『平清盛』いままで観てたけど
2012.10.30 Tuesday
視聴率が低いとか、画面が汚いとかネガティヴな話題ばかりが耳に入ってくるNHK大河『平清盛』ですが、初回からずっと観てました。いろいろ不満はありながらも、そのうちきっと面白くなってくるんじゃないかと期待して。しかしもうダメぽ。観るのやめた。
みっちと大河ドラマの付き合いは、『新・平家物語』から始まっているので、清盛には思い入れがあります。もともと下関の生まれなので平家には親近感があるし、吉川英治の原作は、最初に読んだ長編小説でした。実は、壇ノ浦の合戦から逆に遡って読んだんですけど(爆)。
で、今年の大河ですが、配役や画面にはさほど不満はありません。京の都や武士の格好が汚いのはそれほど気にならないし、リアリティーの点ではありでしょう。ただ、全体にハイキーで脱色めいた画面が単調ということはいえます。とくに、清盛の憧れだったはずの海の描き方にはもっとこだわってほしかった。ほかの描写を抑えても、ここは魅力的に映してもらわないと、物語自体に説得力がありません。なのに、せっかくの福原の場面でも海がフィーチャーされないのはどういうこと?という感じ。大輪田の泊まりに宋船が到着するシーンとか、なにを置いてもお金をかけてスペクタル的に追求すべきところじゃないんでしょうか。
決定的にどうにもならないと思ったのが脚本です。しばらく前に兎丸が死んだんですが、死んだことがどうこうではなく、脚本家はこの架空のキャラクタにいったいなにをさせたかったんでしょうか。物語の設定としては、兎丸は京の盗賊朧月の息子で、朧月を殺したのが清盛の父親・忠盛という因縁の間柄です。忠盛と朧月の対決シーンは、このドラマの最初のクライマックスともいえるシーンで、いわば、この二人の因縁はドラマのメインルートになってもおかしくないくらいの重要性を持たせられていたはずです。
例えばですが、二人の仇敵の息子同士が海への思いから手を組んで、公家社会の旧弊を吹き払うとか、逆に、若いころ似たもの同士だった二人が立場の違いから次第に離れていき、自分の影ともいうべき相手と最後には倒すか倒されるかという間柄となってやむなく手にかける、という展開もありでしょう。架空なんだから、いくらでも膨らませられる。しかし、実際のストーリーは、なんとも中途半端なもので、兎丸は結局これといった存在価値を見せる場面もなく、死ぬ必然性もないまま数多い脇役の一人として不平だけ残して消えてしまいました。
清盛は情に厚く、平氏一族を大事にするだけでなく、兎丸やライバルだった義朝に対する友情も人一倍あることはドラマで何度も出てくるのですが、いきなり盲目的に追求する場面ばかりで、どうしてなのかとか、それが清盛の人格形成にどう影響したのかが見えない。平治の乱以降は、信西のめざした理想世界に自分の理想を重ね合わせているようなんですが、これも熱心さだけが表面に現れている割には中身が漠然としていて、具体的段階もなければ後白河や貴族たちを説得しようという姿勢もない。信西に忠実という点では清盛以上に描かれている西光との対立関係もあいまいなまま険悪になっていきます。福原に移ってからは権謀ずくの黒幕になっていきますが、そうなった経過もわかりません。要するに、思い入れだけは表面的に描かれるのですが、その実体が客観的に示されないために共感がわきません。これ、過去に似た感じの大河があった気がします。武蔵も途中で観るのやめちゃったからなあ(爆)。
建春門院死後の平氏は下り坂なので、その予告というか分岐点として兎丸の死を置きたかったのかなとは思いますが、結果は諸行無常であるとしても、「世の中を面白く」というキャッチフレーズどおり清盛が精一杯面白く生きようとしたのなら、こういう展開にはならないはずじゃないかなあ。まあ、そもそもこの「面白く」なんていってる時点で間違えていた、という可能性もありますが。理想にも現実にも徹しきれず、目先の状況に流されている様子は、現実の政治を反映しているといううがった見方もできそうf^^;。
みっちと大河ドラマの付き合いは、『新・平家物語』から始まっているので、清盛には思い入れがあります。もともと下関の生まれなので平家には親近感があるし、吉川英治の原作は、最初に読んだ長編小説でした。実は、壇ノ浦の合戦から逆に遡って読んだんですけど(爆)。
で、今年の大河ですが、配役や画面にはさほど不満はありません。京の都や武士の格好が汚いのはそれほど気にならないし、リアリティーの点ではありでしょう。ただ、全体にハイキーで脱色めいた画面が単調ということはいえます。とくに、清盛の憧れだったはずの海の描き方にはもっとこだわってほしかった。ほかの描写を抑えても、ここは魅力的に映してもらわないと、物語自体に説得力がありません。なのに、せっかくの福原の場面でも海がフィーチャーされないのはどういうこと?という感じ。大輪田の泊まりに宋船が到着するシーンとか、なにを置いてもお金をかけてスペクタル的に追求すべきところじゃないんでしょうか。
決定的にどうにもならないと思ったのが脚本です。しばらく前に兎丸が死んだんですが、死んだことがどうこうではなく、脚本家はこの架空のキャラクタにいったいなにをさせたかったんでしょうか。物語の設定としては、兎丸は京の盗賊朧月の息子で、朧月を殺したのが清盛の父親・忠盛という因縁の間柄です。忠盛と朧月の対決シーンは、このドラマの最初のクライマックスともいえるシーンで、いわば、この二人の因縁はドラマのメインルートになってもおかしくないくらいの重要性を持たせられていたはずです。
例えばですが、二人の仇敵の息子同士が海への思いから手を組んで、公家社会の旧弊を吹き払うとか、逆に、若いころ似たもの同士だった二人が立場の違いから次第に離れていき、自分の影ともいうべき相手と最後には倒すか倒されるかという間柄となってやむなく手にかける、という展開もありでしょう。架空なんだから、いくらでも膨らませられる。しかし、実際のストーリーは、なんとも中途半端なもので、兎丸は結局これといった存在価値を見せる場面もなく、死ぬ必然性もないまま数多い脇役の一人として不平だけ残して消えてしまいました。
清盛は情に厚く、平氏一族を大事にするだけでなく、兎丸やライバルだった義朝に対する友情も人一倍あることはドラマで何度も出てくるのですが、いきなり盲目的に追求する場面ばかりで、どうしてなのかとか、それが清盛の人格形成にどう影響したのかが見えない。平治の乱以降は、信西のめざした理想世界に自分の理想を重ね合わせているようなんですが、これも熱心さだけが表面に現れている割には中身が漠然としていて、具体的段階もなければ後白河や貴族たちを説得しようという姿勢もない。信西に忠実という点では清盛以上に描かれている西光との対立関係もあいまいなまま険悪になっていきます。福原に移ってからは権謀ずくの黒幕になっていきますが、そうなった経過もわかりません。要するに、思い入れだけは表面的に描かれるのですが、その実体が客観的に示されないために共感がわきません。これ、過去に似た感じの大河があった気がします。武蔵も途中で観るのやめちゃったからなあ(爆)。
建春門院死後の平氏は下り坂なので、その予告というか分岐点として兎丸の死を置きたかったのかなとは思いますが、結果は諸行無常であるとしても、「世の中を面白く」というキャッチフレーズどおり清盛が精一杯面白く生きようとしたのなら、こういう展開にはならないはずじゃないかなあ。まあ、そもそもこの「面白く」なんていってる時点で間違えていた、という可能性もありますが。理想にも現実にも徹しきれず、目先の状況に流されている様子は、現実の政治を反映しているといううがった見方もできそうf^^;。