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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
筒井康隆コレクション V

1. 『フェミニズム殺人事件』
2. 『新日本探偵社報告書控』
3. 『12人の浮かれる男』
4. 『女スパイの連絡』

 

(日下三蔵・編 出版芸術社)

 

全7冊の第5巻。『フェミニズム殺人事件』以外は未読でした。

 

『フェミニズム殺人事件』は1989年発表のミステリ作品。この作品の連載中には犯人当ての読者イベントが開催されており、作者による結果発表も収録されています。見事正解者がいますねえ。みっちは以前読んでいましたが、舞台となった古き良きを思わせる南紀のホテルのイメージとラストの主人公の台詞のみ記憶に残っていて、トリックや犯人などについては全然覚えていませんでした。あらためて読んでもさっぱり謎解きできず、アタマの悪さを痛感f^^;。でも、何年か経ったら、やはりホテルのノスタルジックなたたずまいと主人公の最後の一言だけは覚えている気がする(爆)。

 

また、作中で『文学部唯野教授』(1990)や『パプリカ』(1993)という、まだ発表前の作品タイトルがネタに使われているのが興味深い。時期的に、唯野教授は執筆中だったのかもしれませんが、パプリカはまだ構想段階? 筒井の推理ものでは、もっと前の『富豪刑事』(1978)もスチャラカで面白いんですが、もうひとつ『ロートレック荘殺人事件』(1990)があって、これはまだ読んでいません。

 

『新日本探偵社報告書控』(1988)は、筒井作品には珍しい、松本清張を思わせるような実録風の中編。戦後間もなくから昭和30年代初頭にかけての大阪が描かれています。実際に探偵業をやっていた叔父さんの記録からこの作品を思い立ったものらしい。作中で紹介される探偵社の報告がカタカナ書きで読みにくかったり、淡々とした筆致で物語として特段起伏があるわけでもないのですが、これらはあえてそうやっているんでしょう。読み進むうちに、実にリアリティに富んだ過去の世界が開けてきます。みっちの親世代やその上の人が読んだら、そうだった、こんなんだったとかみしめてしまうに違いない。『フェミニズム殺人事件』でも少し触れましたが、筒井の「ノスタルジック路線」とでもいえそうな系列に属する作品かと。

 

『12人の浮かれる男』(1975)は、同名の戯曲が存在することは知っていたのですが、小説版が先だったんですね。タイトルでおわかりのように、アメリカ映画の名作『十二人の怒れる男』(1957)のパロディ作品で、浮かれた陪審員たちが無実と思われる被告をよってたかって有罪にしてしまうというお話(爆)。この12人がみなキャラが立っているのがすごい。さすがです。

 

『女スパイの連絡』(1968)は、単行本未収録のショートショート。笑えます。

 

今回も解説が素晴らしく、前巻での眉村卓との合作では眉村から直接フォローがあったことが紹介されたり、いい仕事してるなあと感心させられました。

posted by みっち | 21:33 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
人はさまざま 歩く道もさまざま
芥川也寸志 対話集
(芸術現代社)


4月の北九響定期演奏会で芥川也寸志の『交響管弦楽のための音楽』を演奏することになり、プログラム解説でみっちがこの曲を担当することになったため、いくつか関連本を読んだ中の一冊。

1978年初版で、対談相手が横尾忠則(イラストレーター)、篠田正浩(映画監督)、仲谷昇(俳優)、小倉寛太郎(ハンター)、糸川英夫(工学博士)、平野威馬雄(フランス文学者)、橋本忍(脚本家)、松平康隆(元全日本男子バレーボールチーム監督)、皆川達夫(音楽学者)、柳原良平(イラストレーター)、中島みゆき(シンガーソングライター)、植草甚一(評論家)、寺山修司(詩人)、多湖輝(心理学者)という顔ぶれ。いまからざっと40年前にどんな人が第一線で活躍していたかがわかります。さすがに物故者が多いですが、いまだに現役の人がいるのはすごいですよね!

