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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
最近のウィキペディアを勝手に判定(2017.1)

3ヶ月ぶり。例によって三題挙げてみます。

 

・[[Wikipedia:井戸端#下書きパクリの防止について]]

利用者のサブページに記事の下書きを載せていたら、それを別の利用者が記事にしてしまったという。前にも問題になりましたが、そのときは下書きした利用者が活動停止状態で、そのまま埋もれさせるのはもったいないという善意からのものでした。今回はどうやらそうではなく、文字通りのパクリ。

 

ライセンス上は転載自由なので、執筆者の許可が必要なライセンスに変えるといった対応案は、ウィキペディアそのものの存立に関わる話になりそう。したがって、利用者マナーの問題として禁止条項を加えるという流れになっているようです。とはいえ、ルールで禁じたところで、行為そのものは防げないのは「荒らし」と同様です。パクった利用者をブロックしても、アカウントを乗り換えられたりすれば、パクりそのものは防げません。「荒らし」と違うのは記事そのものの対処で、荒らされた記事は無論リバートですが、パクリ記事は見せしめとして削除なのか、それとも記事そのものは削除理由に当たらないとして活かすのかで意見が分かれそう。削除しないのが正論のような気もしますが、一方で下書きした立場に立てば、履歴や初版に自分のアカウントが残らず、それまでの注力が報われない形になってやるせない。

 

結論的には、各利用者が自衛手段として、下書きページにはパクられても大丈夫なことしか載せない、ということに尽きるように思います。サブページの案内にその種の注意書きを明示する程度かな。「パクリ禁止」ルールなどを加えるのは大げさすぎるし、実効性に乏しい。どうも、ウィキペディアのルールの隙間狙いというか、その対処をめぐって利用者たちが騒ぎ出す様子を面白がって、あえてこういうことをしでかす愉快犯がいるんじゃなかろうかという気がするんですよね。

 

・[[Wikipedia‐ノート:検証可能性#出典不明示部分を誰でも除去できる点について(補足説明追加の提案)]]

記述が事実である可能性が高かろうがなんであろうが、出典が示されていなければ除去する利用者がいることに対して、検証可能性方針でもう少し補足説明を加えてはどうかという提案。

 

これ、以前から個人的にウィキペディア最大の問題だと思っています。ウィキペディアには、自分では記事を書かずに、人の書いたものを消して回る輩がいます。彼らの最大のよりどころ、決めゼリフがこの方針に書かれている以下の二つの文です。

 

・「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」
・「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。」

 

昨年無期限ブロックされたHOPE氏がその典型で、これを金科玉条にして記述を消しまくっていました。で、この部分をいじろうとすると、必ず反論する人がいて、これまた自分ではまったく記事を書かない人。おそらく、この人たちにとって「出典明示」こそがすべてで、記事の内容とか体裁とかはどうでもいいんでしょう。本末転倒とはこのことだと思うんですが、以前からこういう出典原理主義者たちがウィキペディアの多数派みたいになっていて(実際は違うと思うけど、議論で声を上げるのはこういう連中ばかり。記事を書いている人は基本オフライン作業だから、ウィキペディアに張り付いてない)、息苦しいことこの上ない。その挙げ句、記事を書ける人や貢献できる人に因縁を付けて追い出すような事態にまでなったのを見て、愛想が尽きたみっちは足を洗いました。というわけで、期待はしていませんが、注目はしておこう。

 

・[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/ikedat76 20161215]]

もはや旧聞に属しますが、秀逸記事の実績もある利用者、ikedat76さんが無期限ブロックとなりました。ブロック賛成が40票、反対が14票。長いので数え間違っているかもしれませんが、だいたい3対1の割合で賛成が多かった。

 

個人的には、無期限ブロックの必要はなかったと思います。直接の誘因となった有足魚さんに対する揶揄はとても褒められたものではありませんが、暴言のたぐいとしてせいぜい1ヶ月以内のブロックでしょう。もし、ikedat76さんが今後他の利用者のアカウント名をいじったりしないと約束するなら、賛成票がかなり減ったんじゃないかという印象もありますが、そうはなりませんでした。

 

ikedat76さんのコメントが辛辣であることはそのとおりですが、いっている内容自体にはほとんど問題がなかったと思います。むしろ、正鵠を射たものが多く、みっちは大いに参考にさせてもらっていました。ただ、あまりに鋭く端的なので、言われた方が傷つくということはあったでしょう。加えて、しばしば揶揄調になっていました。その矛先が、「おまえがいうな」的な相手に向けられたものである限りは、それほど問題視はされなかったのですが、ときたま「ケンカする相手が違うのでは?」と思うことがありました。有足魚さんがそうだし、もうちょっと前では、頭痛さんがそうでした。率直に言って、頭痛さんを排除したのは、ikedat76さんの誤りだったと思います。お二人は記事に対して求めるものが高く、厳しい姿勢で共通しており、いわば「同じ陣営」に属していたからです。この件だけの話ではないけれど、記事書きが記事書きを追い出すようなことをやってはいけない。しかしこのとき、ikedat76さんは記事を書かない連中と手を組んで、今度は自分が標的にされてしまった。

 

無期限ブロックとなったことで、おそらくikedat76さんはもう戻ってこないと思います。ウィキペディアはまた貴重な人材を失いました。賛成者はそれを覚悟の上で表明したんですよね。

posted by みっち | 11:20 | Wikipedia | comments(2) | trackbacks(0) |
このごろのウィキペディアを勝手に判定(2016/10)

5ヶ月ぶりの勝手に判定コーナー(爆)。例によって三題挙げてみます。

 

・[[ノート:インスタンブル]]
「イスタンブール」への改名提案が出され、賛成多数の状況。提案自体はもっともな理由があるように思えます。とはいえ、いつもの「名物」改名論議と同様で、判定はどっちでもよし(爆)。しかし、これ改名すると、他への影響が大きいかもしれない。

 

ウィキペディア日本語版のイスラム関係の項目名って、「イスラーム」から始まってメッカは「マッカ」だし、コーランは「クルアーン」だし、タイトルだけだとなんのことなのかわからないくらい、一般的な用語とはかけ離れた専門的表記が選ばれています。これは[[プロジェクト:イスラーム]]でそういう決めがあるんじゃなかったっけ? と思って[[プロジェクト-ノート:イスラーム]]を見たんですが、表記についての疑問は出されているけど、ではこうしましょうという結論らしきものは見つかりませんでした。ということは、プロジェクトで合意して決めたわけじゃなく、個々の記事名が「マッカ」や「クルアーン」などになった経緯から、当時のプロジェクト参加者たちはなんとなく空気を読んで記事を書いていたということでしょうか?

 

それで、もし「イスタンブール」への改名が実施されると、すでに挙げた「マッカ」や「クルアーン」など、イスラム関係の記事が軒並み改名のやり玉に挙がってくるのでは? 記事内容には関心がないくせに改名にはやたら熱心な利用者たちが、舌なめずりして飛びかかってきそうな予感がしまくりf^^;。そうなると、ギリシア神話関係項目にも余波が及んできそうです。こちらは一応プロジェクトの合意で表記を決めていますが、フロンティア精神に富んだ改名屋さんたちにとっては、イスラム関係同様の新たな開拓地にしか映らないんじゃないかと。うーむ、ウィキペディアに改名論議の種は尽きない(爆)。

 

・[[Wikipedia‐ノート:中立的な観点]]
「よくある批判と回答」の例文として「ほとんどの西洋人にとって感情を害するような見方」とあることが、東洋人を見下していることになるという理由で、「多くの人々が感情を……」に書き直せという提案からグダグダの展開に。

 

差別主義の例として、そういう意見があったときにどう答えるかという例文が差別的といってケチを付けるという発想がまず??なわけですが、これに対する反論が「西洋至上主義者によるプロパガンダ」って??? 悪いけど、そこから先はまったく読む気がしない。単純に、英語版ではここ更新されているので、合わせませんか?と提案していたら、変なのが湧くこともなくすんなり受け容れられていた可能性もあります。

 

自分自身が多少とも偏っていることの自覚がない人に、この種の議論は無理でしょう。こんなレッテル張りばかりでは、およそ「中立的な観点」を語るにふさわしくない人たちが集まって議論しているような気がしてなりません。それにしてもこれだけ騒げるこの人たち、ウィキペディアにいったいなにしに来てるのか、それが最大の疑問。というわけで勝手に判定。ちゃんと記事を書くようになるまで参加者全員無期限ブロックでOK(爆)。

 

・[[Wikipedia:ブロック依頼/Hisagi 20161007]]
管理者の経験もあるHisagiさんのブロック依頼。はじめは依頼文を書き直せという注文が付いたりして、一筋縄ではいかない感じでしたが、途中から続々ブロック賛成意見が集まり、1年間ブロックの判定が出ました。結論早っ。というわけで、勝手に判定する必要なし(爆)。

 

この方に関わっては、これまでもブロック依頼やコメント依頼が何度も出されており、みっちも意見したことがあります。過去の依頼では、依頼側が無理筋だったり落ち度が大きかったりということが多かったんですが、そうだとしてもHisagiさんのゴロツキかと思うようなムダに挑発的な対話姿勢には、正直よほどブロック賛成しようかと思ったこともありました。だけど、もしかしたらまた記事書いてくれるんじゃないかという期待から踏み切れなかった。むしろそれが事態をより悪化させたかもしれません。

 

