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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
相曽晴日:『しあわせになろう』

相曽晴日の弾き語りミニアルバム『しあわせになろう』相曽晴日『しあわせになろう』
1. 夢の途中
2. 桜の頃
3. 自転車でゆこう
4. 眠れる森
5. 愛の種
6. しあわせになろう
7. はは休み
8. DOUBLE…

(斎藤ネコレーベル NS-0003)


『月の子供』とともに購入した、相曽晴日の自主制作CDのもう1枚。こちらは2002年の録音。8曲で30分弱のミニ・アルバムです。初の弾き語りアルバム、ということで、全曲ピアノと歌のみのシンプルな編成です。暖かいピアノの響きに、『月の子供』よりさらに親密さを増した歌声が心地いい。

内容的には、後半の5曲目から7曲目にかけて、命の誕生への期待や母親になることの喜び、同時に戸惑いや抵抗感も率直に語られていて、これまでとはまた違う身近な感動を覚えます。しっとりした8曲目は、1曲目の鮮やかな導入と照応して見事です。

録音は、ピアノについてはとくにいうことありません。ライヴ感もあり、ジョージ・ウィンストンのような環境音楽としても通用しそう。ヴォーカルについては、ある程度響きが付加されていて全体に暖かいサウンドになっています。個人的には、せっかくのコンセプト・アルバムなので、もっとデッドにして開放感のある響きとしたらどうだったかという気がします。スタジオ録音なので、仕方ないかとも思うのですが、いっそのこと個人の家などで、多少の外部ノイズは覚悟の上で録音して日常感を打ち出すのも面白かったのではないかな、とf^^;。

みっち的「国内三大女性ヴォーカル」を挙げると、大貫妙子、山本潤子(ハイ・ファイ・セット)、そして相曽晴日ということになります。このアルバムから7年になるわけで、そろそろ次の制作発表が期待できるかもしれません。

posted by みっち | 09:59 | CD・DVD | comments(0) | - |
「フルニエ版」バッハ無伴奏
現在練習中のバッハ:無伴奏チェロ組曲第5番のプレリュード、とりかかってからそろそろ1年になります。一応は曲の最後まで弾けるようになり、レッスンでもこのごろフーガ部分をさらえるところまできました。長かったf^^;。ここまでやってきたんなら、いっそ発表会で弾けるようになりたい。

この曲は各社から譜面が出ていて、みっちはペータース版の楽譜を使っています。とりあえず棚にあったのを買ったので、とくに考えがあってのことではありません。これまでも、先生にボウイング指定を変更してもらったりして弾いているわけですが、先生がよく参考にされているのがフルニエ版で、今回その楽譜をコピーしてもらって、現在それを試奏中です。

先生はほかにデュ・プレ版も持っておられました。デュ・プレ版は、ジャクリーヌ・デュ・プレが難病のため若くして引退を余儀なくされたあと、後進のためにと自分の弓使いや解釈などを盛り込んだものらしいです。こっちも興味を惹かれました(いわく付きに弱いみっちf^^;)。ただ、スコルダトゥーラ(A弦をGで調弦する)を採用していて、しかも4ページというのはちょっとねえ。ペータース版はスコルダトゥーラと通常調弦の2段構成で4ページです。この点、フルニエ版はスコルダトゥーラなしの1段楽譜で、2ページ半で収まっているので、半ページ分をテープでつなげて譜面台に広げれば、曲を中断してページをめくらなくてすみます。

暗譜すればページ数関係ないでしょ、というツッコミは覚悟の上ですが、仮に暗譜していても、目の前に該当する譜面があって、いつでも頼れるというのは、保険にも似た精神衛生上の効果があるんですよ。まあ、ホントに頭真っ白になったら、譜面見たってどこかわからなくなってますけどねー(爆)。

とまあ、そんなこんなで今週からフルニエ版で弾いているのですが、ペータース版とはほぼあらゆる箇所でボウイングが違います。ペータース版は、1小節1弓というようなざっくりしたパターンがわりと多いのですが、フルニエ版はかなり分割している印象。音程が半音違う箇所もありますし、同じ音でも弦が違ったりします。おかげでひっかかりまくりで、まだ曲の半ばまでしかすすんでいません。

ここまでの感想としては、ペータース版では窮屈で不自然と感じられたボウイングが改善され、なめらかに発音することが意識されているように思いました。反面、「こんなところで返さなくても」と思うような箇所もあります。フルニエの右手はトルトゥリエも称賛していたくらいですから、達人ならではの弓使いなのかもしれません。
posted by みっち | 18:54 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
正木俊光
ウィキペディアに「正木俊光」を新規投稿しました。この人は正木流を称した剣客です。通称、太郎太夫。名は俊光が正しいらしいのですが、俊充や利充などと書かれることも多いようです。

正木流剣術は、古藤田一刀流の流れを汲んでいます。流祖の古藤田俊直は北条氏の家臣だったはずですが、北条滅亡後、古藤田一刀流は大垣藩に伝わり、唯心一刀流と呼ばれるようになっています。大垣藩は譜代大名・戸田采女正が早い時期から藩主になっており、北条攻め前後になんらかの縁があったものでしょうか。

ただ、正木太郎太夫の場合、剣術以外でも名が売れていたようです。先意流薙刀術は相伝を得ていますし、居合や槍術、遠当という「気」の術まで盛り込んで変離流と称しています。後年発明した「正木鎖」がとくに有名で、この鎖を掛けておくだけで諸難除けの効能があると触れ込み、わざわざ祈祷して客に渡すなど、商売上手なところを発揮しています。みっちもひとつ欲しいぞf^^;。

あと、怪力の持ち主だったらしい。相撲取りとの力比べという、おもしろいエピソードがあります。最初、力士は片腕でも太郎太夫を持ち上げられたのに、「次は両手でこい」といわれ、今度はどんなに力を込めてふんばっても持ち上がらなかったということなんですが、どうやってるんでしょうか。少々ケレン味を感じさせますが、このぐらいの逸話があった方が楽しいですよね。
posted by みっち | 19:12 | Wikipedia | comments(8) | trackbacks(0) |
名古屋城
きのう、出張先の名古屋から帰ってきました。へばり気味。
名古屋は、これまでも2〜3度行ったことがあるんですが、方向感覚がなくなりますね。見渡す限り、山がない(爆)。その点、神戸はわかりやすいよねー。

打ち合わせが早めに終わり、指定列車まで時間があったので、まだ見たことのなかった名古屋城に行きました。本丸御殿の復元にとりかかったところのようで、あちこち縄張り中でした。名古屋城の天守閣は空襲で焼けてしまったので、現在のは鉄筋コンクリート製。唐津城のような全くの架空とは違って、形は復元してあるのですが、中に入ると、味気なく、おんなじ感がf^^;。

意識的に城巡りをしているわけではないので、数は見てませんが、過去、本物の天守閣を体験できたのは、高知城くらいですね。松江城も本物だったような気がするんですが、子供のころのことで記憶があやふや。

ちなみに、東の二の丸あたりが、織田信長のころの那古野城があった場所らしいです。立て札以外にはなにもそれらしいものは残っていませんが、これがわかったのは収穫でした。

ここで、ホビットへのお土産にゴム製のクナイを購入f^^;。家族向けには、山本屋の味噌煮込みうどんを名古屋駅の地下街で買いました。もういいか、と思って新幹線口に向かう途中の売店で「赤福」を発見して、これも買いました。「赤福」って、伊勢神宮にしかないもんだと思ってました。そしたら、ホームの売店にもあった(爆)。
posted by みっち | 08:59 | 近況 | comments(7) | trackbacks(0) |
相曽晴日:『月の子供』

相曽晴日『月の子供』相曽晴日『月の子供』
1. 月の子供
2. 蒼く輝く三日月の夜に
3. LUNA
4. 夜明けに降る雪
5. 潮風の中で
6. プラネタリウムの丘
7. Stranger's wind
8. 風になりたい
9. Love2 大事2
10, 世界でいちばんっ
11. 名無し

(斎藤ネコレーベル NS-0001)


相曽晴日の最近のCDを聴きたくなり、公式サイトの通販で購入した1枚。2000年の録音です。えっとね、これは今年のマイベストCDになるかも、といまからいっておきます(あと買わないから、というオチはなしで)。

初期のレコードでは、初々しさと同時にやや乙女チックな気恥ずかしさも感じた歌詞内容ですが、20年も経つとさすがに、貫禄というか自然体というかf^^;、洗練されたものになっていると思います。そうはいっても、みっちはあまり詩の内容は重視しておらず、メロディにどう乗っているかや音響的な耳あたりを気にする方なので、十分賞味し切れていないかもしれません。

音楽は、素敵です。メロディーの美しさは以前とまったく変わっていません。1曲目「月の子供」からぐっと引き込んでくれます。構成がとてもよいのは、構想に9年の歳月をかけた結果でしょう。後に行くほど緊張感というか、感興の高まりが連なって、最後の「名無し」、ちょっとスコットランドや沖縄の民謡調を意識したようなリフレインで最高潮に達します。聴き終わって、素晴らしい余韻に浸れます。

 

歌は初期と比べると、ささやくような声の使い方が増え、それがまた親密さを加えて効果的です。あえて表情を閉ざしたような口調で痛々しさを表現したり、もちろん、サビなどでののびのびした高音の魅力も健在。この辺は音楽と一体で、聞き込んでよし、BGMとして楽しんでよし。みっちのチェロもこれぐらい表情つけられればいいんですがねー。

特筆すべきはアレンジの良さです。1曲目相曽晴日・本人のピアノ弾き語り、2曲目ピアノと弦楽合奏、3曲目ピアノ・トリオといった具合に、曲に合わせて編成が変えられますが、一貫しているのはアコースティック基調で、過剰さがないこと。『紅いペディキュア』をエントリしたときに、アレンジに注文したことがまさにそのとおり、実現しています。ちなみに、弦楽四重奏(9曲目、11曲目)のチェロには、N響首席の藤森亮一の名がクレジットされています。残念ながらソロは聴けませんが。

録音も優秀。自主制作CDということで、いいか悪いかはっきりするだろうと予想していたのですが、いい方にはっきりしてくれて万歳! 録り方はセッションではないのかもしれませんが、ポップスでヴォーカルがきちんと定位する録音って、そんなにないと思いせんか? 大手レーベルでは、この辺が「合理化」されてしまい、ラジカセでしか聴けないような音になっているものが目立つので、音響自体としても心地よい録音はうれしい限りです。

詩、音楽、編曲、録音、4拍子そろったCDが、もっと話題になって売れればいいのに、と思うところですが、みっちとしては、このままマイペースで作りたい音楽を作りたいように作っていける環境が変わらないといい、とあえて願っています。

おしまいに、公式サイトの掲示板に感想を書き込んだところ、お返事いただきました。ジャケットの模様のような文字はアラビック・カリグラフィーだそうです。『月の子供』だけに、アラビア文字の月文字?とか思っていたのですが、当たらずとも遠からず、でした。

posted by みっち | 18:10 | CD・DVD | comments(0) | - |
平山行蔵
ウィキペディアに「平山行蔵」を新規投稿しました。この人は、講武実用流という流派を唱えていますが、その実態は剣術以外の武芸百般なんでもござれ、学問でも一流だったようで、剣客・剣豪とするだけでは物足りない人物らしいのです。残念ながら、みっちの資料は『日本剣豪100選』しかないため、学問・思想的な言及はできていません。詳しい人、加筆頼みます!

それにしても、この人の場合、日常生活だけで記事になってしまうような個性の持ち主です。漢字一文字でいえば、奇人変人(いや、おかまいなしで)。小柄だったといいますから、150cmぐらい? この人が3尺8寸(約115cm)の長い刀を差していたということで、まるで刀の方が人を差していたような案配だったということです。読書中も拳骨を叩いて鍛え、夜具を使わず土間に寝たなど、去年の流行語でいえば、どんだけー!

このころ日本はまだペリー来航前でしたが、行蔵は外国にも関心を持ち、とくにロシアの進出を警戒すべきと考えていたようです。というのはネット検索で読んだ受け売りf^^;。太平の世の軟弱ぶりを嘆き、「べらぼうめ」と憤慨しながら没したということで、生まれるのが50年ぐらい早かった、あるいは200年は遅かった感じ。幕末に生きていたら、歴史が変わったかもしれません。

あと、勝海舟のお父さん、勝小吉が行蔵に師事していて、影響を受けて長い差料を使っていたようです。『夢酔独言』読んだのは中学か高校のころで、もうよく覚えていませんが、べらんめえぶりが実におもしろく刺激的でした。たぶん、読んだら長い刀を差したくなる(爆)。
posted by みっち | 20:39 | Wikipedia | comments(2) | trackbacks(0) |
戸賀崎暉芳
ウィキペディアに「戸賀崎暉芳」を新規投稿しました。通称の熊太郎の方が通りがよいようですが、熊太郎は名跡のように2代目、3代目と継がれていったため、本項では暉芳(てるよし)としました。ここでは通称でいきたいと思います。

熊太郎は神道無念流2代目の継承者です。神道無念流といえば、幕末、「力の斎藤」と呼ばれた斎藤弥九郎の「練兵館」で隆盛を極めるのですが、流祖の福井嘉兵衛のころは、全然パッとしないものだったようです。弟子の熊太郎が故郷の清久村で道場を開くときに、師・嘉兵衛の道場はたたまれ、嘉兵衛自身も熊太郎に引き取られています。

転機が訪れたのは、熊太郎が再び江戸に出て道場を開き、農民出身の男の敵討ちを援助したことからです。このころ敵討ちは禁じられていたようで、しかも武士でもない「百姓上がり」が親の仇を討つとは天晴れ、ということで、この事件は評判を呼び、彼を助けた熊太郎道場はこの一件以来、江戸有数の道場になっていったようです。

熊太郎の門人の岡田十松(吉利)も優れた剣客で、独立して「撃剣館」道場を開きます。ここから斎藤弥九郎をはじめ、多くの名士、名剣士が輩出されます。熊太郎は晩年、十松に自分の門人たちを委ねて故郷に戻り、清久村で没しました。清久村では熊太郎直系の道場が引き継がれました。

熊太郎のこうした経歴からは、故郷を大切にする実直な人情家という人物像が浮かんできます。

今回、いちばん苦労したのは、仇討ちの隠語碑が残るという場所の現住所でした。目黒町とあるから、目黒区だろうと思って地域名から探したのですが、見つかりません。品川区西五反田にあるとわかったのは、大田南畝(蜀山人)の隠語碑で探した結果でしたf^^;。昨今の市町村合併もあって古い地名が失われつつあることは、記事ひとつ書くにも手間が多くなって困ります(ーー;)。
posted by みっち | 09:28 | Wikipedia | comments(2) | trackbacks(0) |
根岸兎角
ウィキペディアに「根岸兎角」を新規投稿しました。この次から江戸時代の剣豪を取り上げると書きましたが、兎角は文禄・慶長のころの人で、やっぱ書いとくか、と思い直してf^^;。

兎角は並み居る剣豪・剣客のなかでも、悪役として名が知られている人物でしょう。再起不能となった師匠を見捨てて逐電し、小田原から江戸へと移ってひとり威勢が良かったことと、「微塵流」を称したものの、師の一羽流(神道流)を勝手にそう言い換えた、ということで、兄弟弟子から憎まれて挑戦を受けます。返り討ちにしようとしたんですが、橋から落とされてそのまま逃げ出すという失態を演じ、江戸にいられなくなってしまいました。

この話にでてくる人物名がどれもヘンテコなんですよ。師匠の師岡(諸岡)一羽はまだいいとしても、どこか講談調を感じさせますし、兎角はウサギのツノで、「兎に角」とか当て字しますよね。岩間小熊は本当にクマみたいだったというし、土子土呂助に至ってはもうほとんどおふざけじゃないかとf^^;。微塵流というのも、どうなんでしょう。粉みじんですからねー。史実に基づいているとしても、どこまでが実話でどこからが脚色なのか怪しい。まあ、昔の人の命名はこんなもんだった、ということかもしれませんけど。

兎角については、この「常盤橋の決闘」がほとんどで、前半生や晩年は不明です。しかし、ネット検索すると、一羽の門人になる前に、兎角が斎藤伝鬼房に天流を学んでいたという説があるようです。だれかの小説かも? 伝鬼房が天狗のような身なりをしていたことと、兎角が天狗の生まれ変わりなどと吹聴されていたということで、二人は似たもの同士(爆)。逆に、そういう連想からこの説が出たとも考えられます。師岡一羽と斎藤伝鬼房は同じ塚原卜伝門下ですから、伝鬼房が闇討ちに遭ったあと、兎角が一羽を頼ったとするのはありそうな感じ。だとすると、兎角は一羽を見捨てる前に天流も見限っていたことになりますf^^;。

 極意とは 変わり身なりや 微塵流     密知勘解由左衛門(お粗末)
posted by みっち | 19:14 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
もう花粉
去年、暑かったせいか、庭木が何本か枯れてしまったのと、育ちすぎて密集したのを間引きしたりするために、造園屋さんにきてもらいました。きょう、新たに植えたツルバラなどに肥料をやったり、コニファーに石灰硫黄合剤を散布したりしているうちに、ムズムズ、ハ、ハーックション!

朝から目がチカチカすると思ってましたが、ついにきた! 花粉の季節(ーー;)。 

いや実は、数日前からなんとなく殺気f^^;を感じていて、きのう病院でアレルギー症状を抑えるクラリチンという薬を処方してもらってたんです。しかし、早いなあ。しもやけがまだ治ってないんですけどー(爆)。

こうやってキーボード打ってるうちにも、くしゃみが連続します。きょうは休日だし、薬はあしたから飲もう。花粉症に鍼が効く、という話を聞いたんですが、試してみようかな。
posted by みっち | 15:08 | 近況 | comments(2) | trackbacks(0) |
川崎鑰之助
ウィキペディアに「川崎鑰之助」を新規投稿しました。川崎鑰之助は東軍流の開祖です。テレビのイメージからか、これまで東軍流は軍学の流派だと思っていました。しかし、軍学も含んではいるものの、主体は剣術だったんですね。

父親は鞍馬流だし、比叡山で一流を開いたということなので、鑰之助は天台宗だったのでしょうか。禅宗との結びつきが多く見られる剣術ですが、流派開祖の奥義修得の場としては、修験者や山伏が現れるような、密教あるいは神道と関わりの深い場所が多いように思います。まあ、こういう「開眼エピソード」は、古くて神秘性があった方が権威としてありがたいですもんねf^^;。一種の神話として味わいましょう。

鑰之助について語られていることは多くなく、ウィキペディアにすでに「東軍流」の項目もあったため、書くことがあんまりありませんでしたf^^;。これまでの剣客記事のなかではボリュームの小さかった「念阿弥慈恩」よりもさらに小さく、2000バイトに足りませんでした(ーー;)。

ここまで、戦国時代に多く生まれた流派の開祖を中心に書いてきましたが、今後はもう少し下って江戸時代の剣豪を取り上げていくことにしようか、と思っています。というわけで、もう少しつづけよう。

posted by みっち | 10:03 | Wikipedia | comments(6) | trackbacks(0) |