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ヴィト/ポーランド国立放送響によるマーラーの交響曲第5番

・マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調


アントニ・ヴィト指揮、ポーランド国立放送交響楽団
 

1990年8月16-18日録音
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)

 

ナクソスのマーラー交響曲全集から第5番を聴きました。ボックスの7枚目に収録されています。演奏時間はトータルで約75分。
 

声楽の入らない純器楽のためのマーラーの交響曲としては、5番は1番に次いで演奏機会が多そう。しかし、独特な楽章構成のため、納得のいく演奏は案外少ないのでは? ここからしばらくは、演奏と直接関係のないみっちの妄想なので、前もってお断りしておきます。能書きはいらん、という人は、括弧書きのところからお読みください。
 

曲は5つの楽章からなり、5楽章構成はわりとマーラーにはあります。第1楽章が異例のゆっくりとした葬送行進曲、第2楽章がいわゆるアレグロ楽章、第3楽章が大規模なスケルツォ、第4楽章が遅い「アダージェット」、第5楽章が快活なロンド・フィナーレ。楽章ごとの演奏時間ではスケルツォがいちばん長く、全体の流れをこのスケルツォが分断しているように見えるのがこの曲最大の疑問点でしょう。
 

マーラーはなぜ、こんなことをしたのか? 作曲者自身が出している答えがひとつあります。楽譜に書かれている三部構成がそれで、I(以下、楽章をローマ数字で表示)とIIが第一部、IIIが第ニ部、IVとVが第三部とされています。つまりマーラーは、スケルツォ楽章を意図的に独立させています。
 

もう少し詳しく見ると、第一部と第三部はともに二つの楽章でできていて、先の楽章が遅く後の楽章が速い。また、先の楽章の素材が後の楽章に使われている点でも一致しており、I→II、IV→Vがそれぞれ「序奏」と「主部」のような関係にあることで相似形です。さらに、IIの終わりではVのコラールが予告されており、第一部と第三部が直接結びついています。こうして見ると、ますます真ん中の長いスケルツォだけが浮いているように思えてくる。どうしてマーラーは曲のど真ん中に関係の薄そうな、長くて間奏曲ともいえないような音楽を置いたのか。
 

その答えは、スケルツォこそがこの曲の中心だからではないでしょうか。いやまあ、そのまんまなんですが、楽章順というだけでなく、音楽的にもこの楽章が中心だということをいいたいわけです。マーラーがスケルツォに重きを置いていたということを踏まえれば、この楽章の充実ぶりにも納得がいこうというものです。
 

いくつか足しになりそうなヒントを挙げると、スケルツォ楽章は必ずしも独立してはいません。Vの主要主題は移動ドでいえばラーソファミという順次下行音型で、これがスケルツォに出てきます。具体的には、第3主題(第2トリオ)のホルン音型の合いの手としてトランペットなどに特徴的に現れ、楽章の締めくくりではうるさいぐらい連呼されます。つまり、IIIはVに結びついており、もしこの後アダージェットを飛ばしてフィナーレを演奏したとしても、案外スムーズにつながるはず。もしかすると、アダージェットは後から書かれたんじゃないでしょうか。マーラーはこの曲の作曲中にアルマと出会っているわけで。
 

そもそもこの曲はマーラーの作品中でもパロディ色が強く、冒頭のファンファーレからしてメンデルスゾーンの結婚行進曲のパクリです。本職指揮者のマーラーがこれを知らないワケがない。「結婚は人生の墓場だ」というような表現がありますが、マーラーはそれを音楽でやっている。そのくせ、自分はまもなくアルマと結婚しているわけで、ブーメランになっていることは自覚していたはず。もうひとつ、フィナーレの冒頭も自作『少年の魔法の角笛』の「高い知性を讃えて」のパロディで、当該詩の内容はカッコウとナイチンゲールの歌比べをロバが判定するというナンセンスもの。このあたり、自分でボケてツッコむマーラーの姿が浮かんできます。もちろん、マーラーとアルマがその後どういう運命をたどるか、この時点では知る由もありません。
 

というわけでこの曲、とくに前半は深刻そうに聞こえますが、マーラー本人はきっと楽しんで書いたに違いありません。仮に各楽章に表題をつけるとしたら、どうでしょう。例えばですが、I「葬送」、II「嵐」、III「田舎の踊り」、IV「愛」、V「動物さんたち大集合だわいわい」(爆)。最後のは、最近よく耳にしたポップス曲の歌詞で、知っている人もいると思います。岡崎体育「感情ピクセル」の話をしだすともう一エントリできそうですが、5番のフィナーレにまさにピッタリではないかと膝を打った次第。で、演奏としては、中心となるべきスケルツォをいかに面白く聴かせるかが勝負どころではないかと思います。個人的には、これまで聴いた中ではプレートル指揮ウィーン響のライヴ録音が最高だと思っています。
 

(ここからが演奏の話f^^;)
さて、長い脱線終わり。ヴィトの演奏ですが、まずもって、これまで書いたようなことは、ヴィトの場合全然考えていないっぽい(爆)。全体的に緻密で、各声部をきっちり鳴らす精度の高いアンサンブルはこのシリーズの特徴でもあります。テンポは中庸もしくは遅め。じっくり聴かせる点で比類がなく、説得力と充実具合は素晴らしいのですが、反面、楽章ごとのメリハリのようなものは考慮されておらず、通して聴くとやや停滞感がある。プレートルなどとは対極的な位置にある演奏でしょう。とはいえ、楽章ごとの演奏時間を見ると、I:12:50、II:14:56、III:19:33、IV:12:03、V:14:53となっていて、上に書いた構造が巧まずして透けて見える感じになっています。

 

個別には、Iでトランペットのファンファーレ部分と主部の葬送主題でテンポが違うのがユニーク。弦の旋律が入ってくるとガクっと遅くなります。IIでは各声部の絡み方が鮮やか。これだけくっきりした演奏はそうないでしょう。第2主題ではかなり遅くなりますが、チェロはよく歌っています。最後に光明が垣間見えるシーンは実に壮大で、このまま終わってもいいと思うくらい。IIIの主部はそれほど遅くありませんが、中間部に入ると止まりそうになるくらい腰を落とします。ホルンは協奏曲的に活躍するし、中身は濃いですが、もうちょっと楽しげな表情があってもいいのじゃないかなあ。IVはきわめて遅く、アダージッシモといった感じ。しかしアンサンブルの精度と集中度は高く、中間部も美しい。Vは多声的に書かれているだけに、ヴィトの面目躍如といったところ。各声部の動きが鮮やかで、たくましい金管がクライマックスへ向かって盛り上げていきます。
 

5番の録音はこのシリーズでは最も早い時期のもので、やや輪郭が強調されている点で前回の4番と近い音作りです。より新しい録音で聴ける2番や3番などの方が木管の繊細な響きなどが引き立ってより立体的ですが、初期録音の力強さを好ましく思う向きもあるかもしれません。

posted by みっち | 12:41 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
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