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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
マスネ・イヤーにちなんで
今年も区民音楽祭に出演するつもりで、出し物を考えていたのですが、決めました。マスネの「タイスの瞑想曲」と「エレジー」です。

「タイスの瞑想曲」は、昨年北九響のチェロパートの方からチェロ版(ピアノ伴奏)の楽譜を紹介していただいたので、いつか弾こうと思っていたところ、今年がマスネ没後100年に当たるのでちょうどいいや、と。持ち時間が10分程度あるため、あと1曲なにかやりたいなあ、と思い、最初はグラナドスの「アンダルーサ」を予定していました。「アンダルーサ」は、チェロ教室の発表会で弾いたことのある曲で、サマコンが終わったあと、思い出そうとさらっていたんですが、つづけて「タイス」を弾くと、どうも雰囲気的につながらない。「アンダルーサ」なら、たぶんラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」の方が相性がよさそう。でもそうするとマスネ・イヤーの意味がないし。

というわけで、ほかになにか手頃なのはないかと探して、そういえば「アンダルーサ」の載っている「チェロ名曲集」にもマスネあったよね、と見つけたのが「エレジー」(作品10)。この曲は、チェロを始めて3年ぐらいのころ、実はヤマハ小倉店でのデモンストレーションで弾いたことがあるのですが、椅子の高さとエンドピンの長さ調整に失敗して音程を外しまくったという暗い過去があります(ーー;)。そうだ、あのときのリベンジだ!

そして秋に向けて、8月からチェロのA・D弦を替えることにしました。買ったのは、ヤーガー・スーペリア。こちらの感想はまたエントリしたいと思います。
posted by みっち | 19:19 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
サマコン終了
北九響のサマーコンサートが終了しました。サマコンは2年ぶり2度目。盛りだくさんなプログラムでどうなることかと思いましたが、終わってみれば楽しかったv(^^)。

一月前くらいに、ブルックナー5番やフランクでご一緒させていただいた団員のKさんが亡くなり、チェロパートは全員黒いリボンを付けて演奏しました。みっちは第2プルトの表という、こんな前で弾いていいんでしょうか状態で、開演前は相当精神的に追い込まれてたんですが、ステージでは集中できました。リボンのおかげかも。

本番ではテンションを上げるのは当然ですが、とくにハチャトゥリアンの「レスギンカ」は、目いっぱいギンギンでf^^;。ピチカートも中指が腫れるほどやりました。そのあと「ポロヴェツ人の踊り」があるので、体力が持つかという心配がありましたが、やってやれないことはない。めざせ、ニセロシア人(爆)。聴衆のみなさんは、いったい何事かとびっくりしたんじゃないかな? 

チェロパートとしては、最後まで課題になっていたのが、「花のワルツ」の中間部や「時の踊り」、「ポロヴェツ人の踊り」でメロディーをとるところでした。「花のワルツ」と「ポロヴェツ人の踊り」はがんばったと思いますが、「時の踊り」はやはり難しかった。

指揮の後藤先生、練習では冷静でときにはユーモアときには皮肉の効いたお言葉を頂戴することもあったりしたんですが、本番はとても熱く表情豊かで、オーラが出ていました。「花のワルツ」の夢のような世界に、中間部のチェロの旋律のところだけ現実というか愁いが顔をのぞかせるという解釈はなるほど、という感じ。「魔法使いの弟子」では、ホウキが折られた後のところで、ファゴットといっしょになって唸っていて、おかしかった。「ポロヴェツ人の踊り」では最後に練習ではなかったアッチェレランドがきて、うぎゃあ! でも実演ならではの盛り上がりは、スカッとしたんではないかとf^^;。アンコールはブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番。6番は昔から好きだったこともあって、ここではもうすごく楽しかった。ぜひまた共演できる機会がありますように。

後藤先生には練習を通じていくつかの「名言」をいただいたので、よく覚えているのをここで書いてしまおう。

「北九響は、野蛮な曲が得意」(爆)。そういわれれば、以前ハチャトゥリアンの『仮面舞踏会』のときもめちゃくちゃ盛り上がった記憶がf^^;。ショスタコーヴィチもいけるかも。でも次の定演はプロコフィエフの「古典」とブラームスの3番なのであった(噂によれば、大変らしい)。

「弾くと聴けない、聴くと弾けない」。うーん、まさにそのとおり(爆)。って感心している場合じゃないけど、なんかそういう「能力」みたいなのがあるんでしょうかってくらい当たってますf^^;。弾きつつ聴きつつ、を高い次元で達成させたいものです。そのためには、聴きながらも体はちゃんと動いていられるように練習するしかないのか結局。
posted by みっち | 20:10 | cello | comments(2) | trackbacks(0) |
『アメイジング・スパイダーマン』
3D吹替版で鑑賞。スパイダーマン・シリーズは最初からやり直しになったみたいで、主人公ピーターの高校時代、スパイダーマン誕生のエピソードが描かれます。主演のアンドリュー・ガーフィールドは撮影時20歳台後半で、高校生役にはどうかという感じもあるのですが、周囲の出演者にもオトナを配しているためか、映像ではそれほど違和感がありません。とはいえ、大学生という設定の方がより自然だと思うのにそうしなかったということは、『トランスフォーマー』みたいに次作で進学するのかな?

ヒロインはMJではなく、グウェン・ステーシーで、金髪碧眼のエマ・ストーンが魅力的v(^^;)。スパイダーマンの敵はリザード(コナーズ博士)で、『ハリー・ポッター』でゼノフィリアス・ラブグッド(ルーナのパパ)だったリス・エヴァンスが演じています。わが家のホビットと観たのですが、リザードはかなり気持ち悪かったようですf^^;。ピーターの育ての親ベンとメイにはマーティン・シーンとサリー・フィールドという名優二人が配されていて、この映画に大きな説得力をもたらしています。ついでにいうと、グウェンの父親ステーシー警部役が『スパイダーマン』のノーマン・オズボーン(グリーン・ゴブリン)に似ている、と思ったのですが、別人でしたf^^;。

ストーリーはあらためていうこともないと思うんですが、アクション・シーンやスペクタクル・シーンが凄いのも、もういうまでもない感じ(爆)。3Dでは、いろんなものがこっちに飛んできますf^^;。とくに、クレーン車の協力でスパイダーマンが高層ビル街を高速移動するシーンは気持ちよさそう! 見せ場ばかりでなく、能力をまだコントロールしきれないピーターがあちこち壊しまくったり、すぐそばでメチャクチャ大暴れしているのにヘッドホンで音楽を流していて気づかない音楽教師など、随所に笑えるシーンがあるのが楽しい。

前シリーズと大きく違うのは、スパイダーマンの能力にピーターの両親が絡んでいることで、父親が研究していたバイオ技術が元になっている、という設定です。この謎は本作では完全には解明されません。本編中にノーマン・オズボーンの名前が出てくるのとラスト・シーンで続編予告があるので、もう絶対。というわけで、次回はいよいよグリーン・ゴブリン登場?
posted by みっち | 19:26 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガンダルフの登場
レゴの「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズが発売されましら。今回発売は全6種類で、いちばん値段が高いのは「ヘルム峡谷の戦い」。別売の「ウルク=ハイ軍」とは城壁がつながるようです。

この「ガンダルフの登場」はエントリーモデル。ちなみに、店頭表示では「ガンダフル」になってました(爆)。
馬車の後ろには、各種花火らしいものが積んであります。ホビットはビルボかと思ったのですが、フロドのようです。なかなかよくできています。不満があるとすれば、ガンダルフの杖がただの棒とほとんど変わらないことでしょうか。

おそらくは、『ホビットの冒険』映画化に合わせた企画かとは思うのですが、見ると欲しくなって困るf^^;。わが家はレゴだらけで、もはやこの展示スペースはないのですが、ほかのを撤去させてでもそろえたくなりますねー。
posted by みっち | 16:26 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヒコックス/ムジクム90によるフンメルのミサ曲ほか
・フンメル:ミサ曲ニ長調 作品111
・フンメル:オッフェルトリウム『恵み深き乙女』
・フンメル:ミサ曲変ロ長調 作品77

スーザン・グリットン(ソプラノ、オッフェルトリウムのみ)
リチャード・ヒコックス指揮、コレギウム・ムジクム90
録音:2001年10月1-3日
(CHANDOS ANNI 0030 「シャンドス創立30周年記念ボックス」-13)

「シャンドス創立30周年記念ボックス」の13枚目。12枚目にひきつづいてのフンメル作品で、今度は宗教曲です。2008年に60歳で急逝したヒコックスが古楽器団体のコレギウム・ムジクム90を指揮しての演奏。

前回も感じたことですが、モーツァルトやハイドンに代表されるような典型的な古典派音楽で、ピアノ協奏曲の場合はロマンティックなピアノ独奏が入るのですが、それがないので、ハイドンといわれたら信じてしまいそうf^^;。

作品111は、ニ長調となっていますが、キリエの入りと締めくくりは明らかに短調です。そのせいか、キリエではどことなくモツレクのこだまのような響きが聴けます。とはいえ、ああいった熾烈さや劇性とは無縁のむしろ平穏な音楽です。グローリアの後半クム・サンクトゥスに大規模なフーガが置かれ、クレドの終わりのアーメン・コーラスでも力の入った多声的な展開があり、これらの部分は聞きどころといえます。サンクトゥスやベネディクトゥスでちょっとだれるのが惜しい。

作品77は、作品111と比較すると小粒ですが、伸びやかな曲調で聞きやすい。こっちはハイドン的といえるかな。クレドがなかなかよく、十字架の場面では、管楽器の和音に弦が刻みを加える表現が効果的だと思いました。比較的簡潔なサンクトゥスのあと、ベネディクトゥスがありきたりでしかも長い。ベネディクトゥス丸ごといらない感じ。アニュス・デイ前半は内省的な雰囲気が美しい。ここでは味わいのあるオーボエも聴かれます。しかし後半のドナ・ノビス・パーチェムが類型的でつまらない。

という感じで、ところどころで耳に訴える部分があるのですが、それ以外は「よくある音楽」にとどまっているのが残念。キャッチーなフレーズがないので記憶に残りにくいのと、なぜか独唱を使用せず、オケもソロ的な部分があんまりないのでなおさら平坦に感じます。これ、ピアノ協奏曲にカデンツァがないのとなにか関係があるのだろうか?

2曲目のオッフェルトリウムは、ソプラノ独唱が登場します。ここでは「ハレルヤ」の聖歌が採用されているようです。

指揮については、きびきびした運びはいつもながらのヒコックスですが、ノン・ヴィブラートなオケが貧相に聞こえてしまって、なんかあんまり相性良くないんじゃないかと思いました。コレギウム・ムジクム90は、アルビノーニのオーボエ協奏曲はよかったんですけど。
posted by みっち | 17:03 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
「九州の役」か「九州征伐」か
「ウィキペディアのグダグダ」シリーズ最新作(爆)。これ自体は最近立ったコメント依頼ですが、元となった改名議論がすごいというかひどい。いろんな人が4年もかけて築いたグダグダさ加減としては、かの「南京大虐殺」事件も超えるウィキペディア日本語版始まって以来最大のスケールでしょう。「南京」のときは、暴れていたのはほとんど一人だったわけで(大爆)。

しかも、第三者から見ると別にどっちでもいいじゃん、という争いの不毛さでも群を抜くレベルです。ふつうならこっちかな、と思える候補があるものなんですが、この場合、どの候補を見ても帯に短したすきに長しという感じで、しっくりこない。今回コメントするに当たって自分なりに考えてみて、ようやくその原因がわかったような気がします。このことはあとでまた触れます。

実はこれに先だって別な問題が起こっていまして、いったん「九州の役」から「九州征伐」に移動されたとたんに、他の項目の該当用語が「内部リンク修正」の名目でいっせいに「九州征伐」に書き換えられています。「九州征伐」以外の用語は撲滅すべしというわけです。「小田原の役」から「小田原征伐」への移動に伴っても同じことが起こっていたようで、こんなことしたら、ただでさえ反発が強い項目移動への合意がますます遠ざかることがわからないんでしょうか。みっちがもし同じ「九州征伐」派だったとしたら、同じ立場だからこそこんなやり方は阻止するか、少なくともたしなめると思います。ところがそういうことをだれもしない。要するに、自分の推す用語だけが大事で、それ以外に関心がないらしい。

で、どうしてどの候補もイマイチに思えたのか、です。経緯を調べていくと、「九州平定」が別記事になっていて、項目候補から外れていることがわかりました。現在の「九州平定」は、豊臣秀吉だけでなくいろんな時代の九州平定について説明がしてあって、秀吉については詳しくは「九州の役」もしくは「九州征伐」を見よ、ということになっていました。これ、変でしょ。元記事が「九州平定」なら、秀吉のは「豊臣秀吉の九州平定」とか「九州平定 (豊臣秀吉)」あるいは「九州平定 (安土桃山時代)」とかになるはず。これで解決じゃないの? これ、とっくに気づいていた参加者もいるんじゃないかと思うんですが、あえて触れないのは、みんなが合意できそうな用語より、自分が支持する用語を押し付けたいからですか? こんな人ばかりがよってたかってもグダグダ以外のなにものも生まれないのは当然です。

よって、みっちの結論「参加者全員無期限ブロック」(爆)。って、ホントに書いちゃったf^^;。
posted by みっち | 08:17 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
ハフによるフンメル:ピアノ協奏曲第2番、第3番
・フンメル:ピアノ協奏曲第2番イ短調 作品85
・フンメル:ピアノ協奏曲第3番ロ短調 作品89

スティーヴン・ハフ(ピアノ)
ブライデン・トムソン指揮、イギリス室内管弦楽団
録音:1986年9月22、23日
(CHANDOS ANNI 0030 「シャンドス創立30周年記念ボックス」-12)

「シャンドス創立30周年記念ボックス」の12枚目。フンメルはハンガリー(現スロヴァキア)出身で、19世紀初めごろのウィーンでは8歳年上のベートーヴェンと肩を並べる人気作曲家・ピアニストだったようです。

このピアノ協奏曲は、なかなか面白いと思いました。オケはハイドンやモーツァルトとほとんど変わらない印象ながら、ピアノパートはショパンあるいはシューマンを予告するような音楽で、ウィーン古典派とロマン派の橋渡しという意味で、歴史的な役割がよくわかります。また、これに比べれば、同時代のベトベンがどれだけ個性的で型破りだったかということも痛感できます。

第2番は、端正だけどいささか紋切り調のオケ、ピアノが入るととたんに饒舌・華麗に動き回る音楽で、ショパン絶対この曲聴いてるよね、といいたくなるほどショパンのピアノ協奏曲を彷彿とさせます。でもそれだけではなく、第2楽章からはテンポの変化をほとんど感じさせないで自然に第3楽章に流れ込むように作られているのがユニークです。第3番は音色に工夫があり、第1楽章の第1主題を木管グループに吹かせて弦が伴奏、第2楽章ではピアノ・ソロとホルン・アンサンブルだけ(?)で夜想曲風に進行するなど、よりロマンティックな雰囲気を出しています。こっちはシューマンも影響を受けたかも、と思わせます。あと、どちらもピアノだけのカデンツァが見当たらないのがちょっと不思議。そもそもカデンツァいらないぐらいに活躍しているともいえますが。

それぞれ興味深い曲ですが、こんな風に面白く聴けるのはこの演奏だからこそ、という面もありそうです。ピアノパートは存分に技巧的だと思いますが、ハフは曲調の変化に合わせて表情豊かに演奏していて間然とするところなし。余裕すら感じさせます。トムソン率いるイギリス室内管の音色もよく、美しいだけでなくピアノとぴったり息の合った一体感が素晴らしい。爽やかな音質の録音も相まって、まずは理想的なパフォーマンスというべきかと。
posted by みっち | 19:21 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |