第三帝国のR.シュトラウス
2014.09.20 Saturday
『第三帝国のR.シュトラウス』 音楽家の〈喜劇的〉闘争
山田由美子著 世界思想社(2004年)
『ドン・ファン』のプログラム解説を引き受けた関係で読んだ1冊。『ドン・ファン』のことはタイトルくらいしか出てこなくて、資料としては直接使えませんでしたが、シュトラウス本としては面白かった。リヒャルト・シュトラウス嫌いはとくに読んでおくべきかもf^^;。
冒頭に最大の山場が置かれていて、ナチス・ドイツの帝国音楽局総裁シュトラウスの辞任騒動が語られます。『無口な女』事件と呼ばれるこの経緯から、その前後、さらにその前後という風に、全体が円を描くように構成されています。
みっちのあり合わせの知識では、シュトラウスはナチス・ドイツ時代に音楽界トップに登り詰め、敗戦後にナチスの犯罪への関与を疑われたものの、最終的には訴追を受けなかったということで、フルトヴェングラーと似た経歴の持ち主です。とはいえ、「ヒンデミット事件」で亡命したフルトヴェングラーと比べると、シュトラウスはより親体制というイメージがありました。これは、半分当たっていたけど、半分は当たっていなかった。
どういうことかというと、シュトラウスが親ナチというよりは、ナチスの方がシュトラウスの名声に頼っていたということです。バイロイトのワーグナー家から絶大な支持があり、ビューローから「リヒャルト3世」(1世はワーグナーで、2世はなく、リヒャルトの名を継げるのはシュトラウスのみ)とまで呼ばれたシュトラウスは、ヒトラーやゲッベルスが音楽分野でアーリア人の優位性を誇示するには、他に適任はいないほどのビッグネームだったわけです。これに対してシュトラウスは、音楽界トップに座ってナチスの要請に応じる姿勢を見せつつ、その実ユダヤ人排除などのナチスの政策をことごとく軽視・無視していた、ということがわかります。
それどころか、こともあろうにユダヤ系オーストリア人であるシュテファン・ツヴァイクを脚本に起用したオペラ『無口な女』を制作し、その上演にヒトラーやゲッベルスの臨席まで取り付けていたというから驚きです。実際には、ヒトラーとゲッベルスは飛行機の都合を理由にこれを回避しましたが、上演自体は止めることができませんでした。おまけに、宣伝ポスターからツヴァイクの名を削除しようとした劇場を、シュトラウスはとがめて明示させています。ティル・オイレンシュピーゲルもびっくりの愉快な悪戯(爆)。しかし、ツヴァイクに宛てて次のプロジェクトについて要請した手紙がゲシュタポの手に落ちたことで、シュトラウスは辞任に追い込まれます。その手紙というのが次の内容。ちょっと長いけどそのまま引用します。
山田由美子著 世界思想社(2004年)
『ドン・ファン』のプログラム解説を引き受けた関係で読んだ1冊。『ドン・ファン』のことはタイトルくらいしか出てこなくて、資料としては直接使えませんでしたが、シュトラウス本としては面白かった。リヒャルト・シュトラウス嫌いはとくに読んでおくべきかもf^^;。
冒頭に最大の山場が置かれていて、ナチス・ドイツの帝国音楽局総裁シュトラウスの辞任騒動が語られます。『無口な女』事件と呼ばれるこの経緯から、その前後、さらにその前後という風に、全体が円を描くように構成されています。
みっちのあり合わせの知識では、シュトラウスはナチス・ドイツ時代に音楽界トップに登り詰め、敗戦後にナチスの犯罪への関与を疑われたものの、最終的には訴追を受けなかったということで、フルトヴェングラーと似た経歴の持ち主です。とはいえ、「ヒンデミット事件」で亡命したフルトヴェングラーと比べると、シュトラウスはより親体制というイメージがありました。これは、半分当たっていたけど、半分は当たっていなかった。
どういうことかというと、シュトラウスが親ナチというよりは、ナチスの方がシュトラウスの名声に頼っていたということです。バイロイトのワーグナー家から絶大な支持があり、ビューローから「リヒャルト3世」(1世はワーグナーで、2世はなく、リヒャルトの名を継げるのはシュトラウスのみ)とまで呼ばれたシュトラウスは、ヒトラーやゲッベルスが音楽分野でアーリア人の優位性を誇示するには、他に適任はいないほどのビッグネームだったわけです。これに対してシュトラウスは、音楽界トップに座ってナチスの要請に応じる姿勢を見せつつ、その実ユダヤ人排除などのナチスの政策をことごとく軽視・無視していた、ということがわかります。
それどころか、こともあろうにユダヤ系オーストリア人であるシュテファン・ツヴァイクを脚本に起用したオペラ『無口な女』を制作し、その上演にヒトラーやゲッベルスの臨席まで取り付けていたというから驚きです。実際には、ヒトラーとゲッベルスは飛行機の都合を理由にこれを回避しましたが、上演自体は止めることができませんでした。おまけに、宣伝ポスターからツヴァイクの名を削除しようとした劇場を、シュトラウスはとがめて明示させています。ティル・オイレンシュピーゲルもびっくりの愉快な悪戯(爆)。しかし、ツヴァイクに宛てて次のプロジェクトについて要請した手紙がゲシュタポの手に落ちたことで、シュトラウスは辞任に追い込まれます。その手紙というのが次の内容。ちょっと長いけどそのまま引用します。
「ツヴァイク様
(1935年)6月15日付の手紙を拝読し、自暴自棄に陥りました。なんというユダヤ的強情さよ! 私まで反ユダヤ主義者になりかねません。民族の誇りと連帯意識! 私が「ドイツ人」(そんなことは確かめようもありませんが)という信念に基いて行動しているとでもいうのですか。モーツァルトが「アーリア人」を自覚しながら作曲していたと思いますか。私にとって人間は二種類、つまり才能のある者とない者しか存在しません。私が集団としての人間(民族)を意識するのは、聴衆を相手にするときだけですが、それが中国人か、バイエルン人か、ニュージーランド人か、ベルリン市民かなどというのはどうでもよいことです。肝心なのは、正価で切符を買ってくれることなのですから。例のグレゴール氏を引き合いに出すのはもうよして下さい。お送りいただいた喜劇はすばらしく、あなたが単独で作られたことは一目瞭然です。『1648年(平和の日)』と同様、偽名では受け取りませんからね。したがって、2本の一幕喜劇をただちに仕上げるよう緊急に依頼します。条件を提示して下さい。制作は内密に進めていただき、作品の処理はお任せ下さるよう。誰ですか、私が政治力を行使したなどと注進に及んだのは? ブルーノ・ワルターの代わりに指揮棒を振ったからですか。オーケストラ団員を救うためです。トスカニーニの代わりを務めたからですか。それは、バイロイトのためです。街頭新聞がこちらの行動をどう書きたてようと私の知ったことではないし、それに目くじらを立ててもらっても困ります。私が帝国音楽局総裁の猿真似をしているからでしょうか。しかるべき目的を遂行し、より大きな不幸を防ぐためにほかなりません! どのような政権下にあっても、この厄介な名誉職を引き受けていたことでしょう。もっとも、ヴィルヘルム陛下とラーテナウ氏から依頼はありませんでしたが。」(引用終わり)
痛快というべきか、たまりません。音楽的才能にコンプレックスを持っていたと思われるヒトラーやゲッベルスがどんな顔をしてこれを読んだでしょうか。
もうひとつ知らなかった意外な事実は、ロマン・ロランとの終生にわたる親交です。ロランは死ぬまでシュトラウスを支持していながら、『サロメ』をはじめとした、シュトラウスのオペラでは一般にはより有名なホフマンスタールとの連作には批判的でした。その理由は、シュトラウスの本領は喜劇にあり、ホフマンスタールの台本はそれにふさわしくない、というものでした。上のシュトラウスの手紙にもモーツァルトが言及されていますが、シュトラウスがめざしていたのも、ワーグナーのような悲劇的な神話世界ではなく、『フィガロの結婚』のようなブッファだったようです。こうなってくると、ホフマンスタール死後のツヴァイクとの共同作業が、シュトラウスにとって一期一会ともいうべきものだったことが浮かび上がってきます。しかし、この連携はナチスによって引き裂かれ、ツヴァイクは枢軸国の退潮を知ることなくブラジルで自殺してしまいました。シュトラウスの無念やいかばかりか。
というわけで、『無口な女』だけは聴かないといけないかなあ、という気にさせられた1冊でした。