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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
ジュリア復活、しかし……
わが家のオーディオ・メインシステムの中心は、ビギンオリジナルのスピーカー《Julia》なのですが、居間に置いている関係で、稼働することがめったにありません。奥方とホビットがテレビを見るのがほとんどで、たまにDVDとかかけるときに鳴らしたりすると、効果音が迫真過ぎてかえって怖いっていう……。いや、だってこれ、映画館の音響よりすごいよね(爆)。

で、去年の夏ごろからウーハーのエッジ部分が経年劣化でボロボロになってしまい、これが2度目。以来、絶賛放置状態となってすでに半年でした。実は、ジュリアにはエッジの劣化しないユニットを使ったタイプも存在していて、ビギンの店頭で試聴できるのがそうなんですが、小山さんは、「もう全然違うからやめとき。車でもタイヤ交換するやろ」と。いやあ、タイヤより高い気がするんですが(爆)。

独身時代に金をかけたシステムも、こうなるとお荷物でしかないなあ、と思っていたところへ、ビギンの小山さんから連絡がありました。ジュリア完成以来、ずっと続けてきたネットワーク改良がついに終わったそうで、今年はスピーカー制作から離れて、ネットでブログでも立ち上げようかと思ってるとのこと。ついては、「あんたんとこのジュリアがそんな状態のままなのは不本意」なので、ウーハーの交換は実費もらうけど、ネットワークの調整はサービスでやってくれるという提案に、みっちはうれし涙にくれながらお願いしたわけです。

先日、わが家のジュリアからネットワークとウーハーが外されていき、「できた」ということで、きのう新しいユニットとネットワークが納入されました。さっそく試聴しようとしたところ、トラブル発生! ちなみに、わが家のメインシステムの構成は次のとおり。ええと、型番とか忘れてしまった(爆)ので、過去ログ探して再掲します。いずれも購入後20年ぐらいは経っている機器類で、いつ壊れてもおかしくない状況ではあったんですが……。

・LPプレーヤー:LINN SONDEK LP12
・カートリッジ:Benz Micro MC Gold
・CDプレーヤー:Wadia 302
・CDマッチングトランス:Shindo Laboratory AROME(位相切り替え付)
・プリアンプ:Shelter Model 404-2(管球式、フォノイコライザー付)
・メインアンプ:KRELL KSA-100s
・スピーカー:Audio Begin JULIA

○JULIAの構成
・ドライバー:JBL 2425H
・ホーン:JBL 2370A
・ウーハー:JBL 2226H


まず、CDプレーヤー。ブラームスの弦楽五重奏曲(アマデウス四重奏団)をかけたところ、CD読み込みはできたのですが、再生すると1分すぎで止まってしまいます(ーー:)。ワディアのCDプレーヤーはいまとなっては修理不能だそうで、これは大変なことになった。ただし、ほかのCDを試したりしているうちに、CDプレーヤーの不調はしばらくすると直りました。暖まってきたのか? 長時間通電していなかったため? よくわかりませんが、ともかく最悪の事態は当面避けられました。

さらに、左チャンネルから音が出ません(ーー:)。片鳴り状態は古いアンプにわりと見られる症状で、実は放置以前からちょっとその気配があったんですよねf^^;。そのときはしばらくすると鳴りだしていたんですが、今回は、いろいろやってもかすかに歪んだ音が出るだけ。これはプリアンプが原因のようです。シェルターという、栃木県だったかのガレージメーカー製で、ここももはやアンプを作っていないそうですが、幸い真空管なので、取り替えればなんとかなるらしい。この日はこのままにしておき、後日アンプだけ修理に持ち込むことにしました。

小山さんの指示でレコードプレーヤーでLPもかけてみました。果たして動くのか(爆)。リヒター指揮でバッハの管弦楽組曲第2番を取り出したところ、アナログは健在でした。しかもPhono入力からは左右チャンネルとも立派に鳴ります。なんでだ? ていうか、なんて素敵な音なんだ! CDの片チャンネル状態も含めて、やっぱジュリア聴くと、小型の「プルート」や「ピアノ」は比較になりませんね(金額もだけどね)。クレルのパワーアンプも大丈夫でした。この件は、また報告したいと思います。
posted by みっち | 18:56 | Audio | comments(2) | trackbacks(0) |
ゴーストライター騒動に思う
このごろ連日報道されている例の件ですが、販売打ち切りになったにもかかわらず、交響曲第1番HIROSHIMAは、クラシック部門売り上げ第1位らしいですね。騒動のおかげでレアものになったと喜んでいる人もいるとか。スポーツ紙に「ゴースト新垣」って命名してあったのもウケました。いやなんというか、ぴったり、じゃなくて不謹慎すぎだぞ(爆)。

「さむら・かわちのかみ」とはまた古風なペンネームだなと思ったくらい、この人のことは全然知りませんでした。みっちも「勘解由」というハンドルを使うことあるんでf^^;。そういえばテレビで「現代のベートーヴェン」の売り文句を見たような気がしますが、マスコミは相変わらず、という程度でした。素性がよくわからないままこんな風に持ち上げられた人は、日本人に限らずこれまでもいろいろいますからねえ。でも、このごろはそれなりに有名な作曲家や評論家までもがこの人を取り上げるようになっていて、もしかしたらホンモノのすごい人なのかも、という疑問も湧いていたこのごろでした。

事実関係は報道機関などにおまかせするとして、みっちが気になったのは、この人名義の「交響曲第1番」の作曲経緯でした。この曲、当初のコンセプトは「現代典礼」というもので、広島とか原爆は後付けのイメージでしかなかったということです。これ、本家?のベートーヴェンでいえば、ピアノソナタの「悲愴」や「月光」に当たるでしょうか。後付けというだけでなく、作曲者自身の命名じゃない点でも似ている(爆)。

コンセプトには「典礼」のほか、「祈り」、「啓示」、「受難」といった宗教的なイメージを喚起する言葉が並べられていたそうで、実質的には佐村河内氏はプロデューサーだったといえそうです。なんにせよ、できあがった曲に、彼は作曲者がまったく想定していなかったHIROSHIMAのタイトルを使った。にもかかわらずというか、だからこそというか、この曲に本当に広島や原爆のイメージを重ねて共感を覚え、感動した人がいたらしい。これはどういうことかというと、人は音楽に対して、実際に込められた意図とは無関係に、自分の見たい「物語」を見ることができる、ということを示しています。

このことは、ショスタコーヴィチの音楽にあるといわれている「イソップ言葉」の話とも重なると思います。ショスタコーヴィチが、「社会主義リアリズム」に忠実な外見の裏に体制批判を込めていたという話です。チャイコフスキーの同性愛ゆえの苦悩とか、マーラーの死への恐怖と受容とか、こういう「神話」「伝説」に事欠かないのがクラシック音楽でもあります。そういう暗示さえ与えれば、すべてがそのように思えてくるところがある。音楽は、ある意味聴く人間の頭の中を映す鏡のような媒体ともいえそう。あらためて、「標題音楽」ってなんだろう? 作曲ってなんだろう? と思わされました。

posted by みっち | 22:30 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴァイオリンソナタ第2番 (フォーレ)
ウィキペディアに標記記事を立ち上げました。フォーレの室内楽作品シリーズ第3弾。

年明けからちょこちょこ譜例を作ったりしていたんですが、予想していたよりボリュームがあってまとめ方に苦労し、結局1ヶ月かかりました。本当はここからもっと読みやすく洗練された感じになるよう細かいところまで手を入れれば、というところですが、オケのプログラム解説も書かなくてはならなくなり(しかも全曲分!)、2月に入ってこれ以上時間をかけられない感じなので、えいっ、と。なんとか読むには耐えるレベルだろうと思います。それにしても、1番より人気がない2番なのに、チェロソナタと比べると語られることが多いのは、ちょっと羨ましいぞ(爆)。

例によって、確認のためにカプソン兄弟らの「フォーレ室内楽全集」からの1枚を聴きました。この曲はデュメイやファウストの鮮やかな演奏が印象に残っていますが、こちらも起伏に富んだ味わいある1枚だと思いました。ソナタ第1番が午後の明るい日差しから夕暮れ時までを描いているとすれば、第2番は夜、未明の世界ですね。とくにこのごろ、冬から春にかけての明け方近くの星座の澄んだ輝きにふさわしい。かっこいい曲だなあ、とあらためて感心。

ただ、ピアノにはもう少しキレというか透明感がほしいような気もします。ずっと聴いてなかったし、ながら聴きなので、詳しいことは改めてちゃんと聴いてから、かなf^^;。

そういうわけで、次までは当分かかると思います。
posted by みっち | 21:35 | Wikipedia | comments(1) | trackbacks(0) |