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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
楽譜運び用トートバッグの中身

「いとしま応援プラザ」で購入したトートバッグ「Scatola」、さっそく今週から使い始めました。ほんとに軽く、肩にも掛けられて便利。

 

記念に、バッグの中身を大公開! って、見たい人いるんだろうか、こんなの。いや、チェロ弾きなら参考にするかもしれない。しないかも……。

 

写真右上がマイScatolaです。その手前に重ねているのはもちろん、いま練習中の定期演奏会用のパート譜。上から「運命の力」序曲、「4つの最後の歌」、「シェエラザード」、いちばん下はアンコール曲(未発表なのでモゴモゴ)。

 

パート譜の右側に並んでいるのは、黒いペンケース。左上に一部が写っているソファベッドの購入先、シノハラ製作所からオマケでもらったもの。中には2Bの鉛筆2本、自作のマグネット付き鉛筆キャップ、消しゴム、修正液が入っています。その下がエンドピンストッパー(ブラックホール)、松脂(ギヨーム)、チューナー。エンドピンストッパーや松脂は、最初はチェロケースのポケットに入れていましたが、練習ではケースを近くに置けないことが多いため、バッグに移動しました。いまケースに入っているのは楽器と弓以外はクロスだけです。チューナーは自宅用にもう1個あります。バッグに入れているのは駒に装着するタイプで、オケのように周りが大音響でもこれならチェック可能です。

 

左側は、予備のA・D弦でヤーガー・スーペリアとヴァーサムの袋に入っているけど中身はどっちもヤーガー・スーペリア。その下が、会費を収める封筒。さらに、パート仲間から借りているCD。CDは借りた相手が休団中のため、返せないまま(ーー;)。

 

あとこれに、折りたたみの譜面立てを入れる場合があります。Scatolaに入れてみたところ、底は少し長さが足りませんが、上が少し広がっていることもあり、斜めにならバッグからはみ出ずに入りました。

posted by みっち | 11:44 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
糸島クラフトフェス2017

3連休の月曜日、糸島市に奥方と行ってきました。「糸フェス」と呼ばれるイベントがこの日まで開催中でした。昼ごろに到着したのですが、台風一過で天気もよく大盛況。クラフトショップを見ながら2周し、お腹が空いたので炙り鯖鮨と鶏のもも焼きを食べました。おいしかった。


会場のそばには、みっち夫婦の共通の知人が勤める「いとしま応援プラザ」があり、顔を出しました。チェロの楽譜を入れるトートバッグがあったらと思い、前日に連絡を入れておいたところ、見繕ってくれたのが写真の品。SCATOLA(スカートラ)という名前で、イタリアで修行された職人さんだそうです。画像はSCATOLAさんのフェイスブックから拝借しました。いま産休中で、今年はフェスに出品しておられないところ、取り寄せてくれたらしい。イタリア語で「箱」という意味だそうですが、この文字列からついお下劣な発想をしてしまうみっちをなんとかして(爆)。
 

ポリエステルの表地に一部牛革が使われています。とても軽い。うーむ、描いていたイメージにピッタリなんだけど。きれいな作りで、ひと目で気に入りました。仕事用にも使えそう。価格は29,800円(税抜き)。ものはいいけど、値段もいいぞf^^;。手作りだからね。これまで使っていたブルックス・ブラザーズのムック本に付属していたへろへろトートからすると、大出世(爆)。いろいろ話していると、どうやら使われている皮革は栃木レザーらしい。栃木レザー、最近のみっちのブームになっており、スマホケースやベルトをアマゾンでポチっていたところでした。どれも革の匂いがして好き。さすがにカバンは通販じゃなあ、と思っていたところ、ここでお目にかかれるとは! というわけでお買上げ。来てよかった、というかフェス関係なかった。
 

応援プラザで博多在住の友人とも合流し、近くの「ちきゅう屋」酒店で地元糸島の「白糸」純米酒「ハネ木搾り」と「55」の5合瓶を購入。友人は、「ハネ木搾り」と熊本の「美少年」にキャプテン・ハーロックが描かれたラベルの5合瓶を買っていました。店内にはマルスウイスキー「3&7」や初めて見る倉吉モルトウイスキー(?)などもあり、店主に話を聞きたかったのですが、後から客がどんどん入ってきたので、長居せず。
 

「ちきゅう屋」からクルマで20分ちょっと、白糸の滝近くの「伊都安蔵里」(いとあぐり)に移動しました。大きな醤油蔵を改装したカフェは、ちょっと湯布院の「天井桟敷」に似たところがありますが、店内を流れているのはグレゴリオ聖歌ではなくジャズ。時間を計ったわけではありませんが、注文してから出てくるまで相当待たされました。味は良かったけど。売店では地元の食材や調味料などを売っており、野菜が安かったようです。でっかいニンニクが3個で220円だったので、奥方の買い物に入れてもらいました。これでパスタ作ったら、どんなだろう?

posted by みっち | 21:44 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
弦楽器のメンテナンス先に悩む

近場で弓の毛替えなどが頼める弦楽器工房または楽器店を探しています。チェロと弓を買ったのは「石田ヴァイオリン工房」で、もちろん信頼できるお店ですが、博多南区にあって、門司からだとちょこっと行って戻ってこれる距離ではありません。それで、これまでは小倉にあるS社にお願いしていました。しかし、ここは以前から売り込みが激しく、先日行ったときにはもはや布教活動といえるレベルに達し、ガマンの限界を超えたので、もう縁を切りたい。愚痴になりますが、ちょっと聞いてくださいよう。


店に予約を入れて、午前中に弓を預けて引き取り時刻を決めました。夕方、先方の多少の余裕も見て、約束の時間より遅めに行ったのに、まだ仕上げていません。これくらいはまあ、いつものことです。しかし午前中、本店の社長か会長製作のストラドコピーモデルがNHKの番組に取り上げられたのを見たかと聞かれ、見ていないと答えていたため、待っている間にその録画を見ろといって上映開始。このためにわざと待たせているのか。番組に興味を持てない(ていうか、興味あったら見てるよね)ため、途中から店内をうろうろしていると、この番組でコピーと本物のストラドの音響がほぼ一致したとか、過去の銘器の補修のやり方がまずかったとか、海外の工房の悪口も含めて自社賞賛。「へえー」と生返事でチェロ弓を触っていたら、「展示会でその1本がとても評判が良かった」と売り込みです。でも残ってるけど……。率直に「持った感じ、ピンとこなかったなあ」と言ったら、「持った感じだけで、音がどんなでどこまで遠くに飛ばせるか判断できるんですか」とツッコミされました。いやあのね、持った感じがいい(つまりバランスがよくコントロールしやすそうな)弓を試してみようかとなるわけで、そこで外れたものはどうもこうもないでしょ。とはいわず、「そんなもんですかねー」とあいまいに答えたら、今度は音叉を持ってきて、「楽器も弓も共鳴するものですから、きれいな対称形ならこのように(チーン)鳴ります。しかしどこかでこれが押さえられると(指で一部を押さえてチーン)」。「あの、すみませんが、弓毛仕上げてくれませんか」。「こっちの音叉では(もう1個持ってこようとする)」。「いや、音叉の響きの違いを聞いたって仕方がないんで(これ前にもあったし)」という具合。その後も弓に松脂が付いていて音が悪くなるなどと最後まで文句を言われ続けました。
 

もう二度と行くものか。と思いはしたものの、北九州市内で弦楽器を扱っているところって、ほかにどこがある? レッスンを始めたころはヤマハでしてもらったことがありますが、職人さんが常駐しておらず、「弦楽器フェア」などで年に数回来る日だけでした。もうレッスン生ではないので、頼めるかどうかもわかりません。対岸の下関にもなさそう。宇部にはあるみたいですが、遠すぎる。パートの仲間に相談したところ、やっぱりS社は苦手だって(爆)。どうやら他所で購入した楽器や弓は調伏対象になるらしい。毛替えは博多のイズタ・バイオリンでやってもらっているそうです。やっぱり博多か。天神のお店には昔一度行ったことがあります。ここなら石田さんより近いし、弓を預けて時間をつぶすのも難しくないかな。というわけで、S社さん、長い間お世話になりましたが、さようなら。

posted by みっち | 16:44 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴィト/ワルシャワ・フィルほかによるマーラーの交響曲第8番

・マーラー:交響曲第8番変ホ長調


バルバラ・クビアク、イザベラ・クウォシンスカ、マルタ・ボベルスカ(ソプラノ独唱)
ヤドヴィガ・ラッペ、エヴァ・マルチニェツ(アルト独唱)
ティモシー・ベンチ(テノール独唱)、ヴォイテック・ドラボヴィッチ(バリトン独唱)、ピョートル・ノヴァツキ(バス独唱)
ワルシャワ・フィルハーモニック合唱団
ポーランド放送クラコフ合唱団
ステファン・ヴィシンスキ枢機卿大学合唱団
ワルシャワ少年合唱団

 

アントニ・ヴィト指揮、ワルシャワ・フィルハーモニック管弦楽団
 

2005年7月1-6日録音、ワルシャワ・フィルハーモニック・コンサートホール
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)
 

ナクソスのマーラー交響曲全集から第8番を聴きました。ボックスの11枚目に第1部「来たれ、創造主なる精霊よ」、12枚目に第2部「ファウスト第2部」より終結部分が収録されています。指揮者は7番のハラースからヴィトに戻りました。8番はこのボックス中もっとも録音が新しく、ヴィトのポスト変更に伴ってポーランド国立放送響からワルシャワ・フィルにオケが変わっています。


ヴィトのマーラーはどれも優れた演奏ですが、中でもこの8番は2番と並んで素晴らしい。8番の録音としては、クーベリック盤が独唱陣に魅力がありCD1枚に収まっていることもあって愛聴していますが、ヴィト盤の方が録音が良いため、今後はこっちをよく聴くことになりそう。
 

全曲を通じて、オケ、声楽、オルガンなどがよくまとまっており、見事なバランスに聞き惚れます。例えばオルガンは、冒頭はもちろん、マーラーがどこでオルガンを使っていて、それがどう効果的に鳴っているかがよくわかります。巨大な編成のためにカオスになりがちなこの曲が、各声部がよく整理されて、迫力が失せるのではなく美点がより際立っているのは、ヴィトによって曲の魅力の全貌が引き出されたというべきでしょう。
 

そうしたバランスの巧みさがものをいって、とくに説得力が高い音楽になっているのが、対位法的な書法で書かれた第1部でしょう。第1部全体として、展開部の終わりから再現部の始まりにかけての部分とコーダの最終部分の2箇所に大きなクライマックスを置いており、そこに向かってあっちから攻め、こっちから登り、と委曲を尽くします。そうしてやってくる頂点の高いこと。オルガンのことはもう触れましたが、少年合唱の扱いも鮮やかで、さすが。
 

第2部では独唱陣にそれぞれ見せ場がありますが、テノール(マリア崇敬の博士=ファウスト)と第2ソプラノ(懺悔する女=グレートヒェン)には音楽上もとくに重要な役割が与えられています。『ファウスト』の物語からしても、これは当然。ここでは男声陣ががんばっていて、クーベリック盤にも遜色のない出来栄え。女声陣は、機械的なヴィブラートが気持ち悪いソプラノがいること、注目のグレートヒェンがちょっと軽すぎるのが、この演奏での数少ない難点。クーベリック盤ではエディト・マティスが絶唱と言ってよいほどレベルの高いソロを聴かせるので、ここだけは割りを食っている印象があります。しかし、第3ソプラノによる「栄光の聖母」以降は、ヴィトらしいたっぷりした運びと精妙な管弦楽の響きに魅入られます。「神秘の合唱」では極端にテンポを落としてじわじわ迫り、高揚の頂点で金管の別働隊が圧倒的な輝きを放ちます。ラストの素晴らしさには、思わず泣けた!
 

オーケストラが変わったことはあまり気になりません。あえていえば、ワルシャワ・フィルはポーランド国立放送響と比べて弦や木管の柔らかな表現にやや特徴がありそうですが、実力的にはいい勝負かと。これだけの大編成を堪能させてくれる録音にも敬意を評したい。シリーズ中でも出色の出来であり、このボックス買ってよかったあ、と思わせてくれます。

posted by みっち | 22:30 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
宇宙人ポール

「3つの味のコルネット」三部作ですっかりおなじみのサイモン・ペグとニック・フロストのコンビにもう一度会えるということで、『宇宙人ポール』(2011年)をブルーレイで観ました。監督はエドガー・ライトではなく、アメリカ人のグレッグ・モットーラ。やはりコメディーを撮っている人らしい。


イギリスからアメリカ観光にやってきたオタク二人が、コミコン見物のついでにレンタカーでエリア51などのUFO関連「名所」巡りの途中、ホンモノに出会ってしまうというお話。撮影が現地ロケなので、UFO好きなら必見のシーンがあるでしょう。西海岸サンディエゴからネバダ州、ワイオミング州にかけて移動する、ロードムービーの趣もあります。
 

映画として、よくできていると思いました。『ワールズ・エンド』より2年前の作品ですが、オタクっぽい長髪だからか、サイモンもニックもずいぶん若く見えます。とくにサイモンはふっくらしていて、『ワールズ・エンド』のコメンタリーでこのことはネタにされていました。サイモンに遅れを取ったニックが拗ねるところがかわいい。今回は、このコンビと宇宙人ポールの3人組ですが、LotRのゴラムより撮影技術が進んでいるようで、ポールの造形を含めて不自然さはまったくありません。ポールのオッサンぽい雰囲気もナイス。なぜ名前がポールなのかは、映画を観てねf^^;。
 

3人の掛け合いと、途中から強制参加のルース(クリスティン・ウィグ)による珍道中が楽しい。ポールが『E.T.』のアイデアを電話で教えているシーンでは、相手はスピルバーグ本人の声だって(爆)。またルースが着ているTシャツに「ダーウィンを射殺するキリスト」が描かれているのがかなりのインパクト。アメリカには実際こういう人たちがいるんでしょうね。宗教ネタをけっこう引っ張るところも「らしさ」になっています。
 

後半は政府機関から逃げ出したポールを追跡する捜査官たちとの鬼ごっこになります。できそうなゾイルは別として、新入りの二人はポンコツで役に立ちそうにないのですが、この二人が意外な活躍を見せて、サイモンたちはピンチの連続。でも、二人ともやりすぎた(ーー;)。大詰めは、『未知との遭遇』の舞台となったデビルスタワーで、森の木々を透かして光が放射される、あのシーンが再現されます。ここでシガニー・ウィーバーまで登場してびっくり。エイリアンにはつくづく因縁があるらしい。貫禄がすごい。しかし、ジェンガ(爆)。あと、タラ役のブライス・ダナーがかなりの年齢にもかかわらず、美しい。グィネス・パルトロウのお母さんです。エンディングでの母船が長ーいのは、『スペース・ボール』や『大帝の剣』でもあったお約束かf^^;。
 

ブルーレイは、字幕と吹替え両方いけます。しかし、特典映像は「一部字幕なし」。コメンタリーで字幕なしは辛すぎる。なんとかなりませんか?

posted by みっち | 09:03 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
関ヶ原

わが家のエントっ子が観たがるので行ってきました。ちょっとこれは評価が難しい映画です。描いている対象は、日本人ならだれでも知っている?関が原の合戦(1600年)。司馬遼太郎の小説が原作で、たぶん読んでいません。読んだとしても忘れているので、まっさらな状態で観ました。以下、ネタバレです。


まずは気になる点から。タイトルは『関ヶ原』ですが、物語は石田三成が秀吉に登用され、豊臣秀次の切腹やその係累の処刑、三成が島左近を登用する話など、秀吉の死までいろいろな場面が描かれます。ここまでは一応三成が中心。しかし、一方で伊賀の忍びたちの集まりや、島左近と柳生石舟斎の対話、徳川家康と本多正信の謀議など、三成の視点では無理な場面もあります。ポイントポイントでは重要人物ごとに描くのもありとは思いますが、冒頭で現代のシーンからナレーションで原作小説の司馬遼太郎の言葉をそのまま読み上げたりするのがどうもおかしい。ナレーションが中途半端にあったりなかったりするのは、視点がぶれていることの現れです。かといって現代からの視点で俯瞰的に描くのでもなく、上杉征伐や小山評定、上田城攻めなど、東軍の描写はほとんどありません。また、三成はこれらの情報を知らなかったようになっています。西軍でも、拠点目標であったはずの伏見城や岐阜城などの状況が抜けており、中心人物であるはずの宇喜多秀家や小西行長でさえ全然といっていいほど描かれません。大谷吉継は登場回数が比較的多いのですが、もともと徳川に近かった彼がなぜ三成に荷担したかを描くシーンはありません。
 

合戦描写についても、すでに挙げましたが有力武将なのにほとんど名前だけという存在が多く、藤堂高虎あたりは名前すらなかったかも。笹尾山や桃配山などの地名は出ても、位置関係が分かるような説明はなく、布陣がどうなっていてどう推移したかも不明。いろいろと不親切です。通説では、小早川が寝返るまでは西軍がむしろ押し気味だったとされますが、ここでは石田隊は終始苦戦している印象。井伊直政と福島正則の先陣争いもこの描き方では全然伝わってきません。島津の撤退戦もなし。この戦いを正面切って描くのじゃなかったのかと残念です。そのためにも、秀吉の死後から始めるのでよかったんじゃないかなあ。どうしても必要なら回想で。
 

つまり、映画として視点と焦点が定まっておらず、監督が描きたい場面、断片の連なりになっていて、関ヶ原の合戦を大きな流れの収束として描くことに失敗しています。あと、人物たちがみんな早口で、台詞がよく聞き取れないことが多い。これは黒澤映画や『シン・ゴジラ』の影響? 普段の会話ならともかく、戦闘中の伝令の報告がモゴモゴでさっぱりわからないのは手打ちものだろう、と(爆)。
 

以上、ダメ映画といっていいようなものですが、反面、監督こだわりの場面ごとでは見栄えのする画面ではあります。戦闘シーンはやや人数少なめな感じでしたが、映画ならではの迫力と臨場感がありました。訓練の様子や戦闘が始まる前の陣に漂う緊張なども見ごたえがありました。
 

役者もよくがんばっていて、とくに滝藤秀吉は魅力的でした。上でカットすべしといってますが(爆)。もったいないので、別に滝藤「太閤記」作りませんか? 見たいなあ。主演の岡田准一は熱演でした。ただ、熱を込めれば込めるほど三成から離れていくようなところがあるんじゃないでしょうか。そこがどうだったか。平岳大の島左近はかっこよかった。彼の最期はわかっていないので、殺さなくてもって感じでしたね。みっちが監督なら、左近に語り手をさせたい。大谷吉継の大場泰正は知らない人ですが好演。小早川秀秋の描き方は、原作と離れているんじゃないかと思うのですが、これはこれでよかった。東出昌大を起用した意味があったと思います。役所広司の家康は、柴田勝家に見えてしまうのが難点。眉毛がうざかった(爆)。あと福島正則(音尾琢真)。「この、大馬鹿もんがあ!!」と怒鳴りつけたくなるような名演技でした。
 

また、伊賀の忍びたちを描いたことで、面白みが増しています。有村架純もかわいかったしf^^;。アクションもいい出来栄えでした。ただし、三成との恋愛はやはりやりすぎ。直接語らずとも分かり合っているぐらいで抑えてほしかった。映画には登場しない正妻を無視して戦いが終わったら二人で旅に出たいなどとほざく三成を「義の人」といっていいものでしょうか? ついでにいうと、初芽がなぜ三成の本陣でなく島津の陣に近づいたかも説明不足で首を傾げました。
 

ちなみに、エントっ子は大変面白かったそうなので、観る人や求めるものによって評価が大きく分かれる映画なのでしょう。

posted by みっち | 21:35 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
定期演奏会に向けて

10月22日にある北九響の第118回定期演奏会に向けて、練習中です。曲目は、ヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、R・シュトラウスの『4つの最後の歌』、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』。


ヴェルディの序曲は、指揮者の新田ユリ先生によれば、3曲中最もカロリーの高い曲です。確かに、熱く激しいスピリットを感じます。ヴェルディの序曲の中ではもっとも演奏機会が多い名曲らしいですが、しかし、個人的にはよくわからないところがf^^;。このオペラは最後に登場人物がみんな死んでしまうという悲劇ですが、序曲はどういうわけか明るく終わります。「始まり始まり!」てことで、ラストはともかく最初は景気良くいきたかったんでしょうか? 弾いていても、途中からはしゃぎすぎじゃね?という感じが拭えません。あと、「運命」を表しているらしいタラララ(ーララーラ)という上昇音型が曲のあちこちにちりばめられていて、しかも出てくるたびに拍子やリズムパターンが細かく違うという芸の細かさ。このあたりの変奏技術はさすがといえばさすがですが、弾き分けるのがけっこう大変です。
 

4つの最後の歌は、みっちは当初降り番にさせてもらっていたのですが、先週の土曜日に乗ってくれとの連絡があり、急遽今週から楽譜をもらって始めたところです。って、あと2ヶ月もないんですけど! で、この曲もよくわからんぞ(ーー;)。ま、リヒャルトだからな(爆)。チェロパートはほぼ2部のディヴィジで、部分的には4パートに分かれます。ヴァイオリンなども同じらしい。歌の伴奏なのに、どうしてこんなに声部を増やさないといかんの? ハープ2台とか編成自体も大きいし、人間、年をとると簡明さに向かったり枯れたりするものだと思っていたけど、リヒャルトくんは年取ってもキンキラキンでした。弦楽四重奏とか絶対無理だよ、この人(爆)。
 

シェエラザードは、通俗的なイメージが強めですが、弾いてみると思っていたよりずっといい曲でした。新田先生からは、エレガントにという全体的な指示をいただいており、魅惑的な響きになるように努力したい。チェロとしては、第3楽章のメロディーがおいしいところで、ここばかり弾いていたくなりますf^^;。実はこの部分、一緒に吹く木管は前半がオーボエで後半がイングリッシュホルンとなっていて、繊細な音色変化を聴かせる例のひとつです。ほかにも、へえー、そうなっているのかとやってて面白いところが多い。コンミスのヴァイオリン独奏がまた美しい! この曲の指揮と独奏が女性というのはとても合っていると思いますが、実際には珍しいのでは? というわけで、ぜひ楽しみにしていただければと思います。

posted by みっち | 23:07 | cello | comments(2) | trackbacks(0) |
ワールズ・エンド

『ワールズ・エンド』は2013年のイギリス映画で、エドガー・ライト監督、サイモン・ペグ主演、ニック・フロスト共演による「3つの味のコルネット」三部作の3作目。今回のコルネットはミント味にチョコチップだったみたいですが、見せるのは包み紙の一部だけで、アイスを食べるシーンはありません。なお、各作品のストーリーに直接の関連はありません。


「酔っぱらいが世界を救う!」とかいう邦題を考えついた日本の供給会社には、前作同様苦言を呈したい。これも誤解されそうだから。酔っぱらいには違いないんだけど、『ハングオーバー』的なストーリーをイメージされると、なんだこれって逆効果になりませんか? それに世界を救うというのも違うんじゃないの? 以下、ズバリは書いていませんが、ちょいちょいネタバレ気味。
 

始まりに、主人公ゲイリーのひとり語りがありますが、ここが重要なので、これから観る人はぜひ集中してください。ティーンエージャーだったころの5人組が描かれており、このとき果たせなかった12軒のパブ巡りを、20年以上経って中年になった彼らがもう一度やろうとする。状況は以前とはいろいろと違っているにもかかわらず、展開そのものは前回をなぞるように進む、という作りになっています。つまり、前2作のように、前半の伏線を後半に回収していくスタイルの応用です。といっても、回想シーンはカット割りが早くて時間も短いので、後でもう一度見直してようやくそうだったのか、というようなところがけっこうありました。


「ワールズ・エンド」とは12軒目のパブの名前で、ハシゴの最終目標ですが、同時にもう2つの意味が重なっています。ひとつは、故郷ニュートン・ヘヴンでは一見平凡な生活風景の裏で由々しき事態が進行しており、それが12軒目でクライマックスに達します。各パブの名称は暗示的にストーリーに絡んでおり、看板のデザインもよく考えられています。もうひとつは、ゲイリーにとって文字通りの「世界の終わり」で、彼はかつてのパブ巡り以来時間が止まっていて、これを完遂して人生を終わらせようと思っているということが、見ているうちにだんだんわかってきます。それで、ゲイリーはなんとしてでも12軒回ろうとします。あとのメンバー4人はゲイリーに巻き込まれてしまっただけですが、20年ぶりに集まったというだけでもいい奴らであることは確定です。
 

サイモン・ペグは『ショーン・オブ・ザ・デッド』ではうだつが上がらない感じの青年、『ホット・ファズ』では有能すぎる警察官、今回はアル中で過去にしか自分の居場所のない元グループリーダーと、役柄の広さに感心させられます。ゲイリーは身勝手な行動で周囲を振り回しつつも、悲哀をにじませます。三作共演のニック・フロストも素晴らしい。今回のアンディ役は「元相棒」で、ゲーリーとは疎遠になっていたのですが、ハシゴが進むに連れてその理由や葛藤が明らかになっていきます。その末のアンディの行動は感動的。このほか、リーダーになれない二番手スティーヴンをパティ・コンシダイン、気取り屋で額に痣があるため「オーメン」と呼ばれるオリヴァーをマーティン・フリーマン、社長の息子でいじめられっ子だったピーターをエディ・マーサンがそれぞれ演じていて、味わい深い。今回ぐっと役柄の重みが増しているマーティン、とくに後半は怪演というべきかf^^;。この5人に加えて、オリヴァーの妹サム役にロザムンド・パイク、恩師シェパード先生に元007のピアース・ブロスナン、バジル役にデビッド・ブラッドリーが出ていて、みんな魅力的。三作とも出演のビル・ナイは今回声だけで、吹替版だと出番なしに(爆)。
 

三作中では笑いの要素は一番少ないように感じますが、単純にパロディっぽかったりおバカなシーンがあまりないためで、イギリス風のユーモアやジョークはあちこちにちりばめられています。英語がよくわかるともっと笑えるでしょう。スプラッタ的要素は相変わらずですが、今回相手がブランク(「空っぽ」)なもので、なにをやっても許される感じf^^;。元ネタとしては『SF/ボディスナッチャー』あたりが思い浮かびますが、結末も含めていろいろ違います。見終わって、果たしてどっちが良かったんだろ?とか考えさせられる点もシリーズ共通。いろいろ作り込まれていて、見返したくなってしまう点では随一かも。2回目の方がよくわかり、終わりごろには切なくなります。また、例の柵もやっぱり出てきたし、三部作の完結編がパブ巡りとは、結局パブが世界の中心だったということ? ぜひともパブでビールを飲みながら話し合わねば(爆)。
 

ブルーレイは字幕と吹替えと両方が鑑賞でき、特典映像にも日本語字幕が付いており、フルに楽しめます。この点、1作目、2作目と扱いが異なっているのは謎ですが、今回は文句なしでした。

posted by みっち | 00:12 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
ホット・ファズ

『ホット・ファズ』は2007年のイギリス映画で、エドガー・ライト監督、サイモン・ペグ主演、ニック・フロスト共演による「3つの味のコルネット」三部作の2作目。物語に直接のつながりはありません。今回のコルネットはチョコ味みたいですね。


「俺たちスーパーポリスメン!」とかいう邦題を考えついた日本の供給会社にはとりあえず苦言を呈したい。なんかいろいろ誤解しそうだから。みっちは「ポリスアカデミー」を連想してしまいました。同じ警察もののコメディーでも、あっちはお気楽お下劣系、こっちはハードボイルドタッチで衝撃的な犯罪ものという側面を持っており、テイストがかなり異なります。やりすぎに腹を抱えながらも、ちょっと考えさせられるのは前作同様。以下、ネタばれあり。
 

今回のサイモン・ペグは、堅物な警察官ニコラス・エンジェル。ニコラスは警察官の鏡のような男で、ロンドン首都警察で目覚ましい成績を挙げるのですが、おかげで周りがみんな無能に見えるという理由で、理不尽にも片田舎の町サンドフォードに飛ばされます。ところが、事件とは無縁に見えた赴任先で次々に死亡事故が発生、不審に思ったニコラスは……という展開。よくあるっちゃあありそうな導入ですが、検挙率400%とか、絶対なさそうな話の盛り方で笑わせます。サンドフォードでは白鳥を追い回したり、隣の柵まで刈り込んだ農夫に注意したり、当初は平和そのものだったんですが、やがて目の前で惨劇が繰り広げられることに。これらのシーンは、のんびり観ていると椅子から飛び上がりそうになるくらい過激。スプラッタ系入ってますので、弱い人はご注意を。
 

前半の伏線を後半に回収していくという構成は、前作『ショーン・オブ・ザ・デッド』と似ており、今回は前半がサスペンス、後半がアクション中心と、見せ方もよりくっきりしています。とくに後半は、それまで耐えてきたニコラスの憂さを晴らすような痛快アクションのてんこ盛りで素晴らしい。その折り返し点として象徴的な場面がニコラスの騎乗姿なのですが、なにか元ネタがあるんだろうけど、まさか『戦国BASARA』じゃないよね(爆)。パブやスーパーでの銃撃戦も楽しいですが、最大の見せ場は街のミニチュアセットの中で怪獣バトルのような格闘。好きだぞ! で、ニコラスの相手が元007のティモシー・ダルトン。彼がまた楽しそうに演じていて、かつめちゃくちゃ痛そう。しかも痛そうな格好のまま放置(爆)。白鳥や機雷ももちろん、期待通りやってくれます。なお、『ショーン・オブ・ザ・デッド』で「世界の中心」と言われていたパブはここでも変わらないようで、柵がたくさんある庭のシーンもやっぱり登場します。
 

ちょっと考えさせられると書いたのは、今回の犯罪動機が、ニコラスが調べて推理したような利権がらみでもなんでもなく、あまりにも単純だったことです。シェークスピアを貶めたとか、綴りや年齢を間違えたとか、土地から勝手に出ていくとか、そんな他愛もないことが理由で、それが日ごろは町の名士として振る舞っていた紳士淑女のみなさんの裏の顔だったというのがショッキング。ここには、罪や正義ってなんだろう?的な根本的問いかけがもしかしたらあるのかもしれません。でも、みっちもそれ以上は考えていません(爆)。
 

サイモン・ペグは硬派な警察官をきっちり演じています。走りっぷりまで行儀が良いところがクソ真面目。相方のニック・フロストは『ショーン・オブ・ザ・デッド』と同じような役柄で、ゲームの代わりに今回は映像マニア。マーティン・フリーマンは首都警察の上司役で、前より少し出番が増えました。ビル・ナイもマーティンと並んで登場。もうひとり上司がいるんですが、クレジットがなく、どこかで見た顔だと思って調べたらスティーヴ・クーガンでした。『トロピック・サンダー』で、その辺に散らばっちゃった監督じゃありませんか(爆)。ほかにもピーター・ジャクソンやケイト・ブランシェットというLotR組がカメオ出演していますが、最初は全然わかりませんでした。二人とも初めの方で、ニコラスを襲うサンタがPJ、ニコラスと別れる彼女がケイトでした。PJはもちろん扮装だし、ケイトも女医で最後までマスクを取りません。
 

今回のブルーレイは字幕以外に吹替えでも鑑賞できます。その上、コメンタリーやNG集などの特典映像付き。しかし、特典映像には日本語字幕がありません。ケース裏にそう断り書きしてあるのですが、この種の洋物コメディーで日本語解説は必須でしょうに。パラパラマンガだけは字幕の必要なしでしたf^^;。

posted by みっち | 00:30 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
ハラース/ポーランド国立放送響によるマーラーの交響曲第7番

・マーラー:交響曲第7番 ホ短調


ミヒャエル・ハラース指揮、ポーランド国立放送交響楽団
 

1994年11月28日、12月2日録音
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)

 

ナクソスのマーラー交響曲全集から第7番を聴きました。ボックスの10枚目に全曲が収録されています。演奏時間はトータルで約79分。


マーラーの交響曲中、7番と8番は人気がありません。6番も含めて、マーラーの全盛期と言っていい「三部作」だと思うのですが、なぜ演奏されないのか。8番は編成の問題でやむを得ないところはあります。しかし7番はギターやマンドリンが必要とはいえ、6番のハンマーに比べればそれほど特殊というわけでもありません。おそらく、この2曲は一般的なマーラーのイメージから遠いからではないでしょうか。「一般的なマーラーのイメージ」とは、いわゆる第9のジンクスを恐れて『大地の歌』に番号を振ることができず、しかしつづく純器楽作品を9番にせざるを得なくなり、10番を書き出したものの、結局ジンクスから逃れることができずに死んだ、というような、アルマが広めた「神話」であり、マーラーの音楽は運命的・厭世的で生と死の葛藤であり常に苦悩に引き裂かれていなければならない、といった受け止め方です。こういう立場から見ると、9番こそがマーラーの最高傑作であり、7番のようなパロディぽいものや素っ頓狂なフィナーレまである曲はけしからん、8番に至っては全曲が肯定的かつ宇宙的規模の壮大な賛歌なわけで、こんなのはマーラーではない!的な不届き千万な代物なのではないかと。決まった型にはまらないものや理解できない対象はとりあえず無視か否定する、というのはよくある話。
 

またまた前置きが長くなってしまいましたが、なにぶんお気楽妄想系なものでf^^;。さて、ハラースの7番です。たぶん、これだけ聴くなら、そこそこ面白い演奏だと思えるはず。第1楽章はけっこうテンポを揺らしますが推進力は失っていないし、第2楽章の後半から第3楽章にかけてのグロテスクな音色などはなかなかで退屈させません。第4楽章はあまり特徴が感じられませんが、フィナーレは快活で第1楽章同様の推進力で聴かせます。総じて、がんばっていることは伝わってきます。
 

しかし、2番から6番までヴィトの指揮に慣れてきた耳からすると、これはちょっと辛いものがあります。ヴィトの精妙できっちりしたアンサンブルを思うと、ハラースのはまとまりがなく、軽くて食い足りない。美しくない。驚いたのは第1楽章のコーダで、トランペットのフレーズが丸々落っこちている箇所があります。ほかにも音が違うんじゃないかと思われる箇所が。スタジオ録音のはずだけど、チェックしていないのか? それともそういう楽譜があるのか? 「荒削り」って、そういうことだったのー? 確かに削れてるけど(爆)。
 

大好物の7番だけに、やはりヴィトに振ってほしかったというのが正直なところ。単に契約の都合とかであればいいんですが、もしかしたらヴィトが7番を避けた可能性もあります。クレンペラーのように、5番や6番は振らずに7番を録音している人もいるので、その逆がいても不思議ではありません。だとすると、ヴィトの7番は実現しないかもしれない。うーん。というわけで、この曲のみっちのお気に入りは現在のところフェルツ盤です。こちらもけっこうやりたい放題ですが、ハラースよりも徹底されていて、音楽として美しいので納得できる。

posted by みっち | 19:19 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |