Profilレーベルから出ていたブルックナー・ボックス(23CD)。収録されているのは、交響曲のほか、合唱作品、オルガン作品、室内楽作品、ピアノ作品で、コンプリートとまではいかないかもしれませんが、このボックスひとつでブルックナー作品のほとんどが網羅されています。加えて、交響曲第9番のフィナーレ補筆完成版(ゲルト・シャラーによる)も収録されていて、交響曲全集として考えてもけっこう安かったのでポチってました。曲目リストを挙げるとそれだけで長くなるので、ここでは交響曲だけ並べます。
・交響曲ヘ短調「試作」:シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ(2015年録音)
・交響曲ニ短調「0番」:シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ(2015年録音)
・交響曲第1番ハ短調(キャラガン校訂による1866年リンツ版):シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ(2011年録音)
・交響曲第2番ハ短調(キャラガン校訂による1872年版):シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ(2011年録音)
・交響曲第3番ニ短調(1889年版):クラウス・テンシュテット/バイエルン放送響(1976年録音)
・交響曲第4番変ホ長調(1878/80年版):クルト・ザンデルリング/バイエルン放送響(1994年録音)
・交響曲第5番変ロ長調:ギュンター・ヴァント/ベルリン・ドイツ交響楽団(1991年録音)
・交響曲第6番イ長調:ベルナルト・ハイティンク/シュターツカペレ・ドレスデン(2003年録音)
・交響曲第7番ホ長調:シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ(2008年録音)
・交響曲第8番ハ短調(ハース版):クリスティアン・ティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデン(2009年録音、2枚組)
・交響曲第9番ニ短調:ギュンター・ヴァント/SWRシュトゥットガルト放送響(1979年録音)
・交響曲第9番ニ短調(シャラー補筆完成版):シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ(2016年録音、2枚組)
全11曲中、シャラー/フィルハーモニー・フェスティヴァ盤が6曲と半数以上を占めていますが、初期の4曲以外は7番と9番で、おまけに9番にはヴァントによる通常の3楽章版も収録されています。個人的にまあ聴くのは4番以降ということもあり、それほど目立つ感じはしません。シャラー盤の中では、7番はこの人に合っている感じがしました。初期の曲はよく知らないし、版についても違いがわからない(どれ使ってもそんなに変わらないんじゃ?)こともあり、あまり物が言えません。
9番の補筆完成版については後で述べるとして、先にシャラー以外の演奏について簡単に。収穫だったのは、テンシュテットの3番。ブルックナーというと「悠揚迫らず」で遅いほど立派みたいな傾向もありますが、この演奏はベートーヴェン的といっていいような、テンポ速めで適度に引き締まって説得力がある。この曲で初めていいと思えました。ザンデルリングの4番、ハイティンクの6番はいずれも貫禄。ヴァントは違うオケで5番と9番ですが、5番はギクシャクしてなんか変。ベルリン・フィルを振ったCDを持っていますが、あっちの方がよかった。9番はヴァントらしい厳しい造形と輝かしい表現で見事。問題なのはティーレマンの8番。この人のCDは持っていなかったので楽しみだったんですが、全然つまらなかった。うーん、どういうこと? 唯一印象に残ったといえば、スケルツォ主部の盛り上がりでヴァイオリンの持続音を一瞬ピアニッシモに落とすこと。これは楽譜に指定があるんでしょうか? 悪いけど、やらずもがなの小手先の技のような。オケにも魅力がないのは録音のせいか、それともダメになったのか? いろいろ疑問が残る演奏です。
シャラー vs ボッシュ 補筆完成版対決
さて、9番フィナーレの補筆完成版(シャラー版)です。手持ちに以前エントリしたボッシュ/アーヘン響の2007年録音(サマーレ、フィリップス、マツーカによる補筆完成版のコールス/サマーレによる2006年修正版)があるので、まずタイム表示から比較します。参照用として同じボックスからヴァント盤のタイミングも並べてみました。
・ボッシュ:19:56 10:46 18:49 20:19 約70分
・シャラー:25:54 10:59 24:04 24:40 約83分
・ヴァント:23:55 10:23 23:46
ご覧のように、ボッシュとシャラーでは演奏時間で10分以上の差があります。はじめの3つの楽章ではシャラーとヴァントの時間が近く、シャラーが特別遅いわけではありません。つまりボッシュがずいぶん速い。
ボッシュ盤のエントリでも書きましたが、ボッシュはこの曲を4楽章構成として見ています。おそらく、この発想はいままでなかっただろうと思います。ブルックナーがこの曲を4楽章として構想していたことはまず疑いないところ。しかし、3楽章までしか完成しなかったため、1と3の「両端楽章」に比重をかけて終結感を強調する演奏が一般的でした。だけど、それはあくまでも便宜的な措置であり、フィナーレが存在するならボッシュの解釈こそが本来のものだろうという、従来の「常識」の転換を迫っています。一方のシャラーは、ヴァントと近似値を示しているように第3楽章まででも成立する従来路線といえます。
もちろん、時間配分だけで良し悪しは論じられません。では演奏そのものはどうか。シャラー盤に共通して感じられるのは、音楽を丁寧に再現しようとしていること。それだけブルックナーへの愛情があるということでしょう。それもあってか、テンポは落ち着いた歩みになります。ただ、繊細だけど迫力にいまひとつ欠ける。第1楽章第2主題のように弦主体なところは、いろんな声部を引き立たせてなかなか聴かせますが、金管は常に抑え気味で物足りない。ブルックナーの魅力って、巨人が岩石を投げ飛ばし合うみたいな宇宙的スケールの快感があると思うのですが、そういう豪快さとは対照的なのがシャラーの演奏。仮に第3楽章までの演奏として捉えると、タイミングの近いヴァント盤に聴き劣りしてしまう。
そして、補筆完成されたフィナーレですが、シャラー版はテンポが遅めなだけでなく。おそらくボッシュのものより小節数も多いようです。あれこれ組み込んで、推移を滑らかに聴かせようとしているのかな。でもそれが必ずしもいい方向に働いているとは言い難い。むしろ劇性が減じてぬるさになっている憾みがあります。ボッシュ盤では、豪壮な響きがこれぞ紛れもないブルックナー、と思わせてくれるんですが、シャラーにはそれがない。曲の半ばからブルックナーの筆になる部分が少なくなるようで、両者の違いも大きくなっています。展開部の二重フーガなどの充実ぶりはシャラーの方に感じますが、再現部のボッシュはスケール感とテ・デウム音型の効果的な使い方で引きつけます。
コーダはどちらも二部構成で、共通して前半がカタストロフ、後半が讃歌という分け方が可能ですが、終わらせ方は両者まったく別物。シャラーはその前半を第1楽章冒頭の再現から始めるので必然的に長い。後半は、第8番の終わり方を踏襲して、これまでのモチーフを同時に鳴らすのですが、いろんなことをやりすぎていてカオス状態。トランペットがヒャラヒャラしてチンドン屋っぽいなど、8番の水準にも至っていません。かたやボッシュは、前半では第1楽章第1主題を第3楽章のクライマックスと合わせて端的にカタストロフを作り、後半は第7番の第1主題に由来する付点音符による下行跳躍から順次上行するモチーフ一本で頂点を築きます。このモチーフは第3楽章でもあちこち出ていて、フィナーレを暗示していたともとれるものなので、ごく自然な流れで簡潔ながら十分な高揚を示します。直球勝負が潔く、個人的にはブルックナー本人がやってもここまでうまくできたかどうかと思ったり(爆)。ひとことで言えば、8番もどきのシャラー対7番の延長線上のボッシュ。この勝負は、ボッシュの勝ちと見ます。
交響曲以外もひととおり聴きましたが、シャラーはここでも合唱曲やオルガン曲などを精力的に録音していて、ブルックナー大好きなんだろうなと思わせます。でも、いちばん耳に残っているのは弦楽五重奏曲ですねf^^;