今回も依頼自体にケチが付いた点では過去と同様のパターンをたどる可能性もありました。しかし、それ以上に積み重なる対話姿勢の問題が大きくクローズアップされた印象です。とくに、cproさんの「知の軽視」、「ウィキペディアンとしてはもはや死んでしまったようなもの」という指摘は重いでしょう。Hisagiさんとはオフ会でお会いしたこともあるだけに、非常に残念です。オフ会といえば、やはり同席されていた龍伯さんがリタイアされた件にもHisagiさんが絡んでいて、どうせこうなるんだったらもっと早くブロックしておけば、こっちは未然に防げたんじゃないかとも思ったり。いまさらいっても仕方ないけど……。

posted by みっち | 11:24 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
エンリケ・グラナドス

ウィキペディアの項目「エンリケ・グラナドス」を改訂しました。

 

この項目は以前、Tantalさんから加筆を持ちかけられた覚えがありますが、そのときは大した興味も意欲もなく、つれない返事をしてしまったと思います。申し訳ない。いまごろになってしまい、それもあまり十分とはいえない加筆ですがご勘弁を。

 

きっかけは、先日ウィキペディアの騒ぎにまたぞろ首を突っ込んでしまったこと(これについても書けばいろいろありますが、今回は触れません)のお詫びの印と、今年がグラナドス没後100年ということで、チェロ版「アンダルーサ」を弾こうと思っていることがあります。とはいえ、すぐあとでわかったけど、実は来年(生誕150年)でもよかった(爆)。

 

もともとスペイン事情には疎く、「グラナドス」で1冊書いたような本も見当たらない。どうしよう、って感じでした。昔からイギリス音楽は三浦淳史、スペイン音楽は濱田滋郎の名前をよく見た覚えがあり、図書館で当たってみると、グラナドスの生涯、作風、作品、人物にわたって書いてくれているのはやっぱり濱田氏だけ。さすがです。ただし、ほかの事典類を当たっても担当が濱田氏になっていて、内容がかぶっているとウィキペディア的には使えないf^^;。友人だったというカザルスの関連本なども出典に加えましたが、シューマンのときのようにいろいろは出ませんでした。その分時間はかからず、2週間ほどで出来上がり。編集しながら、自分でもつながりがよくわかっていないものがあります。そういうのはなるべく消化して書きたいのですが、なんせ材料不足で。他の言語版では、スペイン語版が詳しそうなので、だれか翻訳してくれたらいいですが。

 

この機会に、グラナドスの孫弟子ラローチャが弾いたグラナドス作品CDを2組買いました。いいんですよこれが。いずれ室内楽も聴いてみたいな。

posted by みっち | 20:31 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
このごろのウィキペディアを勝手に判定(2016/5)
3ヶ月ぶりの勝手に判定コーナー(爆)。なんか、「ビジュアルエディター」がウィキペディア日本語版に導入されたらしいですね。使う機会はないかもしれませんが、便利になっていくなあ。というわけで、野次馬的感想を3点ほど。

Wikipedia:投稿ブロック依頼/HOPE 05012016

前回の続きになります。とうとうブロック依頼に発展。結論は現時点ではまだ出ていませんが、長期ブロックは免れないと悟ったか、「引退」宣言が出されました。とはいえ徹頭徹尾人の言うことを聞かない人で、「自分ルール」でしかないものを人に押しつける態度への反省は最後まで見られませんでした。このブロック依頼に先立つコメント依頼では、みっちも久々にコメントをかます気になってしまいました。あそこでも書きましたが、[[Wikipedia:コメント依頼/MiraModreno]]のころからこの人の態度には違和感がありました。MiraModrenoさんが結局追放のような形でブロックとなったことで、こんな判断に至るコミュニティとはとても付き合えない、と思ったことが、実はウィキペディアから足を洗った直接のきっかけです。

なお、ノートで目黒の隠居さんが「以前にも申し上げたがHOPEさんの理想はたかい。」と書いておられるんですが、これは「出典が付いているから(記述の)信頼性が高い」というのと同じ誤謬でしょう。テキストも出典も、適切さが問われるのは同じで、そのものの有無と信頼性とは関係がありません。「検証可能性」とは、典拠を元に記述することであって、出典を付けることとイコールではありません。出典原理主義の人はよくここで間違えています。それに、HOPEさんの理想というのは、ウィキペディアから出典の付いていないテキスト一切をなくすことであり、それはウィキペディアから一切のテキストをなくすことによって達成されるんですよ。そんな「マイナスの理想」を高いなどといってはいけない。もしHOPEさんがウィキペディアのすべてのテキストに出典をつけるべく行動していたら、だから理想が高いというわけでもないけれども、少なくとも多くの人から支持されたでしょう。

ノート:グルジア

ウィキペディア名物、改名論争(ーー;)。グルジア派とジョージア派の対立が2年近く続いていたのですが、ここにきて、加熱の度を増してきました。というのは、「ジョージア国会議長」という記事が新たに立てられたことで、グルジア派が「搦め手」だなどとしてこれを非難し始め、管理者から1日ブロックされたことでさらに反発を強めているという状況。ブロックされた人はお気の毒ですが、反発がすぎて、いたずらに敵を増やしているように見えます。

どっちがいいのかは正直、どっちでもいいです。どっちもあるということがわかればいい。そもそもどっちかに統一する必要があるのかと思うくらい。で、改名議論中の「搦め手」の話ですが、既存の記事の内部リンクを片っ端から「ジョージア」表記に変えていくようなのは「言葉狩り」の一種であり、ブロックしてでも止めるべきです。これは過去に「九州征伐」でもありました。しかし、現行表記でなければ新規記事も立てるな、というのはやりすぎでしょう。もう2年近くも議論中で、これから先もいつ合意できるかわからないのに「新表記許すまじ」というのは、これも一種の言葉狩りなんじゃないでしょうか。しかし、とかく自分にとって不利な方向の動きには敏感なんですよねf^^;。自分にも経験がありますが、出典となる文献の表記がウィキペディアの表記と整合しない場合、どっちを採るかは悩むところです。これは、今後統一方向が決まったときにはそれに従うという前提があれば、どっちでも書きやすい方でいいんじゃないかと思います。上にも書いたように、統一が正義だともいえないから。基本、〜でなければならない、という考え方はウィキペディアには狭すぎるように思います。とりあえず、これでいっとこう、ぐらいでいいんじゃないかな。

ノート:夫婦別姓

「夫婦の姓」への改名提案が出て論争中。上のグルジアorジョージアみたいないつもの改名論争かと思ったら、ちょっと違うようで。そもそも編集内容をめぐって対立があり、その末なのか途中なのかわかりませんが、論点の一つが改名みたいです。直感的には「夫婦の姓」はないだろ、と思いますね。傍目から見ると、いらぬコメントが多すぎて、自分の考えをまとめて発言するスキルがないということを全力でアピールしているようにしか見えないんですが、グダグダをいちいち吟味するのもバカバカしいので、合意できないようなら元の状態で10年くらい記事保護にして、関係者全員新規記事を書くまで無期限ブロックでよし(爆)。ところで、最近ヒートアップしている論争にもうひとつ「ノート:宗教右派」というのがあって、見るとここでも何人か同じ顔ぶれがご活躍中であることに気がつきました。しかもこの人たち、過去の(現在進行中かもしれないけど)いくつかの論争でも同じ陣営に集結して戦っていたような記憶があるんですが、いったいどういうお仲間?

前から思ってたんですが、こういうなんらかの意図を持った議論屋対策として、ノートやコメント依頼などでのアカウントごとのコメント総量を規制する手はないのかな? 具体的には、記事空間での加筆バイト数に応じてコメントのバイト数制限を緩和する。つまり記事で貢献しただけ発言量が増やせるわけです。でないと、この人たち際限ないですよ。
posted by みっち | 21:29 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
このごろのウィキペディアを勝手に判定(2016/2)
ウィキペディア日本語版が100万項目達成したらしいです。おめでとう!
いっとき、書体になめらかな感じのゴシックフォントが使われていたように思うんですが、最近また元に戻ったようです。システム的な問題はよくわかりませんが、個人的には前のが好きだったな。というわけで、野次馬的感想を3点ほど。

ノート:天空の城ラピュタ
節タイトルを「あらすじ」にするか「あらすじと結末」にするかで論争になっています。その後[[Wikipedia‐ノート:あらすじの書き方]]に議論が移動している様子ですが、後者で論陣を張っているのは一人だけみたいで、このままだと「いつまでも納得しない利用者」としてブロックかもしれません。ただ、この人が言っている趣旨は分かる気もします。「あらすじと結末」とすることで、読者にネタバレの注意喚起ができるということでしょう。「ネタバレ注意」みたいなテンプレートを仰々しく飾らなくてもできる配慮ということで、メリットになり得る。しかしウィキペディアでは物語は結末まで書くべきで、「ネタバレ」があるからといって配慮すべきではない、というのが大勢のようなので理解が得られないわけです。それに「あらすじと結末」では「頭痛が痛い」と同様の重言で、日本語としておかしい。やるなら「開始と展開と結末」みたいなf^^;、それなら「あらすじ」でいいじゃん、という話になってしまう(爆)。

前から疑問に思っているんですが、百科事典の項目説明に「あらすじ」が必要なんでしょうか? 例えばクラシック音楽を記事で説明するときは、提示部で第1主題と第2主題が現れ、これらが展開部で組み合わされ、再現部で回帰してコーダで締めくくるなどと書きます。もっと小規模の歌謡なら、ABA'とか書きますよね。これは進行の説明でありながら形式と構成を示しているわけで、単なるあらすじではない。映画や小説の場合でも、構成や背景、因果関係を示すプロットなどは、解説してほしい記述だと思いますが、物語の要約にどんな意味があるのかなあ。要約も人それぞれで、だれが観て(読んで)も同じ要約になるとは限らないのではないでしょうか。対象にもよりますが「この映画(小説)はこんな物語」です、というのは、一種の価値判断(ものの見方)の押しつけというか独自の解釈に陥る危険がありそう。言い換えれば、記事対象がどんな物語であるかを判断するのは読者であって、百科事典の役割ではないのではないかということ。例としてなら、この識者はこんな物語だと述べている、この物語にはこんな解釈があるなどと紹介することは有用でしょう。結末やネタバレがどうとかいう話ではない。

で、『ラピュタ』がどんなストーリーかは実際に映画を観てください、じゃダメなんですかね。ウィキペディアで説明すべきは、映画の(物語のではなく)概要、本編を観ただけではすぐにわからないことや、その映画が一般にどう見られているかなのでは? そういうわけで、どちらの肩も持てないみっちでした。

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Prism11 VYB05736 20160114
議論相手を一方的に決めつける態度が問題としてブロック依頼されていますが、擁護意見もあり、一月経っても結論が出ていません。ブロック依頼に先立つコメント依頼ではほかの問題点も指摘されており、その点も加えた十分な吟味が必要ではないかと考えます。

被依頼者のプリズム氏とは、かつて九州征伐論議のときにお目にかかりました。項目名で議論があるにもかかわらず、片っ端から一方の表記に置き換えて回る行為が問題になったのですが、この方の編集の多くは、そうした自分好みのスタイルへの変更のようです。この種の横断的編集をやる人はたぶんほかにもいますが、記事の充実のついでに適宜修正していくならともかく、とかく「それ」だけを網羅的・機械的・画一的にやっつけてしまう形をとりがちなだけに、プロジェクトなどどこか適切な場所で合意を取りなさい、というか、どんなハレーションがあるか少しは予測しろよ○○(2文字自粛)といった注意が必要ではなかろうかと思ったり。これをやられた編集者で、ウィキペディアに嫌気がさして離れた人がけっこういるのじゃなかろうか。だとしたら、罪は重い。

そういえば、クルト・ワイルをクルト・ヴァイルに全部書き直している人を見かけたけど、これもいいのかな。

Wikipedia:投稿ブロック依頼/HOPE 20160211
ブロックを依頼されているHOPE氏は、「出典なき記述は除去」として、探せば出典がありそうなものまで片っ端から消して回ることで記事の体裁がなくなることも辞さない武闘派出典原理主義者。差し戻し編集合戦の常習犯として過去9度のブロックを受けており、これは日本語版史上最多記録かも(爆)。管理者からあなたのやっていることは記事破壊だといわれても逆にその管理者を名指ししてのコメント依頼を提起して批判するという、どこまでも一方通行というか、ネットでわざわざ相手にしたくない猛者です(ーー;)。

実際にくらったブロック以外にも過去に何度かブロック依頼されていますが、依頼する方に問題が多くてまともに機能しないものばかりで、今回も同様。それと、彼のやり方には苦言を呈しつつも擁護に回る人がいるので、強気の態度を崩さないのかもしれません。はっきりいって、自分の解釈が絶対で、それを人に押しつけて当然と思ってる時点でダメでしょう。上のプリズム氏と共通点があるなあ。少なくとも、編集合戦はもうしません、というまで無期限ブロックでいいんじゃね?
posted by みっち | 12:44 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
今年書いた記事
足を洗ったはずのウィキペディアにまた記事を書いてしまった言い訳。実は今年、「ロベルト・シューマン」の加筆と「ゲーテのファウストからの情景」の新規立項をやらかしました(爆)。

北九響のプログラム解説のために、それなりな量のシューマン本を読みまして、図書館から借りた本をこのまま返すのはもったいないなあ、とf^^;。この際ですから、自分なりの理解としてまとめたのが「ロベルト・シューマン」の加筆でした。加筆前の記事もそれほど悪いものではなかったと思いますが、各種テンプレートを横断的に貼り逃げする輩のために見苦しい体裁になっていたのを一掃してやれ、という思いもありました。ウィキペディアなので、パッチワーク以上のものにはなりませんが、1年くらいかかるかも、と当初予想していたよりも作業ははかどりました。ジグソーパズルの最初は大変だけど、収束していくにつれてだんだんペースが上がっていくのに似ているかも。豊富なピースの当て方を楽しみました。画像もできるだけたくさん使い、作曲家の記事としてはなかなかのものになった気がします。ちなみに、みっちが手がけた記事の中で最長f^^;。

この記事の中で、何回も赤リンクで出てきてたのが「ゲーテのファウストからの情景」です。タイトルが長いこともあって、赤がよく目立つ(ーー;)。ついでだからこれも書いてやれ、と。しかし、こっちの方が苦労したかも。出典に乏しく、ほとんどを前田昭雄とマルセル・ブリオンに頼るしかありませんでした。この二人の文章は思い入れが深い分、客観的な記述になりにくいんで。あと譜例。書き方もう忘れてた上に、歌詞付きでさらに難度が上がっています。『シューマニアーナ』にはほかにもまだ譜例が載っていますが、個人的にこの辺がもう限界。なんとか読めるレベルにはなったと思い、クリスマス・プレゼント投下(爆)。

一応、これでおしまいです。またなにか本を読んだときにネタを思いつくことがないとも限りませんが、当分はなさそう。
posted by みっち | 23:34 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
このごろのウィキペディアを勝手に判定(2015/7)
ウィキペディアにはもう参加していないけど、閲覧利用はしています。ふつうに役立つ記事が多くなったと実感。このごろまでに目についたウィキペディアネタ6つを取り上げ、勝手に判定してみました。

1.[[利用者:さえぼー/英日翻訳ウィキペディアン養成セミナー]]
有意義な取り組みだなあ、と感心しました。このごろメインカルチャー分野の記事編集が目立って増えてきている気がしていて、それにしては執筆者がアカウント取り立てで、翻訳の履歴継承がされていなかったり連続投稿が多かったりと、いかにも不慣れな様子が窺えました。いったいどういう風の吹き回し? といぶかしく思っていたら、こういうことだった。指導される先生は大変ですが、影ながら応援しています。英語以外の言語からの翻訳や、もちろん日本語だけでもこういう取り組みが生まれると素晴らしいですね。

というわけで、みっちの勝手に判定。ウィキペディアの年間優秀プロジェクト大賞にノミネート!

2.[[出典要求テンプレートの貼り方について]]
少し前ですが、「井戸端」であった議論です。ウィキペディアは記事を書くところだから、議論は当然記事に関わるものだろうと思ったら大間違い。議論のための議論がいかに多いことか。ここでは、記事に出典がほしい場合にテンプレートを張る、その張り方のいい悪いやテンプレートの種類・内容についてあれは違うこれは違うと。まったく……。手段の目的化というやつです。そんな議論してるヒマがあるなら、調べて出典付けるなり書き直すなりすれば、そもそもテンプレートなんていらないよね。自分で書こう、と思わない人たちが何人集まったところで百科事典なんてできないんじゃないの?

というわけで、みっちの勝手に判定。無駄無駄無駄無駄無駄〜〜(爆)。

3.[[Wikipedia:コメント依頼/KAMUI]]
行方を注目していましたが、コメントが尽きたようで。削除依頼で「ネット検索したけどヒットしないから」という理由で依頼が出され、以下同文右へならえで削除意見がずらずら並ぶというのは、実はよくある光景です。よし、それならオレが文句言われないような記事書いちゃる、という人がいるといいのですが、なかなか出てこない。なぜかというと、記事書かずに削除を唱えるだけの方が、出典示せとか脚注使えとかページ数書けとか命令できて楽だしエラいから。そうやって楽でエラい人が増えれば増えるほど、ほーらやっぱり削除が正解じゃん、ということになってますます勢いづく。こんなんでプロジェクトはどうなる?
こうした風潮にあえて一石を投じたのが管理者でそれもビューロクラットだった、ということで、今後の削除依頼のあり方に大きく関わるコメント依頼といってよいかと思いました。しかし、こういう意義のある議論は参加者の自省を求められるためか、盛り上がりません。

というわけで、みっちの勝手に判定。消化不良だ(ーー;)。

4.[[Wikipedia:コメント依頼/Nanafa]]とその派生の[[Wikipedia:コメント依頼/Chery rohashiおよび狐坂紺およびEndangered Species 2015]]
上のコメント依頼とは対照的に盛大だったのが、こちら。[[パーキンソンの凡俗法則]]でしたっけf^^;。ろくに記事書かない人たちがわらわら集まって抗争を繰り広げ、お祭り状態(そう見えるだけで、実はごく少数かも)。そもそもなんで戦っているのかが不明ですが、関係ページやお互いの会話ページにまで押しかけて口喧嘩を重ねた挙げ句、主立った数人が短期ブロックを食らってようやく静かになったかと思えば、当事者双方でなく片側だけにブロック依頼が出されてまた一騒ぎです。よくやるよ。この人たちは、ウィキペディアにいったいなにしに来ているんでしょうか?

というわけで、みっちの勝手に判定。当該コメント依頼参加者は全員即時無期限ブロック(爆)。議論をやめて記事を書いた人は、自分の会話ページにその記事を申請することでブロック解除してよろしい。おもしろネタが減るから気が進まないけど、こうでもしないと。ウィキペディアは百科事典プロジェクトなのでねf^^;。

5.[[ノート:アイスレーベン]]
議論が始まってから9ヶ月以上経っても未解決、というロングラン記録を絶賛更新中です。議論内容は、ドイツの都市名をめぐる表記論争で、アイスレーベンの前に「ルターシュタット・」を付けるか付けないかというもの。ただそれだけの話で、記事の容量6万3千バイトに対し、ノートでの議論はすでに30万バイト近くに(爆)。この時点で、もう、ね。この手の論争は見慣れた風景というか、もはや「ウィキペディア名物」。そういえば、「グルジア」か「ジョージア」かでも改名論争が真っ盛り? いつの世も悪は絶えない(by 中西龍)。らちがあかないので投票に持ち込まれましたが、この投票をめぐって「井戸端」に飛び火しており、さらに一悶着。道は続くよ、どこまでも(ーー;)。汲平さん、大丈夫?

というわけで、みっちの勝手に判定。投票OK。どっちでもいい(どっちも間違いではない)から早く決めてください。ていうか、そもそも個別議論でなく「プロジェクト:ドイツ」で統一的に決めればよかったんじゃないでしょうか。もし正式名称を選ぶとすると、ハンブルクも「自由ハンザ都市ハンブルク」にしないといけないのでしょうけど、それでだれも困らないし。
なお、関係ノートにコメントした人は、自分がコメントしたと同じだけの容量の記事を3ヶ月以内に書くこと。でなければ無期限ブロック(爆)。あと、IPの人が何人かいるようですが、アカウント取ってやってくれませんかねえ。

6.[[ノート:信玄公旗掛松事件]]
「秀逸記事」のノートに批判が出され、議論迷走の挙げ句、主筆者のさかおりさんが「断筆」宣言。優秀な執筆者のやる気を削いだことで他の利用者の怒りを買い、記事にいちゃもんを付けた人がブロック依頼されています。
この記事、みっちは以前に読んでいて、よくまあ詳しく調べたなあと感心したことがあります。画像が豊富なのも百科事典として素晴らしいです。ただし面倒な法律論よりも松の由来などの方が興味深く、後半は長いと思って読み飛ばした記憶がf^^;。で、その法律論に問題ありというのが、批判者の意見、なのかな? というのも、結局この人、なにをどうしたいのかいまだによくわからないわけです。問題だ問題だと叫ぶばかりで、ここをこう変えてはどうかとかこっちの点を補強してはといった具体的な提案が全然ない。にもかかわらず、ノートとその履歴を見れば、大量かつ連続投稿の繰り返しで、まるで絨毯爆撃のような様相を呈しています。これだけでもアウトかと。「自分の意見を整理し簡潔にまとめてわかりやすく伝える能力がない」ことを全力アピールしているに等しい。この人、実は以前にも自分が手がけた記事「法解釈」を秀逸に選んでもらおうとしてグダグダ大論争を起こしています。秀逸記事に対するコンプレックスがあるのかもしれません。

というわけで、みっちの勝手に判定。ブロック相当かどうかは意見が分かれそうですが、百科事典を作るという意味ではこの方、致命的欠陥をお持ちなのではないかと。少なくとも、彼の文章では記事をだれも読まないんじゃないかなあ。一方、さかおりさんにはお気の毒でした。ぜひ気を取り直していただきたい。とはいえ、下書き原稿を本当に破棄してしまわれたとしたら残念です。仮に原稿を捨てたとしても、そのことはいわない方がよかった。ご本人にはその意図はなかったと思いますが、この行動(表明)こそがブロック依頼の契機となり、被依頼者に対する憎悪感情を決定的に煽ったように見えるもので。
なお、秀逸記事をめぐるグダグダとしては、過去に「松江騒擾事件」がありましたっけ。あのときも主筆者が筆を折る結果になったように思います。文句を付けるだけで記事改善に貢献している気になっている例としては、上の[[出典要求テンプレートの貼り方について]]と大きな違いはありません。なんの改善にもなっていないどころか、控えめに言って「お目汚し」でしかない。
posted by みっち | 09:57 | Wikipedia | comments(2) | trackbacks(0) |
弦楽四重奏曲 (フォーレ)
ウィキペディアで標記記事を立ち上げました。フォーレの室内楽シリーズ第10弾にして完結編。

死の直前に書かれた曲ということで、ネクトゥーもいってるように、墓の下から聞こえてくるようなイメージが確かにあるんですよね。音楽としては全然別物ですが、マーラーの10番と似たところがあるかも。フランスの弦楽四重奏曲としては、ドビュッシーとラヴェルがだいたいカップリングされることが多く、CDだともう1曲ということでフォーレが入る可能性はあると思うんですが、若書きの2曲とも、いわゆる「ラテン系」ともかけ離れており、3曲並べると、渋さがよけいに強調される気がするf^^;。

この曲はピアノがないことや、第1楽章の対話などからベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲の世界を思わせるという指摘があり、フォーレの手紙にもベートーヴェンを意識していることを示すくだりがあります。とはいえ、実はピアノ五重奏曲第2番のアンダンテあたりから、ベートーヴェンへの親近性は始まっていて、おそらくは内的な必然だったのではないでしょうか。

テキストで譜例が作れることを知って思い立ったこのシリーズですが、フォーレ30歳代で書かれたヴァイオリンソナタ第1番からこの弦楽四重奏曲まで、フォーレの人生を大まかにたどることもできたように思います。自分で書いていてためになった(爆)。またこれまで、脚注にはsfnテンプレートを使ってきていましたが、注釈にefnテンプレートがあることに気づかず、ref構文のままだったのを今回ようやく解消できました。これで原稿もすっきりf^^;。

もうひとつ、この記事でウィキペディアの一応の締めくくりとしました。出来はともかく、記事の主題はそれにふさわしいものだと思っています。
posted by みっち | 23:09 | Wikipedia | comments(2) | trackbacks(0) |
ピアノ三重奏曲 (フォーレ)
ウィキペディアで標記記事を大幅加筆しました。新規記事ではありませんが、実質的にフォーレの室内楽記事シリーズ第9弾といっていいでしょう。元記事もみっちと同じ資料を使っていたので、既存の内容を活かしつつより発展させることができたのではないかと思います。

ピアノ三重奏曲はフォーレが自力で完成させることのできた最後の作品で、このあと書かれた弦楽四重奏曲は一部未完成のまま残されました。このころになると、フォーレはしばしば体調を崩すようになっており、何ヶ月も筆が進まない期間もあったようです。

音楽的にもフォーレ最晩年の境地を表していて、簡潔・簡素で「枯れた」印象を残す作品です。とはいえ、質の高さはまったく変わっておらず、とくに第2楽章アンダンティーノは「至高」という言葉がふさわしく、人間の手で書かれたものとしてはこれ以上ないのではなかろうかと思うような音楽です。ここのチェロパートは一度は弾いてみたい。

資料読みから書き出ししているときは、これで果たしてまとまるんだろうかと自分でも疑わしくなるんですが、なんとか形になってくれています。ペース的にも、ここまでだいたい1ヶ月に1曲仕上がっているわけで、思ったより順調にきています。これで、マイプロジェクトもついにあと1曲を残すのみとなりました。
posted by みっち | 23:50 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
ピアノ五重奏曲第2番 (フォーレ)
ウィキペディアに標記記事を立ち上げました。フォーレの室内楽作品シリーズ第8弾。とうとうここまで来たか、という感じ。

まだこのあとにフォーレはチェロソナタ第2番、ピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲を書くわけですが、規模的にはこの曲が最大で、かつフォーレの器楽作品の「頂点」とする評価にあまり異論はなさそうです。そのあたりのことは、各専門家がいろいろ言及してくれているので、抜き書きのパッチワークになっています。

作曲の経過は第1番ほど長くないけれど、楽章がひとつ多いことがあり、第1番の記事とほぼ同程度のボリュームとなりました。編集途中では、どうやってまとめるか見えていなかったんですが、できるところからやっていき、結果的にはけっこうバランスがいいんじゃないかと自画自賛f^^;。

困ったのが各楽章のどの楽想を第○主題にするかで、解説によって違う。一応、第1番との整合も考えて『最新名曲解説全集』にしたがったんですが、個人的には第3楽章などはネクトゥーの解釈の方がしっくりくるところもあります。一方で、どの楽章でも3つの楽想がほぼ同じ順番で扱われていく、という矢代秋雄の指摘は、おおっと思わされました。それで、途中から各楽章の譜例を3つずつに増やしたり。このため、Ponruy さんの[[弦楽四重奏曲 (フランク)]]を参考に弦楽四重奏の譜例に初挑戦しました。Ponruy さんには、[[ピアノ四重奏曲第2番 (フォーレ)]]の記事でもピアノ譜を修正してもらったのをはじめ、記事中の赤リンクの記事も立ててもらっており、大変お世話になっています。

個人的にもこの曲は別格かも。冒頭のつかみから一気に引き込まれます。第1楽章の雄大なコーダがまた素晴らしい。変幻自在なスケルツォを経て、後半には泣ける要素もいっぱい。録音は、どの演奏で聴いてもそんなに不満を感じることはないですが、やはり冒頭のヴィオラは大事かと。

さて、このシリーズも残りわずかとなりました。「ピアノ三重奏曲」はもう記事があるので、弦楽四重奏曲で終わりにもできるんですが、この際ですから、加筆しとこうかな。
posted by みっち | 10:13 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |