きのうは北九響の練習日。弦セクションのみの参加で、ゲストトレーナーとしてマロこと篠崎史紀さんをお迎えしました。以下、マロと呼ばせていただきますf^^;。世界的ヴァイオリニストが地方のアマオケを指導するということで、NHK北九州支局が密着取材しており、スタッフが最後までカメラを回していました。4月3日のローカル番組に乗るようです。
マロの第一声が「ただいま!」。お帰りー(拍手)。マロは学生時代にこのオケのコンマスだったんですよ。今回はトレーニングといっても、難しいところを弾けるようにするというようなことではなく、うまいオケのように聞こえる、ランクが上がったように見える奥義の伝授ということで(爆)、それはイ◯◯◯ではないのかという疑問もありましょうが、決してそのようなことはございません。感動できれば、それがホンモノです。というわけで、略してマロテク。曲は、4月の定期演奏会で予定しているシベリウスの交響曲第2番を冒頭から全曲さらっていく形になりました。最後にちょっとだけグリーグのピアノ協奏曲第2楽章も。
まずは第1楽章最初のさざ波のような音型。ここで各奏者の弓の幅をそろえるとうまく見える。なるほど。途中でmp→pへのダイナミクス変化がありますが、ここで音量を1ランクでなくもっと下げることで、うまいオケに感じるという。これはそう見えるというか、実際にうまいオケはそうやって対比を意識しているということなんでしょうね。こんな感じで、覚えている限りで以下のような内容でした。
・弦のユニゾンではパートの音の高さで低い方ほど大きくする。親ガメの上に子ガメ、その上に孫ガメという感じで乗っかることで、倍音が豊かになって響きが増す。指揮者がユニゾンでもっと大きくと要求したときは、力任せでなくこのバランスを意識すること。
・クレッシェンドでは、低音が早く音量アップし、高音はその後から盛り上げて低音を追い越すイメージで。
・第1楽章の終わりは、弾き終わっても弓をすぐには上げない。また、弓のどの位置で終わるかをあらかじめ決めて、もっと前からそこをめざして運弓する。
・ピッツィカートは、指で弾くというより弦に置いて切るイメージ。速い連続では難しいが、親指の支えがあれば安定する。アルコに切り替えるときに弓を手の中に落とす要領で素早く持ち直す練習をしておくと、応用が効く。
・アッチェレランドやストリンジェンドは、最後の到達点から逆算して速度変化を設定し、加速のタイミングは指揮に応じて合わせる。
・ポコ・フォルテは、強弱というよりリラックスという意味。これはブラームスが盛んに使った指示で、彼の影響を受けたフックスやドホナーニ、その弟子に当たるツェムリンスキーやシベリウスにも共通する。
・スケルツォのような速い進行では、音を全部弾こうとすると自分が弾けるテンポに寄ってしまい、そろわなくなる。それよりもカウントが大事。箇所によっては効果音と割り切って端折るのもあり。
・ヴィブラートはもともと効果音。やるなら全員がそろっていないと効果が薄い。揺らす幅もそろえよう。ノンヴィブラートも一つの選択。
・パートの6割以上が同じ運指なら、全体がそろって聞こえる。移弦や開放弦を使うかどうかは、両方の考え方があるので、トップが決めよう。
終わるころには、実際北九響のランクがかなり上がったように聞こえてきましたf^^;。ありがとうございました! 食事会では、マロの北九響での称号が決まったそうです。「ウルトラOB団員」。ジェダイ・マスターも入れようよ。「ウルトラ・ジェダイ・マスターOB団員」でどう?
]]>映画監督で、この人の作品は観ておきたいと思っている二人が、マシュー・ヴォーンとエドガー・ライトです。比較すると、前者はストーリー展開がよりゴージャスで荒唐無稽、後者はより庶民的でローカルという違いがありますが、音楽の採用手法やギャグ的シーン、アクションの不謹慎性が似ているf^^;。
『ARGYLLE/アーガイル』はマシュー・ヴォーンの最新作で、『キングスマン』シリーズ終わっちゃったのかな?と思っていたタイミングで発表されました。めちゃ面白かった。で終わり(爆)なんだけど、せっかくだからあとちょっと書きたい。本編ストーリーではありませんが、ラストのネタバレあり。
マシュー・ヴォーンがスパイ映画を作ったらこうなるだろう、という予想を上回る出来でした。とにかくストーリーがくるっくるっ二転三転するので、それだけで十分面白い。さらに、例によってアクションで遊びまくる。とくにクライマックス近くで発煙筒を炊きながらのダンス・シーンは、『キングスマン』第1作の『威風堂々』シーンを思い出させる傑作。こんなの見せられたら、お客は笑うか怒るかどっちかでしょう。今回はクラシックではなくノリの良いポップスですが。音楽でいえば、ジョン・レノンが歌ったテープからビートルズの新作として昨年発表されて話題になった「ナウ・アンド・ゼン」が始めのところで使われているのも聞きもの。
出演は、主演がブライス・ダラス・ハワードで、発表したスパイ小説のせいで本当の陰謀に巻き込まれる作家という役柄。ヘンリー・カヴィルが小説の主人公アーガイル、サム・ロックウェルがリアルのスパイ、ブライアン・クライストンとキャサリン・オハラがヒロインの両親という設定です。『スター・ウォーズ』でメイス・ウィンドゥだったサミュエル・L・ジャクソンも出ています。この中では、ヘンリー・カヴィルが現実離れした肉体派で、いかにも架空のスパイっぽい。サム・ロックウェルは『銀河ヒッチハイク・ガイド』でゼイフォードだった人。「思う」って言うたびにひっぱたかれるシーンが最高でした(爆)。本作では飄々とした感じがちょっと草刈正雄に似ている。あとキャサリン・オハラは『ホーム・アローン』でケヴィンのお母さんだった人。すぐに気が付きましたよ。
エンドロールになる前に、意表を突くエピソードが追加されています。酒場でカクテルを注文した若者(ルイス・パートリッジ)が、それが合言葉だったらしく、バーテンダーから銃を受け取るのですが、彼は「オーブリー・アーガイル」と名乗るんですよ。てえことは、作中の物語の主人公だったアーガイルの若き日ということで、続編の予告? しかもその酒場の名前が「キングスマン」f^^;。二つのシリーズのように見えるのは実は同じ世界観でつながっているのか? この謎、続報が気になります。
]]>・モーツァルト:歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492
・ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編曲):交響詩「禿山の一夜」
・マーラー:交響曲第9番ニ長調
広上淳一指揮、福岡市民オーケストラ
2024年3月2日(土)、アクロス福岡シンフォニーホール
めったに生で聴く機会のないマーラーの9番。前回もアクロスでしたが、そのときは弾く方で、福岡交響楽団というこの曲の演奏のために臨時編成されたオーケストラに参加し、無理だやめようでももうちょっと的にずるずる本番までいったという記憶があります(ーー;)。そのおかげで今がありますf^^;。
トヨタコミュティコンサートというシリーズの一環でもあるらしく、念のため開場の40分前にアクロスに着いたのですが、その時点ですでに200人くらい?開場待ちの行列が折り返している状態でした。当日券販売もなし。これはトヨタの動員力なのか、なかなか聴けない曲目当てなのか、はたまた広上人気なのか、その全部かも。早めに来たおかげで、2階でオケ全体を見渡せる席に座れました。もちろんホールはほぼ満席となりました。
マーラーの長い曲では、前プロやらないことがほとんどだと思いますが、今回はモーツァルトとムソルグスキーという、三大Bならぬ三大Mで構成されたサービス満点のプログラム。フィガロ序曲が終わった時点で、団長がマイクを握って指揮者の広上淳一をステージに呼び寄せます。なんでも、プログラムに音楽監督としてクレジットされている三枝成彰が自宅で転倒し、医者から安静を言い渡されたため、ここで予定していたスピーチに穴が空き、二人で埋めることになったらしい。三枝成彰に喝(爆)。しかも団長、急な登壇で立っているだけでいっぱいいっぱいらしく、広上の方が聞き手みたいf^^;。お二人とも、お疲れ様。
「禿山の一夜」も案外聴く機会のない曲で、もしかしたらこれが初めてかも。メインに大曲が控えていることもあってか、迫力よりも端正さが目立っていました。だけど、マーラーでわかったのですが、これが福岡市民オケの持ち味だったみたい。北九響のような爆裂はないけど、細かいところが整っています。ただ、2階席だったこともあり、コンバス10人もいた割には低音が届いてこなかった印象があります。1階で聴くべきだったかな。
これには広上の指揮も関係していたのかもしれません。第1楽章は速めのテンポでやや無造作とも感じる始まりでした。楽章を通じてタメたり煽ったりが非常に少なく、チェロのピッツィカートなどには十分気合が感じられますが、フォルムを崩すことがありません。思い入れはアゴーギクではなく音に込めたエネルギーで示す方向かと。現代的な解釈といえるでしょう。第2楽章や第3楽章でも、テンポやリスムをきっちり運んでいて、充実していました。第4楽章のクライマックスでは、弦の一音一音に唸り声を発して鼓舞していましたが、それとてリズムを崩すことはなく、最後までよどみなく進行していきました。満足。
ちなみに、広上の指揮姿って、両手を上げて腰をくねらせる必殺ポーズに吹き出さないようにこらえるのが大変なんですが、前ほど頻繁ではなくなったかも。こっちも少しは慣れてきましたからねf^^;。でも、もみあげからつながるあごひげを生やしていて、怪しさは増しています。こんなこと書いてますが、昔日本フィルを振っていたころから見ていて実力は間違いなく、応援しています。
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大貫妙子&小松亮太
Sony Music Labels SICL 275
久しぶりの大貫妙子。クラシック音楽以外のCDはあまり持っていませんが、彼女は数少ない例外的存在です。といっても今回の購入は、『Tint』というタイトルが理由でした。みっちがピアノ四重奏に挑戦したことは別にエントリしましたが、今後も活動継続が決まりました(パチパチ)。それならユニット名を考えなきゃということで、4人の頭文字を並べて出来上がったのが、TINT。彩りとか濃淡とかいう意味で、なかなかいいぞ。こうしてピアノカルテット・TINT爆誕(爆)。そして同じタイトルのCD発見、という次第ですf^^;。
『Tint』は2015年のアルバムで、いまのところ、大貫妙子のオリジナルアルバムとしては最新のものらしい。小松亮太とのコラボレーション作品で、インストゥルメンタルナンバーが3曲あるので、大貫は全曲ではありませんが、小松のバンドネオンは全曲に参加しています。
「Tango」は坂本龍一作曲によるリメイク、「Hiver」もリメイク、「突然の贈り物」はコンサートでの定番曲など、オリジナルの新曲は少なく、「愛しきあなたへ」と「ホテル」くらい? おなじみ「リベルタンゴ」(これはインストゥルメンタル)もあります。でも、それは問題ではなく、むしろ知っているあの曲が新鮮なアレンジで聴ける楽しみがあります。とはいえ、新曲の「愛しきあなたへ」はとても美しい。
編成は一番大きいものでも10人ほどで、おそらくはセッション録音でしょう。いま眼の前で生じているようなライヴ感。とりわけ小松のバンドネオンは光線のように輝いており、アコースティックな響きに彩りと燦きを与えています。録音もそれをよく捉えて素晴らしい。大貫のボーカルのみは定位感があまりなく音場が広がっていますが、ピタッとさせると細身になってしまうのを避けて、あえてそうしてるのかな? 彼女の歌唱もバンドネオンに触発されているのか、柔らかさと素っ気なさが適度に絡まり、得も言われぬ風情を醸しています。近ごろは音楽CDの加工品・消耗品化が激しいですが、内容の充実と質の高さで勝負しているものもある、ということを知らしめる1枚。
一応は英語版からの翻訳ですが、内容と出典が乏しく、しかも出典元を当たってみたところ、「そんなこと書いてなくない?」的な、記述とあんまり関係してなさそうなところに付いていたり(みっちの英語力だから、断言はできないけど)。日本語文献で置き換えられるものは置き換えたりした結果、英語版の内容は基本情報ぐらいしか残ってないかもしれない。ぐらいに大幅に書き換え、書き加えました。
第3作『さいはての島へ』でも新しい出典(「ジェンダー研究」への青木耕平の投稿論文)を使いましたが、それに加えて今回は織田まゆみ『ゲド戦記研究』という本を出典にしました。正直、「ゲド戦記」という表記は物語の内容(とくに後半の3冊)にふさわしくないため、『ほんとうのゲド戦記』以外にこれをタイトルに使っている本があるとは期待しておらず、発見が遅れました。よもやよもやだ(爆)。しかもこの本は第4作以降に焦点を合わせてあり、ちょうどおあつらえ向きでした。この二つがなかったら、立項はできなかったでしょう。
新しい資料で書くためには当然読まねばならず、その分時間はかかりましたが、思ったほどではなく、いまのところ月一ペースはまだ守れています。構成面で主題をどう切り分けるかとか、ル=グウィンの講演をどう扱うかとか、悩みどころはありましたが、個人的には、今回の出来にはかなり満足しています。苦労すると思ってたからよけいにねf^^;。
昔、原作を読んだときは、地味な展開に驚いた記憶があります。ゲドが一般人になるということも意外でしたが、SFやファンタジーって、たいがいぶっ飛んだ話になるところをあえて家庭生活重視の物語にするわけですから。そのころはフェミニズムなんて知らなかったし。とくに今回は勉強になりました。あと2作あるので、なんとか完結まで持っていければいいなあ。
]]>みなと音楽会が終わったので、練習曲目が変わりました。バッハの無伴奏チェロ組曲第1番プレリュードとアルマンドから入って、オケ曲のシベリウスの2番やグリーグのピアノ協奏曲を日替わりでやるのはいままでどおり。ですが、そのあとで自分の発表用の曲を弾き始めました。ひとつはブラームスのピアノ四重奏曲から第3楽章アンダンテ、もうひとつはフォーレの「夢のあとに」。
・ブラームス:ピアノ四重奏曲第3番より第3楽章アンダンテ
3曲あるブラームスのピアノ四重奏曲の中で最後に発表された曲ですが、実は着手時期はいちばん早く、1854年にシューマンがライン川に自殺未遂を図ったころから着想されていたらしい。全体に暗く悲劇的な曲調の中で、唯一この楽章だけはホ長調のロマンティックな音楽になっています。チェロの主題は、ブラームスのメロディーの中でも一、二を争う名旋律。シューマンの次はぜひこれやりたい。ということで、1年後を目標にとりかかりました。
まだ半分くらいしか譜面をたどれていません。出だしは歌い方の問題はあるにしてもまあ弾けるのですが、そこからだんだん難しくなるf^^;。とくに中盤のシンコペーションと半音階の組み合わせが難所。音が違う、リズムが違う、長さが違う、弓が違う、全部違うじゃん(爆)。どれか合ってりゃいいってものでもないので、いかにしてアジャストできるか、オケの定期演奏会が終わったら、本腰入れないと。
・フォーレ:「夢のあとに」
シシリエンヌやエレジーなどと並んで、フォーレのチェロ用レパートリーとしていわずと知れた名曲。しかし、いままでこの曲を人前で弾く機会がありませんでした。めぐり合わせもありますが、この曲、音域が高いんですよ。16小節まではへ音記号ですが、17小節から終わりまでずっとト音記号。高所恐怖症かつ「全国ト音記号撲滅協会」メンバー(爆)のみっちとしては、全力でボイコットすべきところですが、これを弾かないチェロ弾きはいないだろ! というくらいいい曲でやっぱりやりたい。で、これを7月のみなと音楽会でオルガンの伴奏と合わせるという話になりつつあるため、いまから準備しておかねば、というわけで。
予想どおり、絶賛苦戦中。こわいよこわいよー(ーー;)。ブラームスよりこっちを先にクリアしないといけないため、今後集中して、暗譜でも弾けるくらいにはもっていきたい。いまは音程と運指と運弓を確認しつつ、確実に取れるようにしようとしています。
オルガン伴奏ではもう1曲ぐらい時間があり、まだ決めていませんが、サティ「ジュ・トゥ・ヴ」はどうかなと思っています。チェロはメロディーだけ弾いて、中間をピアノ独奏というパターンを以前に試したことがあります。こっちはオルガン主体でもいいよねf^^;。
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<第2部>
・ヴェルディ:歌劇『アイーダ』より凱旋行進曲
・レスピーギ:ローマの祭り
片岡寛晶指揮、北九州マリンバオーケストラRIM
2024年2月11日(日)、黒崎ひびしんホール 大ホール
プロ打楽器奏者が20人以上集まってマリンバでオーケストラを組むという演奏会。以前から、みなと音楽会のメンバーでもあるTさんから案内はされていたのですが、スケジュールの関係で今年初めて聴きに行きました。
大きなマリンバが20台近く並ぶステージは壮観です。その後ろには、チューブラベルやティンパニなどの打楽器の数々。どういうことになるのか、興味津々でした。
始まりの曲は、繊細で美しい響きを聴かせました。2曲目は、4台のマリンバを正方形に並べ、音楽の進行に合わせて4人の奏者が反時計回りに周り、途中で2人ずつになったり視覚的な面白さを追求した作品。おそらくは2階席の方が見栄えしたと思います。ボレロはオリジナルとは異なり、出だしでフォルティッシモを一度聴かせておいてから、ピアニッシモで出直すというアレンジ。ここでは、マレットを使わずに手の指で鍵盤を鳴らすという工夫が見られました。途中、ガス管やドリンクの空き瓶なども駆使して、多彩な音色変化を示して飽きさせません。フォルティッシモの迫力もさることながら、弱音の響きをかなり意識して追求していることがわかります。にもかかわらずというか、そういう静かなところで近くの客席から飴玉を取り出して包装紙をチャリチャリさせる、スマホを鳴らす、折込チラシをガサガサさせる客たちがいて残念(ーー;)。
第2部では、ステージ左右の花道に置いたマリンバにアイーダトランペットの役割をさせる立体的な演出。最後のローマの祭りでは、1曲目チルチェンセスのファンファーレをチューブラベル2台が叩き、マリンバはキリスト教徒と猛獣で左右に分かれて血みどろの場面を演出します。ステージ奥のシンバルやバスドラムなど轟音で阿鼻叫喚。その後紆余曲折ありましてf^^;、サルタレロの最後の追い込みは圧倒されました!!
アンコールは、マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲と、指揮の片岡寛晶さんによるこの演奏会のテーマにもなっているらしい曲で締め。いやー、面白かった。マリンバ、ちょっとやってみたい気がしました。だけど、指揮者以外は奏者が全員女性だったなー。なにか理由があるんでしょうか?
]]>2月4日、門司港旧大連航路上屋ホールで、「福は内」コンサートと銘打って開催しました。みっちはシューマンのピアノ四重奏曲から第3楽章をひっさげて登場! この日のために、12月から計3回の合わせを重ねてきました。
しかしというか、ここ、控室が実は倉庫で暖房が効かないんですよ。開場まで扉を開けていたけど全然暖まらない。出番を待ってる間に身体が冷え切ってしまい、いつも以上に固まってしまいました(ーー;)。おかげで不安定な出だしで、中盤から調子を取り戻しつつあるころには終わり。大変申し訳ありませんでした。
また、この楽章の後半でチェロはC弦をB(♭B)に調弦せよという指示が楽譜に書いてあり、最後はBのオクターヴの持続音で終わるようになっています。以前のエントリでも対応策を検討したので、この顛末を書いておきます。
みっちが選んだ作戦は、開放弦をBにセットし、アジャスターでCに上げておき、演奏中にアジャスターを開放してBを鳴らすという方法。いちばん無理がなさそうに思いました。ただ、あまり早い時期にやると気温変化などでピッチが変わるので、本番前日に調弦することに。したがって、合わせを含めて練習では調弦せずにオクターヴの上だけ弾いていました。
前日のセット中、アジャスターを解放する際に、ピキッと音がしたのが気になっていました。当日、会場でCに上げようと思って調弦を開始すると、ん? ほかの弦が合っていない。そこでまずA、D、Gと合わせてC弦をCに戻すためにアジャスターを動かしていると、ピキッと音がしてほかの弦のピッチが動いてしまう。げ、連動するのか。どうやら、アジャスターでC弦を開放すると、隣のG弦、その隣のD弦のピッチが上がってしまうことがわかりました。上がり具合を見て運指を調整できる人ならいいのでしょうが、当日いきなりの不測の事態で、さすがに本番のリスクが大きすぎると判断して、Bのオクターヴはあきらめ、上だけ弾くことにしました。結局いつもと変わらない残念な結果に。
ただ、収穫もありました。合わせで、ほかのメンバーから「チェロ、いっぱいください」と言われるんですよ。「いやあの、いまのいっぱいだけど」、「もっといっぱい」。いっぱいかよー(爆)。ということで、できるだけ大きな音で弾くことを心がけました。思えば、ふだんは自分しか聴いてないから、音量を意識することがあまりないというか、ダイナミクスは相対的なものとして、音量レベルの水準を上げることを考えていなかった。聴き手にどう伝えるかという点で、音量は重要ですよね。こんなに出したら汚いだろうと思うぐらいやっても、後から「柔らかい音ですね」とかいわれたりして、弾き手と聴き手では差があるみたい。今後も大きな音で弾くということを意識していこうと思います。
打ち上げの席で、今回のカルテットメンバーで1年後、ブラームスのピアノ四重奏曲第3番の第3楽章をやろう、という計画になりました。
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『ゴールデンカムイ』の原作マンガは初めの方だけ読みました。コミックスでいえば、おそらく2巻くらいまで。物語は面白かったけど、キャラクタの判別にちょっと難があった気がします。登場人物がたくさん、そのほとんどが男性キャラでみんな強面なので、クセつよキャラがいっぱいすぎて、インフレ状態を引き起こしているような……f^^;。なので「再現度」はほとんど気にしていません。このエントリ、ネタバレはほとんどない(伏せ字したし)と思うので、ご安心を。
実写版、よくできてました。面白かった。このお話って、アシリパがう◯こを克服する物語だったのか(爆)。よくがんばった! メインとなるアイヌの金塊探索に、お笑い要素やアシリパの「お料理教室ジビエ編」とがうまく絡まって、飽きさせない構成。アシリパの存在はやはり偉大ですね。杉元一人ではここまで惹きつける魅力ないから。配役もよかったし、北海道の自然やアイヌの描写もしっかり描いていて違和感がありません。動物たちはほぼCGでしたが、これもうまく溶け込んでいて、浮いた感じはなかった。唯一、音楽がちょっとうるさい。そこまでガシャガシャしなくても画面で十分足りてるよ、と思うところが何箇所かありました。
登場人物でいうと、今回はほぼキャラクタ紹介で終わった感じ? 函館戦争を生き延びていた土方歳三(舘ひろし)率いる旧幕臣チーム、鶴見中尉(玉木宏)率いる陸軍第七師団、そこに杉元(山崎賢人)とアシリパ(山田杏奈)、白石(矢本悠馬)が割り込む形で三つ巴の勢力図が描かれるんですが、おそらくここから先は敵と味方が入り乱れての大抗争になっていくんでしょう。
以下、いくつか配役を個別に。アシリパの山田杏奈は、ふくらみのあるほっぺが評価されたんでしょう。意志の強さも感じさせて。原作のイメージを崩していません。変顔もがんばりました。弓はもっと引き絞るものではないかと思うけど。山崎賢人は、原作マンガ実写版のスペシャリスト? みっちが観ただけでも、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』、『キングダム』の各主演で、どれも高評価。血みどろシーンでもどこか爽やかなので、熱血スポ根ものとかでも相性がいいんでしょうね。今回の不死身の杉元も、立派なザ・タフガイでした。軍帽と髪型もよく似合っていました。そして、特筆すべきは、矢本悠馬が演じるオッサンの白石でしょう。だいたい登場シーンで死んでもおかしくない存在なのに、そこから引っ張ってここまでキャラが立つかと思うくらい目立ってました。きっと『新解釈・三国志』で老け役の黄蓋を演じた経験が役に立ったのでしょう(んなわけない)。この三人組が立ち向かうラスボスが舘ひろしと玉木宏のダブルひろし(爆)。相手に不足なし! ダブルひろしがニアミスするシーン、見ものです。
区切りとしてはいいところで終わりましたが、もちろん、これで終わりじゃないでしょう。ここまでコミックス3巻くらいまでらしいから、劇場版だとあと10回ぐらい連続しないと終わらないぞ。そんなシリーズ化ある? それとも『鬼滅の刃』みたいにテレビシリーズも併用するのかな。今後の展開が気になるところです。
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時代劇専門チャンネルで新しい「鬼平」シリーズが始まりました。その第一作が「本所・桜屋敷」で、長谷川平蔵が火付盗賊改方の長官になるという初回にふさわしいエピソードでした。
キャストは旧シリーズから一新されており、わかっている範囲では次のようになっています。
・長谷川平蔵(松本幸四郎):火盗改長官
・長谷川銕三郎(市川染五郎):「本所の銕(てつ)」と呼ばれて無頼な生活を送っていた若いころの平蔵
・佐嶋忠介(本宮泰風):火盗改与力
・酒井祐助(山田純大):火盗改同心
・沢田小平次(久保田悠来):火盗改同心
・木村忠吾(浅利陽介):火盗改同心、「うさ忠」
・小野十蔵(柄本時生):火盗改同心、「でくの十蔵」
・久栄(仙道敦子):平蔵の奥方
・相模の彦十(火野正平):密偵
・小房の粂八(和田聰宏):密偵
・おまさ(中村ゆり):密偵
・岸井左馬之助(山口馬木也):平蔵の旧友
・蓑火の喜之助(橋爪功):盗賊
・網切の甚五郎(北村有起哉):盗賊
・血頭の丹兵衛(古田新太):盗賊
・おりん(志田未来):盗賊。甚五郎の配下。
主演の松本幸四郎は、吉右衛門の後ですからやりにくかったでしょうが、若々しくも風格ある平蔵です。低い声で喋ると吉右衛門によく似ています。目がクルッとしているのが「鬼」に見えないんですが、そのうち慣れてくるかなf^^;。ラストシーン、舟の上で煙草入れを使うのは、吉右衛門へのオマージュでしょう。染五郎はまだ線が細いですが、青年時代だから。涼し気な顔立ちで、成長したらどうなるか楽しみ。
火盗改では、旧シリーズでは高橋悦史が亡くなってから登場しなくなっていた佐嶋忠介が職場復帰です。久保田悠来は知らない人で、これまで悪役が多かった? 沢田小平次は剣豪なので、殺陣がんばらないとね! うさ忠は個人的には濱田岳なのですが、浅利陽介は当たらずといえども遠からずか。奥方の仙道敦子は、雰囲気はいいと思うんですけど、年上の女房? この時代ちょっとない気がしますが。個人的には、大路恵美を使ってほしかった。三冬どのー(爆)。山口馬木也の左馬はけっこう好きなので、これからも出番があるといいな。
密偵組では彦十の火野正平。キャラや演技的には文句ないのですが、74歳は年齢的に大丈夫? 60代、あるいは50代でもいいと思うのですが。粂八は未登場なので、これから。中村ゆりのおまさは今回のベストキャストかとv(^^)。よくぞ配役してくれました。本編のラストに登場しましたが、この時点でだれがやっているかは知らず、顔を見て、やったー!、バンザーイ!!(爆)。あと「五鉄」の料理は健在。セットは前シリーズと変わっていない気がします。
盗賊たちでは、北村有起哉がラスト近くに登場していました。『たそがれ優作』観てたから、もう優作にしか見えない(爆)。撮影終わったら、志田未来とどこかに繰り出して、最後は「ともしび」でたそがれてるんだろうなとか想像してしまう。
本編ですが、ストーリー、脚本、よく練られていると思います。殺陣も大見得を切るような派手さはありませんが、迫力は素晴らしい。松平健の構えがピタっと決まるところはさすがです。ゲストなので今回限りは残念。原沙知絵も好演。おふさは遠島処分ですが、再登場はやはりなかったですよね。そして、とにかく映像美ですよ。本所深川でしたっけ? 川を船が行き、橋を人が通る、昔の江戸はこんなに美しかったかと思わせる、まさにファンタジーの世界。音楽はまあまあ? ちょっとゲーム音楽ぽさもある。エンディングでジプシー・キングスの「インスピレイション」が聴けないのはやはり寂しい。
次回は2月、劇場版で『血闘』だそうです。
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大河内雅彦指揮、北九州伯林的管弦楽団
2024年1月7日(日)、ウェル戸畑大ホール
毎年ある無料演奏会、今回は大曲でした。生で聴く機会がめったにないブルックナーの8番がタダですよ! 楽章途中に休憩がなく、80分通して演奏されました。
いつもの伯林的なら、定刻のベルの代わりに舞台袖で金管部隊がマイスタージンガー前奏曲のフレーズを吹いたり、団員がバラバラに入場したりという「お約束」があるんですが、今回はなし。ステージ上が満席きつきつ状態だから、バラバラに入ったら席につけない人がでますよねf^^;。プログラム(この文章がいつも面白い)を読んでいたら、指揮者が拍手もないうちに入場していました。そして、能登半島地震の被災者に捧げるとして演奏されたのがバッハの管弦楽組曲第3番のアリアでした。急に決まった曲目だったはずですが、弦楽がとても美しかった。
ブルックナーも冒頭から集中力があって素晴らしい。テンポはどちらかというと速めだったかな。でも音楽が充実していたからそう感じたのかも。どのパートもがんばっていましたが、とりわけ健闘をたたえたいのが2ndヴァイオリンです。トップの人のトレモロの凄さよ! 目が離せないくらいでした。
友人と二人連れだったのですが、彼はフルートとハープがよかったと言ってました。この曲では清涼剤的役割ですね。第1楽章の再現部でオーボエが第1主題を小さく出しているときに、フルートがひらひら舞ってるところが好きで、ここを聴くと小学校だったかな?国語の授業で習った「てふてふが韃靼海峡を渡って行った」という詩の言葉を思い出すのはみっちだけ? ここがとてもきれいでした。スケルツォでは、前にティーレマン/シュターツカペレ・ドレスデンでやっていた、ヴァイオリンの持続音をppにいったん落とす技をやるかどうか気にしていたのですが、なし。これはやっぱりキーンと引っ張り続けるのがいいですよね。もしかしたら版で違うのだろうか? 第3楽章はちょっと長過ぎると思うところですが、演奏は引き締まっていました。クライマックスでシンバルが2回あり、1回づつ替えて音色の違いを出していたように見えました。こだわりがv(^^;。
フィナーレは最初から気合が入っていました。ホールがそんなに大きくないので、全合奏で盛り上がるとホールの響きが飽和しやすいのですが、そんなことはお構いなし。ラスト近くの弦合奏がパートでずれた気がしたり、最後ホルンが力尽きてたような気もしましたが、そんなことなかったかもしれない。とにかく怒涛の轟音で終了。あっぱれー!! 友人は「浴びたーー」と言っておりました。
いつものアンコール「マイスタージンガー」前奏曲もなし。休憩がなかった分、かえって終わりは早かった。その後、小倉のブーティーズで内輪の新年会。途中、3日に火事のあった鳥町があり、近づくと焦げ臭い匂いが立ち込め、アーケードの途中から通行禁止になっていました。ブーティーズのあるヒカリテラスはバス通りを隔てているため、影響はなかったようです。
]]>ウィキペディアに『さいはての島へ』を新規投稿しました。アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』シリーズ第三作。
この作品を読むと、ジブリアニメの『ゲド戦記』を思い出しますね。似ているのは表面だけで、内容は全然違うということがあらためて確認できた気がします。
年末年始のお休みもあり、今回も1ヶ月ほどでアップできました。早く書けた理由は休みだけじゃなくて、そもそも英語版のボリュームが小さい。『影との戦い』でシリーズ全体を射程に入れて記述しているため、だんだん書くことがなくなってるんですよf^^;。って『こわれた腕環』のときも同じこと愚痴ってた(爆)。日本語文献からも情報を書き足して、割合で言えば翻訳と半々近くになってる感触ですが、それでも一作目、二作目より記述量が少ない。だんだん尻すぼみになってきてるなあ。
英語版のシリーズ記事を見ると、四作目はまだ多少はボリュームがある方ですが、五作目と六作目はショボい。しかも脚注がほとんどない。翻訳する意味あるの?というくらいのレベルの内容。うーん、どっしよっかなー。とりあえず初期三部作は完結したので、ここでやめてもいいんだけど、四作目からは読み直しも含めて、じっくり腰据えて取り組むのもありかな。幸い、ジェンダー関連で詳しい論文を見つけたので、これは使ってみたい。ジェンダー問題のこと全然知らないから、勉強しつつの作業になりますが。
というわけで、次作の『帰還』については、ものになるとしても3ヶ月くらいは見といた方が妥当かと。ル=グウィンだって18年かかってるんだから、3ヶ月でアップできれば褒めてもらえるかもf^^;。
]]>・オットー・クレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団、フィルハーモニア合唱団。ソプラノ独唱:エリーザベト・シュヴァルツコップ、バリトン独唱:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ。1961年録音 Warner Classics 4 04338 2
・アントニ・ヴィト指揮、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団。ワルシャワ・フィルハーモニー合唱団。ソプラノ独唱:クリスティアーネ・リボル、バリトン独唱:トーマス・E・バウアー。2012年録音 NAXOS 8.573061
元旦から連日の災害・事故で、おめでたがっている場合なのか悩むほどですが、2024年もよろしくお願い申し上げます。
歳の初めになにを聴こうか、これも考えました。音楽を聴いたからって、戦争が止まるわけでも災害が消えるわけでもありませんが、家でできるせめてもの行為ということで。そうして決めたのがブラームスのドイツ・レクイエムです。
ドイツ・レクイエムは、ブラームスの最大と言える作品で、もちろん代表作なのですが、交響曲と比べて聴く機会は少い。オケに合唱・独唱付きという編成上の理由もありますが、ベートーヴェンの「第九」のような例もあるから、それだけではない。おそらく規模の割に演奏効果が地味なことと、若書きということがありそう。ブラームスの場合、若いからといって未熟な作品というわけでは決してないんですけどね。
ヴィト盤はもともと持っており、クレンペラー盤は昨年購入したクレンペラーのブラームス・ボックス(EMI音源)に収録されているものです。まず収録時間ですが、クレンペラーが69:07、ヴィトが75:15。なんとヴィトが6分も長い。各曲の比較でも、すべてヴィトがクレンペラーより長いという結果です。総じてのテンポ感覚としては、速いところは両者同じくらいだが、基本的なテンポでヴィトが遅い。ちなみに、実はもう1枚、レクイエムを10枚集めた激安ボックスにこの曲が入っていて、その演奏時間は65分ほどで、ヴィト盤と10分違うという。ちなみにこちらは無名楽団のライヴで、水準的に同列とは言い難い(これだけ聴けば一応鑑賞には耐えるけど)ので、今回は比較に取り上げません。結局、一日で同じ曲を違う演奏で3回聴きましたf^^;。
クレンペラー盤のテンポは「適正」と感じるもので、この人ベト7とかマラ7とか、ずっこける(死語)くらいにおそおそな演奏もあるだけに、ブラームスではなぜそれをやらないのかが逆に謎f^^;。オケは、この時期のフィルハーモニア管に特徴的なオーボエの懐かしさのある音色が聴けます。あと例えば第2曲でクレッシェンドしていくときの金管の不穏な響きなど、要所でイングリッシュ・ブラスの片鱗を覗かせているのが頼もしい。独唱はビッグネームをそろえています。とくにフィッシャー=ディースカウは最盛期なのか、声の張りも素晴らしく凛々しい。シュワルツコップは細かいヴィブラートが時代を感じさせますが、上品ともいえる。コーラスも立派です。録音は、ヴィト盤と50年以上の差がありますが、鮮度は高く定位はむしろ優れているほど。第1曲の強音がやや歪っぽいのが年代を感じさせますが、2曲目以降は問題ありません。なお、ワーナーから出ているEMI音源の再発ものは、リマスタリング良好なものが多く、お手元の音盤がARTや国内盤HS2088などの場合、買い直す価値があります。
ヴィト盤については、7年前にエントリしたときと印象は変わらないのですが、クレンペラー盤との比較でいえば、柔和で静謐ともいえる演奏です。出だしや終曲などの和声の繊細な移り変わり、木管の美しい和音などアンサンブルの精度が高いのは、ポーランド指揮者の伝統かと。コーラスと弦楽はいい勝負か。バリトン独唱のバウアーは、フィッシャー=ディースカウほどの無双ぶりではないにしても、真摯で立派な歌唱だし、ソプラノ独唱のリボルは表現力ではシュワルツコップを上回っています。録音も昔のナクソスの銭湯のようなわんわん残響ではなく自然なプレゼンスです。
というわけで、総合的には、美しく傷の少ないヴィト盤を推します。テンポ的にゆったりしているので、どちらかというと浸りたい人向け。もっと構築性を求める人はクレンペラーでしょう。
・バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988
ピアノ:ニコラ・アンゲリッシュ
2011年録音、ERATO 50999 0706642 9
ニコラ・アンゲリッシュのバッハです。2011年、アンゲリッシュ40歳のときの録音。正直、バッハはピアノじゃなくてチェンバロだろ?とか思っていました。これを聴くまでは。ピアノでも素晴らしいぞf^^;。いやまあ、チェンバロ演奏にしても昔レコードで買ったことがあるだけで、いずれにしろ初心者同然ですが。
演奏は約80分と、CDの収録時間をほぼいっぱいに使っています。冒頭のテーマはゆったりと優しい子守歌のようで、これはもう間違いない。なにがというと、読書とかのBGMとして完璧です。ながら聴きに最適(ほめている)。この曲にそれ以上のなにを求めるというのか。というわけで、いまもこの曲を流しながら書いています。
もちろん、まろやかなピアノの音色、第1変奏の一転して目の覚めるような快活なリズムや第16変奏の後半の始まりという気分転換、第29変奏、第30変奏の高揚と見事なフーガなどなど、部分的に取り上げてすごいと言うこともできますが、手持ちで比較対象がなく違いを示すことができないし、結局のところ演奏が素晴らしいというのと曲とバッハが素晴らしいというのとが同義になってしまう気がします。
アンゲリッシュのCDは、あと2019年録音のプロコフィエフ集があり、おそらく最後の録音かと。それ以外には、リスト「巡礼の年」の再リリース、珍しくピリオド楽器を弾いたベートーヴェンのピアノ協奏曲4番・5番、この秋に出た「オマージュ」と題された未発表録音ボックスがあります。プロコ以外は注文済みで、年末年始はアンゲリッシュ三昧の予定だったのですが、「巡礼の年」の再発時期がずれ込んでいまだに入手できておらず、今年はこのゴルトベルク変奏曲で締めくくりとなります。年越しにもふさわしい。それでは、みなさん良いお年を!
]]>・リスト:ピアノソナタロ短調 S.178
・シューマン:クライスレリアーナ 作品16
・ショパン:練習曲集 作品10より第10曲変イ長調、第12曲ハ短調
ピアノ:ニコラ・アンゲリッシュ
2016年録音、ERATO 0190295990671
2022年4月に51歳で亡くなったピアニスト、ニコラ・アンゲリッシュによるロマン派アルバム。アンゲリッシュは現役ピアニストの中で例外的に追っかけて聴きたいと思っていた人で、カピュソン兄弟たちとのフォーレの室内楽で知り、ブラームスの協奏曲や室内楽などを収録したボックスも最高でしたから、訃報はとてもショックでした。その後まもなくこのCDとバッハのゴルトベルク変奏曲のCDを入手していたのですが、それぞれ一度は聴いたものの、みっちはそもそもピアノ曲をろくに知らない! 語れない! ほかに積ん読状態のCDボックスがいくつもあって、それも消化しなきゃというわけで、この年末に至り、ようやくじっくり聴こうかという状況になった次第。実を言うとまだニールセン・ボックスやカール・リヒターボックスが未消化だけど、あきらめムードが漂っておりますf^^;。
録音は2016年、アンゲリッシュは40代半ばということになります。「献呈 "Dedication"」というタイトルは、リストがシューマンにピアノソナタを、シューマンがショパンにクライスレリアーナを、ショパンがリストにエチュード10番・12番をそれぞれ献呈ということで、献呈で作られた3人の環によるアルバム収録というシャレた趣向になっています。ついでにいえば、リストのシューマンへの献呈は、先にシューマンが幻想曲をリストに贈ったその返礼という意味もあったようで、この二人はなにかと交流があるんですよね。一方で、シューマンはショパンを「諸君、脱帽せよ!」などと紹介したので有名ですが、ショパンの方はシューマンに対して関心がなかったらしい。だから逆回りの環はできなかったのかも。
リストのピアノソナタを聴いていて思うのは、アンゲリッシュという人は決してガチャ弾きしないということです。作品をよくわかってなくて言うのですが、こういう曲はガーン、ドッキャーン(爆)みたいにピアノをぶっ叩くようなド派手な演奏がハマるものではないかと思うところを、やらない。もちろん音階や跳躍などスリリングで悪魔的、恐ろしいほど指が回ってかつ粒ぞろいな凄みは感じさせるものの、むしろ静かで思索的な箇所でなにごとかを求めているような印象の方が強い。シューマンの妻クララはリストを「ピアノの破壊者」と呼んで嫌っていたようですが、アンゲリッシュの演奏で聴けばその印象も変わったかもしれないと思うほど。シューマン自身については、この曲が献呈されたのがシューマンがライン川に投身自殺を図った後らしく、おそらくこの曲の譜面を見ることも聴くこともなかったろうことが残念です。
クライスレリアーナは、シューマンの代表的なピアノ作品のひとつとされていますが、個人的には少々とっつきが良くない。なぜなら、各曲にタイトルがないからf^^;。E.T.A.ホフマンのクライスラーとか言われてもね〜、って感じですよね。ピアノ曲に疎いみっちですが、それでもシューマンは多少持っていて、誰かのなかったかなと探して出てきたのが、ユーリ・エゴロフのCD。両者を聴き比べながら、やはりアンゲリッシュがガチャ弾きしないことを確認しました。第1曲でエゴロフが左手の和音をガンガン突き入れて切迫するところ、これはエゴロフに限らず普通そのように弾かれる曲だと思うのですが、アンゲリッシュは非常にコントローラブルなバスで、上部の細かい音符が織りなすアラベスク模様を克明にしかも繊細なニュアンスをもって浮き立たせています。こんな忙しいところでこんなことやってる人ほかにいるんだろうか? これが最後まで続き、なんというか、一皮も二皮もむけた演奏。とはいえ、この時期のシューマンのピアノ曲には、この時期にしかない情熱的な飛翔感があって、フロレスタンとオイゼビウスの例えでいえば、フロレスタンどこ行った?的な感じも少しあります。エゴロフの存在意義もそこに見出だせそう。アンゲリッシュのブラームスがよかったのは、逆にこうした音楽性が曲にぴったりハマったからかもしれない。いずれにしろ、アンゲリッシュのシューマンをもっと聴きたかった。惜しい、つくづく惜しい。
ショパンは、演奏会のアンコールということで(爆)。いや、すごくきれいですよ。とくに10番。味わい深く磨き抜かれている。ただ前の2曲と規模的にバランスが取れてないし、これがショパンなのかと言われると、少なくともコンクールで大見得を切るような、かっこいいショパンらしさではないかな、と。
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