども弾けて弾けてしょうがないのか、ピアノがこれでもかとガンガン鳴り、チェロも負けずに張り合うみたいな演奏。要するにやかましい。テクニック誇示ならブラームスでなくともいいのでは? ヴァイオリンソナタ3番も、高音域をこれだけそつなく駆使して鑑賞に耐えられるように仕上げていること自体驚異的なのですが、響きとしてチェロに聴こえない! ヴィオラみたい。なんでもできると、こういうことになるのかなあ。というわけで、聴いた順とは逆の結果になりました。

posted by みっち | 20:36 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
アンナー・ビルスマ没

ビルスマが亡くなったそうです。85歳でした。


この人の最初のバッハ無伴奏チェロ組曲の録音は、衝撃的でした。当時は滑らかなレガートでヴィブラートを効かせて歌うというのが弦楽器奏法の「一般常識」だったところへ、ポツポツした素朴な味わいのバッハを聴かせたわけです。1980年ごろからクラシック界を席巻した古楽器ブームの立役者の一人でした。
 

実演は、ラルキブデッリとして来日したときに聴きました。曲はベートーヴェンとモーツァルトの弦楽三重奏曲(ディヴェルティメント)だったと思います。ビルスマのチェロは「セルヴェ」という名前のついたストラドで、大きな楽器で音量も大きかった記憶があります。ヴィオラのクスマウルが右手で楽器を構えていたのも印象に残っています。左利き用の弦楽器は珍しいので。弓を持つ左手に指の欠損があり、もともとは右手で持っていたのを左手の事故で持ち替えたのかと想像しました。だとしたら、すごい努力です。
 

ビルスマのバッハも持っていたはずですが、どこかへやったみたいで見当たりません。どっちかというと、この後に出た弟子のウィスペルウェイの録音の方が面白かったものでf^^;。というわけで、ラルキブデッリのCDで追悼しました。ブラームスの弦楽六重奏曲集。音盤は数種持っていますが、この曲を聴くときに取り出すのはほとんどこれです。響きは厚く豊かですが、粘らない。屈託のない流れは「春風駘蕩」という言葉を連想させます。外は夏真っ盛りでセミの声がやかましいけど(爆)。窓から見えるブルーベリーの幹に、5匹とまってました。

posted by みっち | 19:50 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
九州交響楽団 第375回定期演奏会

・マーラー:交響曲第3番 ニ短調


アルト独唱:清水華澄
合唱:九響合唱団、久留米児童合唱団ほか
小泉和裕指揮、九州交響楽団

 

2019年7月27日(土)、アクロス福岡シンフォニーホール
 

博多在住の友人と二人で聴きました。マーラーの3番は、5年前の鹿児島伯林的交響楽団の演奏会以来。2度目はないかも、と思っていただけに、九響に感謝です。来年はぜひ6番をお願いしたい。


2階席で、ステージ全体が見渡せて楽器配置などがよくわかりました。ホルン隊はステージに向かって左側、2nd Vn.の後ろに斜めに並びました。9人いました。その手前がハープ。後列に打楽器が配置されており、左端が鐘で、そこからグロッケンやシンバル、小太鼓、ドラなどが並び、中央に鎮座するのが大太鼓。これは第1楽章で主導的な役割を果たすためでしょう。右側はティンパニ2セット。弦は、右側のVa, Vc, Cbがやや離れており、おそらくは、打楽器などにマスクされにくくなるよう、分離を図ったものではないかと。実際、その効果が出ており、とくにチェロはよく際立っていました。
 

小泉和裕は久しぶりですが、大編成のオケの前では非常に小柄に見えました。しかし身振りは大きく、しっかりドライブしていたと思います。テンポ的には、第1楽章がややたっぷりめで、第2楽章以降は逆に引き締まったもの。声楽は、第3楽章が終わった後に独唱・合唱ともに入場し、そのまま最後まで残りました。アルト独唱はステージ後方、合唱の真ん中にスペースを作り、そこで歌いました。第4楽章からは3つの楽章がアタッカで続きました。
 

この曲は、管楽器やコンマスなどのソロ、スケルツォでの舞台裏のポストホルンまで、マーラーの曲でもお楽しみの多さではトップクラスですが、どれもよかったですね。トロンボーンソロは女性でしたが、立派でした。打楽器隊も素晴らしく、大音量の快感も十分に味わえました。とくにティンパニがかっこよかった。独唱も表情豊かで、みっちの友人は初めて歌声が響いたときに背中がぞぞっときたそうです。女声合唱だからなのか、児童合唱も今回、女子のみだったようです。そのせいかどうかわかりませんが、行儀が良くてちゃんとしてる(爆)。個人的にはクーベリック盤の児童合唱のわんぱくな感じも捨てがたいですが。ビムバムが消え、終楽章に入って、前の楽章まで休んでいたヴァイオリンが例のメロディーを弾き始めるところは、やっぱり格別ですよね。その後のチェロがまた聴かせました。ええなあ。弾いてみたいなあー。最後は、二人のティンパニ奏者の動きが左右対称になっていたのも効果的でした。終結の和音は自然に減衰させていて、できれば、しばらく余韻に浸っていたかったのですが、客席からブラボーが次々に湧き上がって、もうそれどころじゃなかった。
 

終演後、ホテルオークラの対面にあるアイリッシュパブ、HAKATA HARPに行って(久しぶりー)、ギネスで乾杯しましたf^^;。友人が無類のアヒージョ好きで、500円の砂肝のアヒージョに目をつけ、注文したところ、バケット付きで最高にうまかった。

posted by みっち | 15:43 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
このごろのチェロ練習(2019/7)

秋の定期演奏会に向けて、練習中です。プログラムは次の3曲。


・オネゲル:交響的断章第1番「パシフィック231」
オネゲル好きだけど、弾くことがあろうとは予想していませんでした。ポリリズム的で、耳で聴く限り無理っぽいじゃないですか。いったいだれが選んだんだf^^;。チェロパートの出だしは4部のディヴィジ。GとFisのフラジオレットの衝突で、それぞれ単音とトレモロに分かれるという。最初、どうやって弾くのかわかりませんでした。その後も半音階だらけですが、拍子は思ったほど複雑ではなく、ある程度つかむと乗れてきて、けっこう楽しい。むしろ、単純な進行で走ってしまわないように気をつけねば。指揮者の田中先生は、この冒頭から72小節あたりまでずっとスルポン(駒そばで金属的な音)で弾くよう指示されました。おもしろーい! けど大変。最後近くに大幅な跳躍を伴う難しいパセージがありますが、オケ全体が阿鼻叫喚状態なので、どうせ聞こえない(爆)。終結の嬰ハ音のユニゾンがかっこいいですよね。このごろなんとなく形になってきた感があります。
 

・コダーイ:孔雀の主題による変奏曲
この曲は知りませんでした。日本的な音階を持つ民謡主題を使っており、聴くだけならわりと親しめる音楽ですが、起伏と変化に富んでいて演奏は厄介。オネゲルよりも変拍子が目立ち、ピッツィカートとアルコの素早い切り替えとか、みっちが嫌いなト音記号もバンバン出てきて、め、めまいが(爆)。はじめのうちは各変奏の曲想がよくつかめず、ケルテス指揮ロンドン響のCDを買ってパート譜と突き合わせて聴いたりしました。正直、この曲がいちばん苦労しそう。アンサンブル的にも、おそらく3曲中もっとも難しいでしょう。バルトークと同年代だから当然といえば当然か。

 

・ドヴォルザーク:交響曲第8番
チェロが目立つ曲。ヤバい(爆)。冒頭のフレーズは、とりあえず譜面を見なくても弾けるようになってきました。ここは指揮者としっかりコンタクトを取りながら弾きたいところ。おそらく、この3曲の中では比較的難度は低い。それでもいくつか難しいところがあります。第1楽章の第2主題の3連符とか、第3楽章中間部とか、伴奏音形が案外と大変だったりします。上手い人ならさらっとこなせるのかな? そういうところもやりますが、一方で、一応弾けるところをいかに磨くかの方が実は大事だったりするので、ほかもしっかりさらいたい。フィナーレのズンドコ・コガネムシも楽しいし、個人的には「新世界」より好きですね。

posted by みっち | 21:23 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
醍醐景光の野望 その4「信長との決戦―惣無事令へ」

醍醐に従属している足利義昭が乗っ取った観音寺城を織田が奪い返し、それを醍醐がまた攻め取る、といった展開で畿内の攻防は一進一退。景光は背後の上杉に備えが必要なため、畿内方面にそれほど兵力を割くことができないのが悩みです。などといっているうちに、上杉政虎が魚津城に攻め寄せてきました。これが二度目の戦い。例によって「双頭の龍」作戦を採ったところ、政虎の大命?によって作戦が無効化されたのにはびっくり。さすがは軍神です。とはいえ、武将や兵の質などで醍醐にアドヴァンテージがあったらしく、作戦なしでも戦いは有利に展開し、再び撃退に成功しました。カウンターアタックで越後に侵入します。この敗戦のダメージが大きかったらしく。その後上杉は北条や武田に押されがちになります。あともう一度上杉の攻勢がありましたが、そのときにはもはや脅威ではなくなっていました。


一方では、丹後の一色氏が従属を申し入れてきました。一色とは外交関係がなかったのですが、信長包囲網のおかげで友好度が上がったらしい。一色のさらに西はこれも友好度の高い波多野氏ということで、西方面の情勢も安定。これで、醍醐はほぼ全軍を畿内に差し向けられるようになりました。
 

六角領の日野城を落として南近江の大部分を制圧、ここから織田攻めです。織田領の分断を狙って、大垣城から一気に尾張・清州城をめざして景光自ら攻め込みました。双方の主力がぶつかりあう激戦となりましたが、醍醐勝利! 信長の敗走で、美濃・尾張の織田方の城は一挙に弱体化しました。清洲から逆回りで美濃の各城を落として回り、さらに別働隊で刈谷、鳴海などを攻略し、織田の基盤を根こそぎ奪うことに成功しました。
 

伊賀・伊勢方面に織田の勢力がまだ残っているものの、徳川との連携はほぼ絶ちました。この際、織田より先に徳川を滅ぼしておくことにします。武田とはいずれ対決が避けられないわけで、そのとき家康やその配下武将が味方にいるのと逆に取られるのとでは、雲泥の差ですから。
 

徳川を下すと、京方面、伊勢・伊賀方面、東海道方面と3軍をフル編成できるようになりました。京方面では六角、足利、本願寺を滅ぼし、波多野を従属させて中国の山名を攻めます。伊勢・伊賀方面では、織田を滅ぼし、北畠、畠山、雑賀を従属させ、四国の三好を攻めます。東海道方面では武田の攻勢を迎え撃ち、逆襲に転じます。ここまでくると、包囲網ももう怖くありません。念のため、北条とは同盟しておきます。武田を信濃・甲斐から駆逐したころには、惣無事令を発動できました。これにて醍醐景光、天下人に(爆)。

posted by みっち | 23:54 | 信長の野望・大志 with pk | comments(0) | trackbacks(0) |
醍醐景光の野望 その3「大垣城争奪戦」

大垣城の斎藤龍興を滅ぼしてその家臣団を吸収した醍醐景光、念願の越前侵攻に移ります。懸念材料だった上杉は、武田と北条との戦いに忙しい様子。待たせたな、義景。朝倉に対してはすでに国力、兵力、人材すべてにおいて上回っており、もはや鎧袖一触、あっけなく越前を平定しました。


ところが、飛び地状態の大垣城が織田の攻撃目標になってしまいました。織田にすれば、大垣は畿内侵攻の入り口なわけで、当然の成り行きではあります。この時点で尾張と美濃の大部分を支配している織田ですが、浅井、徳川との同盟により、動員できる兵数は見た目よりはるかに多く、今回も徳川との連合で1万を超す兵力でやってきました。迎え撃とうにも、大垣城は遠い。行くにも戻るにも時間がかかるため、がら空きにしたところを上杉が攻めてきたら対応できそうにありません。大垣城はこの際見捨てることにして、城主に入れておいた安藤守就は脱出させました。大垣を無血で奪った信長は、すぐさま南近江・伊勢方面へと進出します。六角も北畠も抵抗できず、見る見る織田の勢力が膨らんでいきます。うーん、なんとかせねば。


織田が動いているうちにと、こちらも北近江を攻略します。浅井にはなんの恨みもありませんが、織田の補完勢力ですから潰しておかねば。織田からの援軍もありましたが、竹中半兵衛の「十面埋伏の計」によって撃破。浅井を滅ぼすと、長政、亮政、お市らが配下になります。美濃と北近江の武将を加えて、醍醐の人材が充実してきました。さらに、飛騨の姉小路が織田と武田の圧迫を受けて苦境に陥っているのを見て、従属を持ちかけました。姉小路とは援軍のやり取りがあって友好度が高く、すんなり成功。


いよいよ織田との対決が近づいてきました。まず調略を仕掛けたところ、足利義昭が釣れました。足利家復興の条件で談合成立。お家復興の場合は、こちらに隣接する敵の城を奪って独立してくれます。今回は観音寺城でした。しかもすぐに醍醐に従属してくれるので、これはおいしい。さらに義昭は積極的に動き、北の六角領・朝倉山城を攻め取ると、織田信長に対する包囲網結成を呼びかけました。やるなあ。
 

呼びかけに応じたのは、醍醐、三好、山名、姉小路、北畠、一色。戦力的に当てにできるのは三好と山名くらいですが、それでも望外のチャンス到来です。さっそく三好が攻勢をかけ、信長がその対応に追われているタイミングを狙ってこちらも挙兵、どろろに9千の兵を率いさせて大垣城を攻めます。三好は信長に敗れましたが、どろろは柴田勝家軍と激突、囮挑発と沼罠で勝利し、見事大垣城を奪回しました。大垣城主には浅井長政を入れ、岐阜城に睨みをきかせます。

posted by みっち | 13:55 | 信長の野望・大志 with pk | comments(0) | trackbacks(0) |
「砂漠の狐」ロンメル

・「砂漠の狐」ロンメル  ヒトラーの将軍の栄光と悲惨
 

大木毅著、角川新書
 

第二次世界大戦のアフリカ戦線において、連合国から「砂漠の狐」と呼ばれて恐れられたエルヴィン・ロンメルの生涯をたどった一冊。いきなりロンメルの死の場面から書き出す手法が成功しており、最後まで緊張感を持って読めました。


戦時中から名声が高く、1970年代まで一般にもドイツの傑出した司令官というイメージがあったロンメルですが、著者の大木毅によると、海外ではその後3度にわたる再評価の波があり、現在ではほぼ「等身大」といえる評価に落ち着いてきたとのことです。ただし、政治問題との絡みもあって、その扱いはいまもなお揺れ動いているらしい。一方、日本では最初の見直しの波があった1970年代、デヴィッド・アーヴィングによる歪曲されたロンメル像が入ってきた段階で止まっていて、認識が40年近く遅れているということです。
 

この本によると、ロンメルは戦場で駆け回る指揮官としては優秀で、敵の意表を突く戦術力と果断さを発揮しましたが、戦略レベルでは、兵站を軽視しがちでしばしば無謀な作戦を採ったようです。また、自身の功績を過大に評価し、失敗の責任は指導部や補給のせいにする傾向があり、陸軍上層部からは危険視されていました。これは、デスクワークが苦手で参謀勤務を回避してきたロンメルの経歴にも要因があり、さらにその背景として、平民出身でしかも傍系コースという出自も多分に影響していました。必要以上に自己宣伝に努めなければロンメルの出世は困難な状況で、実際にその機会を得られたのは、戦争とヒトラーの引き立てがあったからでした。しかし、ヒトラーとの蜜月は長く続かず、戦局の悪化に伴って理不尽な命令に衝撃を受け、苦悶するようになっていきます。


終盤、ロンメルとヒトラー暗殺計画との関係については、著者はロンメルが計画を知っていたとしています。当時のロンメルの言動や周囲の状況からして、これは妥当な判断でしょう。これをめぐっては、後にアーヴィングが事実を歪曲した点も具体的に紹介されています。アーヴィングはホロコースト否定論者として有名らしく、この人がアメリカの歴史学者を名誉毀損で訴えた裁判が『否定と肯定』という映画にもなっています。機会があれば観たい。正直、ロンメルを貶めたり暗殺計画とは無関係と主張することで、アーヴィングがなにを得られるのか、みっちにはまだよくわからないのですが、そのあたりはまたおいおいとf^^;。


ヨーロッパの世界大戦に関しては教科書で習った以上のことはほとんど知らなかったのですが、この本でドイツの戦いぶりや戦略構想の一端に触れることができました。ヒトラーとしては、ポーランド侵攻でイギリスとフランスが宣戦布告してくるとは予想できなかったようで、その後も戦果を上げればイギリスはこっちになびくだろうという、自分に都合のよいシナリオを描いて戦線を拡大し、結局二正面作戦という必敗態勢に自らハマって破滅しました。戦果を上げれば有利な条件で講和できる、という考え方は当時の日本にもあったわけで、安易で身勝手な幻想が未曾有の犠牲者を生み出す構図で共通しています。

posted by みっち | 23:35 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
醍醐景光の野望 その2「上杉軍との激突」

加賀国から越前に攻め入った景光。宿敵・朝倉との戦いに決着を付けるため、再度宣戦布告しようとした矢先、イベントで関東管領に就任した長尾景虎改め上杉政虎が「天下を乱す逆賊景光めに天誅を下さん」とかなんとか言って、1万5千の兵を率いて醍醐領の越中・富山城に向かって進軍してきました。ぐはあ。義景にとどめを刺すどころか、いきなり滅亡しそうな事態に。


もともと上杉とは戦うつもりがなく、親善の使者を遣わしていたのですが、敵視されていると表示されて交渉に応じてくれません。平家のときの毛利と同じような状況です。後でわかったんですが、越中を取ると自動的に上杉から敵視される設定らしい。つまり、神保を攻めた時点で政虎に睨まれていたわけで、初手からこうなる運命だった(ーー;)。
 

迎え撃つ醍醐方は、兵力が2,000×6。城を空にすることはできないため、全軍を挙げても1万ちょい。これで戦国最強の上杉軍に勝てるわけないよね。どうするどうする。もう詰んだ? よく見ると、意外にも援軍に応じてくれる勢力があります。交渉の結果、飛騨・姉小路、北近江・浅井、南近江・六角がそれぞれ1部隊をよこしてくれました。浅井とは朝倉への援軍でやりあっているのに、いいヤツというか意味わからん(爆)。実は織田信長も援軍に応じてくれるのですが、遠すぎて決戦に間に合わない。こんな風に、大軍相手でも活路が見いだせる「大志」、捨てたものではありません。迎撃の手順は、援軍要請を済ませてから行軍・部隊編成で援軍を組み入れるようです。逆だと、部隊がバラバラになって合流できなさそう。
 

そうやってかき集めた兵が1万4千。やや劣勢ですが、これなら勝負になるかもしれない。作戦は「双頭の龍」を使います。攻撃隊・守備隊それぞれにバフがかかるという無駄のない作戦で、実は伊達政宗専用らしい。いよいよ開戦します。敵から政虎本隊3,200が飛び出してきました。こっちが寡兵と見てナメてきたか。で、こちらが仕掛けていた「鉄砲水」の罠にまんまとハマってくれました。兵数が2,000になり、動きが止まったところをめがけて一斉にタコって勝利。軍神・謙信ともあろうものが、朝倉義景と同じパターンでした(爆)。そのままカウンター攻撃で上杉領の魚津城を奪いました。
 

上杉と講和を結ぶと、ただちに能登・畠山氏を滅ぼします。ここは上杉の同盟勢力なので、どうせ敵視されるなら削いで、こちらの備えを厚くしておかねば。そのころ、美濃の斎藤龍興が織田と姉小路に攻められて、大垣城一つに追い込まれていました。織田と姉小路の進軍が止まったところでチャンス到来! 「信長の野望」は、敵の最後の一城を取った勢力がその配下武将を総取りするシステムで、これを見逃す手はありません。加賀からアルプス越えで遠路大垣城を襲うことにしました。衰微していた龍興軍に抵抗する力は残っておらず、これで人材不足解消。とくに竹中半兵衛をゲットしたのは大きい。

posted by みっち | 22:33 | 信長の野望・大志 with pk | comments(0) | trackbacks(0) |