芥川は必ずしも聞き手というわけではなく、自分からけっこう語っています。作曲については、「プラスでなくマイナスの音楽」を構想していたようで、何回か触れています。ピアノの鍵盤を全部鳴らして、そこから音を引いていくような実験もしていたらしい。シューマンの『蝶々』のラストで、和音から順次指を離して消えていくのに似たイメージでしょうか。チェロを弾く糸川英夫には、芥川が「オーケストラなんか練習していて、(チェロパートに)もっと高くお願いしますっていうと、ハイハイって、どんどん姿勢が低くなっていく。(笑)」とやっているんですが、そういう楽器なんだからしょうがないじゃん、ていうかおかしくない? どんだけ高くお願いしてるわけ(爆)。一方で、音楽学者の皆川達夫とは、「中世ルネサンス音楽史の権威」と紹介しながらワイン談義に終始していますf^^;。これはこれで楽しい。

どの対話も面白いんですけど、いちばん印象に残っているのはハンターの小倉寛太郎かな。アフリカで実際に猛獣を狩っていた人の体験談で、ちょっとほかでは聞けないし、いまではもはや無理かも。芥川のオカルト嗜好?も多分に現れていて、横尾忠則とは初っぱなから空飛ぶ円盤を見た話で盛り上がって、あ然とさせてくれます。平野威馬雄ともお化け談義が繰り広げられ、芥川が「コックリさん」で百発百中だと自慢しているのがニントモカントモ(爆)。寺山修司との対話では、芥川が屍衛兵の経験を語っています。死体置き場の外で見張り番をしていると、背後で何体もの死体が死後硬直によって寝返りを打ったり床に爪を立てたりする音が夜通し聞こえたというのが、なんともすさまじい……。あと、芥川自身は「なんとなく腎臓で死ぬっていう予感」を語っていますが、ウィキペディアには肺癌で逝去とあるので、これは外れたみたいです。
posted by みっち | 21:12 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
筒井康隆コレクション IV
1. 『おれの血は他人の血』
2. 『男たちのかいた絵』
3. 単行本&文庫未収録短編
4. 筒井康隆・イン・NULL4(9号〜臨時号)

(日下三蔵・編 出版芸術社)


全7冊の真ん中にさしかかりました。第3巻の刊行が遅れたので、読んでいるうちに第4巻が来てしまいました。

『おれの血は他人の血』は、昔読んでものすごく面白かった記憶があります。例の「エスクレメントオ!」で、こっちの血まで入れ替わるような興奮を覚えたものです。ヤクザの抗争を描いている点で、ハメット『血の収穫』がすぐ浮かんできますが、小説中でも「まるでダシェル・ハメットだな」という台詞が登場するので、もちろん確信犯というか、『血の収穫』をもっと徹底的にやったらどうなるかといったあたりが執筆動機ではなかろうかと。ハードボイルドかつスラップスティック的な展開を見せながらも物語としてきっちり完結している点で、筒井の長編の中でももっともわかりやすい小説ではないかと思います。

『男たちのかいた絵』は、今回が初読。文庫になっているんですが、読めてなかった。ヤクザものということで『おれの血は他人の血』ともつながる世界ですが、こちらは短編集で、しかも主要登場人物がほぼ全員アブノーマルな性癖の持ち主のため、全体を通じてヤクザ=変態という図式が浮かび上がってくることになります(爆)。その筋から抗議などはなかったのか、心配になります。筒井はこのあとしばらくして断筆宣言に至るのですが、理由はこれとは全然違うものだったわけで。9本目の写真小説『男たちのかいた絵』は、先立つ8本の中から何作かを合体させて1996年に豊川悦司主演で映画化し、これをスチール写真付きでノベライズしたもの。筆者は花田秀次郎とクレジットされていたのですが、実は断筆中の筒井康隆本人の変名だったというオチ。

第3部は5篇。みんな面白いけど、「社長秘書忍法帖」で筒井が山田風太郎に接近しているのが楽しい!

第4部のNULLは、1964年の臨時号(第3回日本SF大会。筒井が実行委員長)で終刊となるため、シリーズもこれでおしまい。第10号では、櫟沢美也の正体が明かされています。びっくりだったろうなあ。
posted by みっち | 13:59 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
筒井康隆コレクション III
1. 『欠陥大百科』
2. 『発作的作品群』
3. 単行本未収録ショートショート
4. 筒井康隆・イン・NULL3(6号〜8号)

(日下三蔵・編 出版芸術社)


すぐ出そうだったコレクション第3巻が音沙汰ないまま年を越してしまい、どうなったのかと思っていましたがようやく刊行されました。編者解説で2015年4月に出版芸術社が新体制に変わったことの報告があり、そのことと関係があったのかも。企画は継続されるようなのでとりあえず安心しました。実はもう第4巻が出ているし。

『欠陥大百科』は、文庫化されなかったためにこれまで読んでいなかった作品。百科事典のような体裁で短編小説とエッセイが混ざっています。1970年の発行ということもあり、エッセイはさすがに時代を感じます。政治的な立場を鮮明にすることはなかった筒井康隆にしても、安保闘争がそう遠いものではなかったことがわかります。昔読めていたら刺激になったろうなあ。精神病院の取材もこの人ならではか。

『発作的作品群』は、小説、エッセイ以外に戯曲や講談、座談会まで入ったごった煮的作品集。基本的に他の作品集で読めるものは除外されていますが、それでもどこかで読んだぞ、と思ったものもありました。ここでは「岩見重太郎」と「児雷也」の2つの講談が印象的。筒井康隆の歴史ものは『筒井順慶』ぐらいしか読んだことがなかったので、こういうのがあると、こっち方面もかなりいけたはずと思えてきます。70〜71年の作品。

単行本未収録ショートショートは、月刊「家庭全科」に連載されていたものだそうです。これも71年なので、当時どれだけ書きまくっていたかがわかりますね。

最後のNULL3では、櫟沢美也名義の作品が3本入っているのが楽しい。どれも不思議な味わいで、本当は誰が書いているのか知らない人が読んだら、どんな才能ある女流が現れたかと興味を惹かれること間違いなしでしょう。櫟沢美也作品集として1冊出しても良かったんじゃないかな。
posted by みっち | 21:23 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポホヨラの調べ
シベリウス&ニルセン生誕150年〉
『ポホヨラの調べ』 指揮者がいざなう北欧音楽の森

新田ユリ 著(五月書房)


今年はシベリウス生誕150周年ということで、シベリウス・イヤーとなっています。北九響の11月の定期演奏会でも、後半にシベリウスの交響曲第7番、『フィンランディア』がプログラムに予定され、指揮していただくのはこの本の著者、新田ユリさん。日本シベリウス協会の会長でもあり、先日1回目の指揮者練習があったところです。

タイトルの「ポホヨラ」とは、フィンランドの叙事詩『カレワラ』に出てくる地名で、魔女ロウヒが住む北の国です。この謎めいた地で英雄ワイナモンネンやレミンカイネンの冒険が展開される、というわけで、シベリウスの音楽とは切っても切れない関係ですね。

以下の4章から構成されています。
I. シベリウスの7つの交響曲
II. シベリウスの主な管弦楽曲
III. ゲーゼからニルセンへ
IV. ポホヨラの調べを受け継ぐ者たち

中心はやっぱりシベリウスで、楽曲解説というよりは、作曲当時のシベリウスやフィンランドの状況、音楽のあり方やイメージの核となっている部分を抜き出して特徴的に示す、というスタイルであり、読んでいろいろな発見がありました。例えば、今回北九響が演奏する交響曲第7番については、「未来に続く一筆書き」、「たどり着いた"ド"」という小見出しが付けられています。「一筆書き」は、練習で「途中で止めることが難しい曲」といわれたことと一致します。「ド」に向かって一筆書きのように収束していく曲、ということになるのかな?

シベリウスと並んでデンマークのニルス・ゲーゼとカール・ニルセンについても紹介されていますが、二人ともみっちにはなじみのない作曲家です。ニルセンは激安CDを買って聴いたはずですが、記憶がない(爆)。ゲーゼはシューマンの伝記に登場するので名前だけは知っていました。メンデルスゾーンに招かれてライプツィヒにやってきており、シューマンはゲーゼの名前から自作のピアノ曲にGADE音型を取り入れたりしています。メンデルスゾーン辞任後のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者にゲーゼが選ばれたことで、同じく後任を狙っていたシューマンが落胆し、ドレスデンに移住する一因になったといういわくつき。

加えて、巻末リストとして「北欧の作曲家200人」が参考CDとともにリストアップされており、北欧の音楽に接してみたいという方には非常に使えるガイドブックになっています。きれいで雰囲気のある装丁もいい。
posted by みっち | 17:34 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
筒井康隆コレクション II
1. 『霊長類 南へ』
2. 『脱走と追跡のサンバ』
3. マッド社員シリーズ(全5作)
4. 筒井康隆・イン・NULL2(4号〜5号)

(日下三蔵・編 出版芸術社)


筒井康隆コレクションの2冊目。もうすぐ3冊目が出るらしいので、あわてて読みました。

『霊長類 南へ』(1969年)は、いわゆる「最終戦争もの」、「終末もの」の長編で、その発端のくだらなさがいかにも筒井康隆らしい。その後も人類の愚かさ加減が克明に描かれ、実際こんな結末になってしまっても不思議じゃないどころか、可能性高いよねと思わされます。そんななかで、主人公と女友達の珠子、転落するバスから運よく救出されたツヨシ少年の3人の関係がわずかに救いになっています。この長編には、先に発表された二つの短編がエピソードとして挿入されており、短編発表時のものも掲載されていて、両者を比較することができます。また、文庫版に付いていた小松左京の長い解説が読めるのも貴重です。筒井康隆の作風に関する分析がほとんどで、物語への言及自体はごくわずかなのですが、面白いし、この作品についてはホント読めばわかるので、解説は不要でしょう。
 
『脱走と追跡のサンバ』(1971年)は、『霊長類 南へ』の明快さとは好対照といえるかも。実験的・メタフィクション的作品の系列に属する最初の長編で、後の「七瀬」三部作(とくに『エディプスの恋人』)や『虚人たち』などにつながるテイストがあります。思えば、このころからすでにこういうものを書いていたんだよなあ。読んだ当時は意味がよくわからず、とまどった記憶があります。これを最高傑作という人がいるらしいんだけど、なんで?みたいな。だれか詳しい解説を書いてくれないかな、とも。とはいえ、テンポのよさであっという間に読めてしまうのは、初期作品に共通する要素です。

「マッド社員」は、リクルートの就職情報誌『就職ジャーナル』のために書かれた連作で、主人公の名前が更利萬吉という会社ものになっています。これは知らなかった。掲載媒体を意識してのことでしょう、筒井康隆にしては軽く、落語あるいは小咄の一種として楽しめます。

NULL4号〜5号からの抜粋では、「櫟沢美也」名義で書かれた「マリコちゃん」と「きつね」が懐かしい。これらは角川文庫の短編集『にぎやかな未来』に収録されていたのを読みました。ですます調で童話風な語り口がいかにも女性ぽいんだけど、ブラックなんですよf^^;。小松左京が作者の正体を筒井康隆とは知らずに会いたがったというエピソードは有名? 掲載作に寄せられた星新一のコメントも収録されていて、「御三家」が顔をそろえたかっこう。当時の雰囲気が伝わってきます。
posted by みっち | 20:38 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
シューマン本の世界 その2
前回エントリのつづき。

7. 門馬直美『シューマン』(春秋社)

門馬直美(音楽評論家)は2001年に亡くなっており、この『シューマン』は遺稿集としてまとめられ、2003年に刊行されています。生涯と作品解説という構成ですが、遺稿だけでは不足する箇所を過去の著作やレコード解説などから充当しています。音楽之友社の「名曲解説」シリーズなどでのシューマンの楽曲の多くは門馬直美による解説で、結果として、これ読んだなあ、というものがかなりあります。裏返していえば、日本でのシューマン受容に門馬直美が果たした役割がそれだけ大きかったということになりますね。本当にお世話になりました。

で、書き下ろし部分についていえば、生涯の部分は読みやすくまとまっていますが、例えばシューマンの死因や指の故障についてウォーカー本などは反映されておらず、新しい情報は乏しいといわざるを得ません。ただ、ところどころでほかにない記述があり、とくにヴァイオリン協奏曲をめぐる経緯やシューマンの家族、他の音楽家たちとの関わりについての章は充実しています。もし著者にもう少し時間があれば、他の部分についてもさらに記述がふくらんだかもしれないと思うと残念です。以上のように、情報が古いままのものとそうでもないものが混在していますが、日本人の著作で現在読める「シューマン本」としては、おそらくもっともまとまったものでしょう。

8. 前田昭雄『シューマニアーナ』(春秋社)

はじめにいっておくと、『レコード芸術』で前田昭雄の連載を読んでいたみっちは、書かれた内容の面白さにはしばしば感心させられたものの、独特の持って回ったような面倒くさい文章が嫌いでした。この本を後回しにしたのはそのため、ではなくて、これだけは図書館で借りられず、Amazonで古本を取り寄せなくてはならなかったからf^^;。定価より安かったからいいけど、もう絶版とは。

内容は、著者の「フィルハーモニー」誌などへの寄稿文をまとめたもので、交響曲を扱ったものが中心。例えば交響曲第4番の第1楽章の構成についての解釈などは、これを読む前と読んだ後では、まるっきり感じ方が変わるんじゃないかというほどのインパクトです。ただ、「ライン」の解説を書く目的からすると、なぜか第3番についての情報がいちばん少ない(爆)。それでも、他では読めない指摘の数々で、ちょっとこれどうしようかな、使いたいけど、マニアックすぎるかもなあ、と悩んでいるところf^^;。ほかには、ピアノ協奏曲の成立過程や大作『ファウストからの情景』についての解説などがあり、とくに後者は他に文献もなく貴重ですが、この曲のCDをちゃんと聴けてないので、いずれあらためて。

もっと端的・直截にいえないのか、と抵抗を感じる書きぶりは相変わらずというか、昔みっちがそう感じていたころに書かれた文章だしf^^;。日ごろからシューマンを研究していなければいえないだろうことがてんこ盛りで、シューマン好きなら必読といっていい本です。とくにみっちが共感したのは、シューマン批判への批判で、例えば「シューマンのピアノ曲はシンフォニックといわれ、シンフォニーはピアノ的といわれ、しかも両々否定的なニュアンスでいわれることが多い」(「詩的想念と音楽」)とか、「人は理解できぬものに対してはさしあたり否定的な評価を下すことになる」(「第二交響曲について」)とか。いやまったくその通り。いってやっていってやって(爆)。

惜しむらくは、寄せ集めの成立過程もあって、章によって文体がまちまちだったり、せっかくの作品論が「とりあえずここまで」という感じにとどまっていることです。アラン・ウォーカー本の訳者「あとがき」で、先月亡くなった横溝亮一が前田氏に次のようなエールを送っているのに尽きます。

「私としては本書がシューマン理解にいくばくかでも役立つことを願うと同時に、日本で本格的なシューマン評伝と作品研究書があらわれることを期待している。現在、チューリッヒ大学で教えておられる前田昭雄氏は、ヨーロッパでも有数のシューマン研究家として知られている。氏にはすでに大変興味深い著作『シューマニアーナ』などがあるが、今後、前田氏に重厚なシューマン伝、作品論などを発表して頂きたいという期待を持つのは私だけではあるまい。」


番外編:奥泉光『シューマンの指』(講談社)

2010年、シューマン生誕200周年に発表された小説。フィクションなので「番外編」ということで。「誰が振っても『感動的』に盛り上がるチャイコフスキーのごとき凡庸な音楽とシューマンは根本から違うのだ。」などと、のっけから挑発的な言葉を登場人物に吐かせており、このほか至るところで著者のシューマン愛というか、思い入れの深さがうかがえます。『幻想曲』(作品17)を頂点とするシューマンのピアノ曲についての記述も詳しく、あとこれに譜面が載せてあれば、立派な楽曲解説本として通用するレベルではないかと。折しもみっちはシフのピアノによる『幻想曲』や『森の情景』などシューマンの2枚組録音を聴いていたところで、この本のおかげでより楽しめました。

問題なのは、ミステリー仕立てのストーリーの方かなf^^;。ピアニスト志望だった日本人の手記という形で、永嶺修人なる天才少年の思い出が語られます。この「修人」が「シューマン」を漢字に当てはめたものだということはふつうにわかると思うのと、事実関係の記憶があいまいで、読み進むうちに彼の実在性がだんだん疑わしくなっていきます。このため、やがて起こる殺人事件がどこか現実味に乏しく、被害者もだれそれ? わざわざ事件起こさなきゃいけない相手? というくらいのインパクト。なので最後のオチは、うーん困ったもんだというか、結局クララに相当する人物はどこにもいなかったのね、という落胆の方が大きいかも。それに、同性愛を根底に流すんだったら、子だくさんなシューマンよりもチャイコフスキーの方がよほどふさわしいと思ったり(爆)。
posted by みっち | 22:45 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
シューマン本の世界
子供のころ家にあったオルゴール時計の「トロイメライ」以来、シューマンが好きだったのですが、作曲家に関する知識としては一般的な範囲を出ていません。以前、ウィキペディアにシューマンの交響曲記事を書いたときも、参考にしたのは『名曲解説全集』や手持ち音盤の解説ぐらいで、とりあえず立ち上げてみた程度のものでした。来る定期演奏会のプログラムに、シューマンの交響曲第3番の曲目解説を書くことになり、この際ちゃんと読んでみよう、と思い立ち、図書館からいろいろ借りてきました。途中経過として、拾い読みも含めてとりあえず目を通しているものについてざっとご紹介。手に取った順です。

1. 『作曲家別名曲解説ライブラリー シューマン』(音楽之友社)
ジャンル別に出ている『名曲解説全集』を作曲家別にまとめ直したもの。したがって、交響曲や室内楽曲などはすでにみっちが持っているものと同じ内容です。シューマンに限った話ではありませんが、そろそろ改訂を考えてもらえないものかと思います。まあでも、管弦楽曲や合唱曲などはまだ読んだことがなかったので参考になったし、生涯については簡潔ながら、シューマン研究本も書いている前田昭雄による比較的新しい文章が読めます。

2. 池辺晋一郎『シューマンの音符たち』(音楽之友社)
作曲家の「音符たち」シリーズのひとつで、文字どおり「音符」をめぐって和声やリズムなどシューマンの作曲手法・音楽語法について語っています。逆に、シューマンの生涯や評価といった周辺のあれこれにはほとんど触れていないのが独特。ヴァイオリンソナタ第3番や『ミニョンのためのレクイエム』といった、ほとんど演奏されない晩年の作品も取り上げているのはさすがで、池辺さんはシューマンけっこう好きなんですね。フルトヴェングラーの指揮した交響曲第4番でシューマンに引きつけられた、という話にも親近感を覚えました。みっちもFMでこの曲を聴いて、同じような感動を覚えたもので。ただし、フルトヴェングラーだったかどうかは覚えておらず、カラヤンかも(爆)。

3. 井上和雄『シューベルトとシューマン 青春の軌跡』(音楽之友社)
後半のシューマン編だけ斜め読みしましたが、生涯など事実関係の大半が後述のブリオン『シューマンとロマン主義の時代』からの引用で、ここまであからさまなのも珍しい。引用を除くと、残りは著者自身の弦楽四重奏体験などから好きな曲についての思い入れや感想となり、とくにどうということもない、というかみっちにも書けそうな内容(爆)。ちなみに著者は経済学者? ウィキペディアにはそう書いてあります。ここに挙げた中では新刊の部類(2009年)ですが、下のウォーカーは読んでいないらしい。シューベルトの方も読みかけましたが、面白くないのでやめました。

4. アラン・ウォーカー『シューマン』(東京音楽社)
「大作曲家シリーズ」の1冊。1976年の著作で、先月亡くなった横溝亮一による翻訳(1986年)です。とりあえず「ライン」に関係しそうな終わりの方を中心に読んだのですが、シューマンの指の故障や死因について、新しい研究を元にしたかなり詳しい言及があり、うならされました。小ぶりな装丁で全体としては簡潔なんですが、踏み込んでいるポイントが鋭いというべきか。今後、シューマンについて語るなら、これは押さえておくべきでしょう。

5. 『ローベルト クラーラ シューマン 愛の手紙』(国際文化出版社)
1832年から1855年まで、シューマン夫妻が交わした書簡集です。つまり、恋愛以前?の無邪気なやりとりから、シューマンがライン川に身を投げた後の手紙までが読めます。中心となるのは、二人がお互いの気持ちを知ってから1840年に結婚にたどり着くまでの約5年間で、クラーラの父親フリードリヒ・ヴィークの妨害により、会うこともままならなかった二人はヴィークに隠れて頻繁に手紙を交わしています。当時シューマンは20歳代後半で、作曲しながら『新音楽時評(音楽新報)』に健筆を振るっていたわけですが、9歳年下のクラーラはまだティーンエージャー。父親のプロデュースによりアイドル・ピアニストとしてデビューを果たしていました。

おそらくこのころのシューマンにとっては、手紙だけでなく、自分が生み出すピアノ作品こそは二人を結びつける最大の手段であり目的だったのではないでしょうか。自分の思いを込めたピアノ曲をクラーラが弾くことによって、二人の絆と愛が確かめられる。このことは、結婚が現実感を帯びてきた1840年からはシューマンの作曲分野が歌曲に移り、その後は交響曲、室内楽へと広がっていったことからも窺えます。こうして、シューマンがリアルタイムでピアノ曲やリートを作曲している様子が語られ、ほかにもメンデルスゾーンやリストら同時代の音楽家たちとの関わりや、シューベルトの「グレイト」交響曲への「天国的長さ」という表現が登場するなど、いろいろなことがわかって面白い。

クラーラの手紙がまたいいんですよ。心を決めると男以上に強い意志を持つ、という点で、夏目漱石の『それから』を連想させるところがあります。けなげで一途で可憐で、こりゃシューマンならずとも男はだれでもイチコロだ(爆)。

6. マルセル・ブリオン『シューマンとロマン主義の時代』(国際文化出版社)
1958年の著作でちょっと古いものの、情報量は多い。上記井上本の元ネタでもあり、バンバン引用されています。内容的には、タイトルどおりシューマンの生涯と同時に、その背景となっているドイツ・ロマン派文学についてもページが多く割かれているのが特徴。このため、話があっちこっちにいってなかなかシューマンが登場しませんf^^;。もともと文学青年で、音楽に文学的な内容を持ち込んだともいわれるシューマンなので、こうしたアプローチは必要なものでしょう。ジャン・パウルへの傾倒をはじめ、シューマンとマーラーの文学的嗜好はかなり一致している感じがします。ただ、みっちが実際に読んだことがあるのはゲーテの『ファウスト』やホフマンの『黄金の壺』ぐらいで、ジャン・パウルはおろかシラーもノヴァーリスもヴァッケンローダーも知らずに、この本1冊でドイツ・ロマン派をわかったつもりになりそうなのが問題(爆)。

いまは、門馬直美の『シューマン』を読んでいるところ。このあと、前田昭雄の『シューマニアーナ』も読むつもり。
posted by みっち | 22:19 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
陳舜臣『太平天国』
講談社文庫(全4巻)

陳舜臣の訃報に接して、読みました。

1982年の作品。陳舜臣は初期にミステリー作品を多く発表していますが、1967年の『阿片戦争』を皮切りとして、いわゆる「中国史もの」のジャンルを開拓していきます。『太平天国』は、同じ清末を扱っている点で『阿片戦争』の続編ともいえる作品です。基本的には大商人の息子で連理文という人物の目を通して物語が展開しており、『阿片戦争』を読んでいないので確かなことはわかりませんが、もしかすると『阿片戦争』でも連家の人々が登場しているのかもしれません。

全4巻で「大作」といえる長さですが、さらっと読めてしまうところが陳舜臣のすごさだと思います。物語を日本から始めるあたりもいかにも、と思いました。ここで大久保利通の名前が出てきたりします。また、物語序盤で、アヘン戦争時の欽差大臣として清側の立役者だった林則徐が、乱収束後の清仏戦争時に欽差大臣となる左宗棠と会談する場面は、時代の変遷を感じさせて印象深い。

内容的には、拝上帝会(太平天国)が南京を攻略して天京と称するまでがほぼ3巻分で、その行軍と膨張過程、清側の対応が詳しく語られています。最後の1冊で滅亡まで描くんですが、落ち目になると早いf^^;。というか、この膨張過程の中で、拝上帝会の強さと清軍の弱さが裏表のような関係にあることが描かれていて、南京を陥落させるあたりから次第にこの差がなくなっていき、内部崩壊が衰退に拍車をかけるわけで、読んでいて、来るべきものが来た、と納得します。ユートピアをめざした結果が、酸鼻きわまりない殺戮と化す。人間、金や権力を持つようになると堕落するんですよね。オーディオ・ビギンの小山さんが「金持ちは罪。貧乏であれ」と唱えるわけだ(爆)。

主人公格の連理文は、拝上帝会との関わりの中で一人の魅力ある女性と出会い、やがて結ばれます。これが救いになっています。陳舜臣、優しいよね。
posted by みっち | 22:30 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
陳舜臣 没
こないだも声優の大塚周夫の訃報を目にして「ってえと、ブラック魔王〜〜!」と嘆いたところだったのですが、今度は作家の陳舜臣が亡くなってしまいました。

みっちが読んだのは『秘本三国志』、『諸葛孔明』、『中国の歴史』あたり。三国志ものは好きでいろいろ手を出しましたが、陳舜臣の作品は、歴史研究をふまえた上で新たな視点や解釈を提示しているところが新鮮でした。ただ、小説としてはドラマチックに盛るタイプではなく、講談調の血湧き肉躍る大ロマンというよりむしろ大きな歴史の一部を切り取ったような精緻で平明な印象を与えるでしょう。

小説家であり歴史家でもある陳舜臣の立ち位置がよく示されているのが『中国の歴史』だと思います。この作品は小説ではなく中国史の解説で、三国志しか知らなかったみっちに「中国四千年」の概観を与えてくれました。さらに、ここに紹介された東周(春秋戦国)時代の故事から、古代中国を扱った宮城谷昌光作品との出会いにもつながりました。

中国の近現代史についても作品があるのですが、それほど興味がなかったため、いつか『太平天国』を読もうと思っていてそのままになっていました。この機会に読むとしましょうか。合掌。
posted by みっち | 23:45 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |