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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
久しぶりの無伴奏チェロ組曲第2番
演奏会が終わったので、新しい楽譜を作るまで一週間ほどバッハの無伴奏チェロ組曲第2番のクーラントを練習しました。今年の発表会で披露しようかと思っているのですが、昨年秋の定演終了後にちょっとさらって、レッスンで先生に聞かせたら「曲になっていない」と突き放され、教えてももらえませんでした。でも、曲になっていたらレッスンの必要ないよね(爆)。というわけで、先生には頼らず自分でなんとかしてやろうと決心f^^;。

ところが、これが難物。この曲は雄々しさというか、ときに荒々しさが必要だと思っているのですが、意欲だけが空回りして、ただ「粗い」だけになっていたのが先生に酷評された原因だろうとは思っています。でまあ、確実にきれいに発音し、その上で表現する、ことをめざしているのですが、全然思うようにいきません。そもそも冒頭の入りからの音程が悪く、重音がなかなか決まらない(ーー;)。あれやこれやと運指を変えたり戻したりしながら、少しはまあまあになってきたと思ったら、すぐ次がつかえる、という具合で、苦労の連続。なんでこう指が勝手に動くかなあ(爆)。

それでも一週間ほどやっているうちに、多少は手応えがつかめてきたかな?という感じ。道半ばですが、とりあえずはここまでです。来週から6月定期の練習が始まるので、そろそろその準備をせねば。プログラムは次のとおりです。

バラキレフ:ロシアの3つの主題による序曲第1番
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調「田園」

4月異動で飛ばされなければ、初ベトベンが実現します。
posted by みっち | 19:43 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
北九州市制50周年記念演奏会
<第1部>田中一嘉指揮、北九州交響楽団
・ワーグナー:楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より第1幕への前奏曲
・リスト:交響詩『前奏曲』
・マスカーニ:歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲
・エルガー:行進曲『威風堂々』第1番

<第2部>増井信貴指揮、市制50周年祝祭管弦楽団ほか
・團伊玖磨:合唱組曲『北九州』

2013年2月17日、アルモニーサンク・北九州ソレイユホール


北九州市の市制50周年記念演奏会の第1部に参加しました。お祭りにふさわしい「ポピュラー名曲」ぞろいで、こういう機会もそうないだろうと思い、完全燃焼をめざしました。結果は、どうだったでしょうか? 本番では管楽器のみなさんの響きの美しさに聞き惚れてしまって、自分の方がアレ?みたいな瞬間があったんですが、オチたりはしなかったのでよしとしようf^^;。

4曲の中では、リストが大変でした。とくに中盤の激しいところで繰り返すアルペジオは、もうギリギリのスピードでなんとかふんばった感じ。リストの曲は、以前聴くだけだったころはつまらん音楽だと思っていましたが、こうやって弾いてみるとなかなかおもしろい、と見直している自分がいます。あと、エルガー『威風堂々』主部のメロディー、ガシガシ弾くところですが、何回やってもちゃんと鳴らせてないなあ。

今回、第2部との関係でしょうか、チェロパートはいつものステージ下手ではなく、ヴィオラと場所を交替して内側に陣取りました。最初はとまどいましたが、指揮者、コンミス、トップとも近く、弾きやすかった。右からヴァイオリン、左からヴィオラ、後ろからコンバスや管楽器が聞こえるのも新鮮で、これぞリアル3D(爆)。客席から見ても正対に近くなるので、聞こえやすくなったのではないでしょうか。

乗り番終了で、第2部は客席から聴きました。といってもほぼ満席で、空席探すのが大変でしたが。組曲『北九州』は、200人の混声合唱に100人の児童合唱、多彩な打楽器に小倉祇園太鼓まで動員して総勢400人近い編成です。ステージを眺めるだけで壮観。合唱団のいちばん高い壇上に立つ人は、かなり怖かったんじゃないでしょうかf^^;。全曲通して聴くのは2回目かな? 北九州の自然やいろんな風物を歌い上げた1時間近い大曲です。序章と終章の音楽が同じになっているのですが、『花の街』の作曲者らしい叙情性と壮大なスケール感が渾然となっっていて、思わず胸が高鳴ります。その『花の街』と『ふるさと』がアンコール演奏されました。
posted by みっち | 20:24 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
どうぶつの森に「白の木」を
わが家のはダウンロード版3DS/LL「とびだせ どうぶつの森パック」で、もともとはホビットがおばあちゃんにお年玉としてねだったものだったんですが、みっちもホビットの村の住民になれるらしいと聞いて、家を建ててみたのがきっかけで、すっかりはまってしまいましたf^^;。

いろんな家具やアイテムがあり、それを集めて好みの部屋に仕立てるのがまず面白い。家具類はよく作り込まれていて出来がよく、ホビットは和室、みっちは音楽室を追求しています。集まった家具を置くには部屋数と広さが必要なので、増築を繰り返し、ローンを払うために南の島に行って虫取りf^^;。そのうち村の住民との交流もなかなか楽しいことがわかってきて、住民に手紙を書いたりアイテムを送ったりするためにも商店街に足を運ぶようになります。さらに、マイデザインで服装や道路のパネルなどを作成でき、ネット画像を参考にレンガ道路のパターンを自作して自宅からリサイクルショップや役場などの施設まで道を通しました。村長じゃないけど、これも「公共事業」よねf^^;。ホビットは、ドラクエの紋章デザインをQRコードで読み込んで自宅回りに貼り付けています。負けじとみっちもゴンドールの「白の木」(手じゃないよ!)をわが家の目印にしようと、ただいま作成中のデザインがこれ(画像)。服や地面以外に、ステンドグラスなどの家具にも貼り付けられるんですよ。

ホビットが村長をしているレゴ村には9人の動物住民がいて、女性キャラがハンナ(イヌ)、シドニー(コアラ)、ナタリー(シカ)、みぞれ(ヒツジ)、男性キャラがゲンジ(ウサギ)、オカッピ(ウマ)、ケイン(キジ)、ブルース(シカ)、パンタ(パンダ)という面々。最初はあまり見分けが付かなかったのですが、実はそれぞれ個性があって会話がおもしろい。オトナなナタリーの家がみっち邸のすぐ裏でご近所さんということと、ロック姉貴のハンナが「高級コンポ」を持っていることが分かったので、とくにこの二人には服や手紙を送ってご機嫌を取るようにしていますf^^;。ところが、こないだハンナの家に行ったら、コンポがなくなっていました。おーい、アネキどこへやったんだよう。そのうち、新たにルーズ(トラ)がキャンプ場にやってきて、ホビット村長が勧誘に成功したため動物が10人に。こうなると新しい住人は増えないので、引っ越ししてもいいキャラを村長と相談したところ、パンタなら出て行っていいということで一致(爆)。すまん、パンタ。このメンツではちょっと影が薄かった。そしたら、すぐパンタに引っ越しフラグが(爆)。

2月11日は「カーニバルの日」で、この日しか入手できないカーニバルシリーズの家具(青と白のツートーンがきれい)がほしくて、ホビットと代わりばんこに羽根集め。空から降ってくる羽根を集めて家具と交換するのですが、村の動物たちとのジェスチャーゲームやじゃんけんなどでも羽根がもらえるので家具の入手自体は楽しく簡単。ただし、壁紙や絨毯も含めたシリーズ13種類のうち、なにがもらえるかはランダムなため、コンプリートにはかなり回数をこなす必要があります。それでも二人だと、お互いにダブリを融通できて比較的順調にすすみ、結局夜までには二人ともコンプリート成功v(^^)。シリーズ家具を全部集めたの、これが初めて、だなも(爆)。
posted by みっち | 20:53 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
モルトコヴィチとヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管によるショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲集
・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 作品77
・ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第2番嬰ハ短調 作品129

リディア・モルトコヴィチ(ヴァイオリン)、ネーメ・ヤルヴィ指揮、スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
録音:1989年10月16、17日
(CHANDOS ANNI 0030 「シャンドス創立30周年記念ボックス」-19)


遅々としてはかどらない「シャンドス創立30周年記念ボックス」の19枚目は、ショスタコーヴィチの2曲のヴァイオリン協奏曲です。2曲とも、ショスタコーヴィチの薄暗い思索的な面がよく出ていて、意味を考えたりしてあんまり集中すると運転に差し支えそうになるため、クルマで聴くにはおすすめできない音楽ですf^^;。

第1番は完成と同時にジダーノフ批判が起こり、7年間お蔵入りとなった経緯があります。もしそのまま発表していたら、まず間違いなく「形式主義」のそしりを免れなかったでしょう。4楽章構成で、交響曲に匹敵するスケールです。第1楽章はいきなり「灰色の世界」で、早くもショスタコ節全開f^^;。ヴァイオリンはモノローグのように進んでいきます。長い曲ですが、途中重苦しくはなっても盛り上がりはなし。終始物憂げな雰囲気で静かに消えていきます。第2楽章は一転して軽妙で諧謔味のあるスケルツォ。ここではショスタコーヴィチ自身の刻印とされるDSCH音型が暗示されますが、DSCのあとがHでなく半音低いB(♭)。第3楽章パッサカリアは重く悲痛な音楽。後半は独奏ヴァイオリンの長いカデンツァとなり、フィナーレに向かって昂奮を高めていきます。ここではDSCH音型がはっきり聞き取れます。この音型を使ったのは、この曲が最初でしょうか? フィナーレはほとんどやけっぱちのような驀進音楽で、一回聴いたら忘れられないでしょう。全体に交響曲第10番に近い印象ですが、スターリン死後に書かれた10番と違って、まだ夜明けが見えてない感じ?

第2番はショスタコーヴィチの晩年に入った時期の作品で、1番ほどのインパクトはありませんが、こちらも一筋縄ではいきません。3楽章構成で小ぶりなように見えますが、各楽章にカデンツァがあったりで、どうしてどうして規模的にも1番に負けていません。第1楽章モデラートは抽象的で陰鬱さを湛えた主部が支配的ながら、中間部では激しく盛り上がります。つづく第2楽章も暗く、しかもアダージョf^^;。ぼんやり聴いていると、あれ、いつのまにか2番が終わって1番の最初に戻った?みたいな勘違いをしそう。ただ、この楽章の終わりでは珍しく穏やかな長和音が鳴っていて、解決感があります。フィナーレは1番に似た快速調ですが、特徴的なリズムパターンが短く、一気呵成でテンションが高まる一方の1番と比べてこちらはよりテクニカルで複雑味を感じさせます。クライマックスのたたみかけのかっこよさは相変わらずだなあ。

モルトコヴィチのヴァイオリン・ソロは、明快でありつつ求心力の高い演奏。みっちはコンドラシンのバックでコーガンの1番、オイストラフの2番を持っており、あまりにも凄まじいこの二人の大御所と比べてはいけないと思いますが、音楽的にもまずは申し分ありません。どちらかというと、オイストラフに似ています。パパ・ヤルヴィのバックは、ショスタコーヴィチの刺激的でけたたましい音色がやや落ち着いてオトナな雰囲気になっているのが特徴。これはこれで聴き応えがあります。録音もよく、音楽がよく見えるので繰り返し鑑賞するのに適しています。
posted by みっち | 20:45 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |