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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
藤原望スプリングコンサート
・ヘンデル:ヴァイオリンソナタ第4番ニ長調
・ブラームス:ヴァイオリンソナタ第2番イ長調
・マスネ:タイスの瞑想曲
・サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
・ブラームス:ハンガリー舞曲第2番

藤原 望(ヴァイオリン)、広瀬美香(ピアノ)
2015年4月26日(日)、若松区・旧古河鉱業ビル1Fホール


藤原望を聴くのは下関市民オーケストラとのシベ・コン以来2回目。彼女はみっちの奥方の後輩にあたるので、悪口を書くと命が危ない(爆)。ウソウソ。身内だとかいったそんな気兼ねはまったく不要な、素晴らしい演奏でした。

チケット何枚配ったのかわかりませんが、そんなに広くない会場に100人ぐらい? 立見もでるくらいに聴衆が集まりました。オランダに留学する2年前にも同じ場所でリサイタルがあったそうで、出身地での凱旋演奏会という趣きでした。最初に主催者である若松コール・ファンタジーという地域のコーラスがあり、みっちも知った顔がちらほらf^^;。

前半のソナタでは、落ち着いた、真摯な表情が印象的でした。いま弾きたい曲を選んだということで、とりわけブラームスがメインと考えてよさそうです。3曲あるブラームスのヴァイオリンソナタの中で第2番は比較的マイナーに思うんですが、このころのブラームスには渋い中にもくつろぎや華やぎがあります。それがよく出ていて、ピアノとの対話もよくかみ合った気持ちの良い演奏でした。好天に恵まれ、窓の外では洞海湾と向こう岸の戸畑が眺められる、そんなシチュエーションで聴くにはぴったりの音楽だったのでは?

休憩後は「ポピュラー名曲」でしたが、前半とはスタイルが違い、かなり臭い演奏になっていて、それがまた効果的でした。「臭い」というのは、ホメ言葉なので誤解なきようf^^;。「タイスの瞑想曲」はみっちもチェロで弾いたことあるのでわかるのですが、付点音符や3連符がけっこう崩されていて楽譜どおりじゃなかった。でもあえてそうやっているんでしょう。サン=サーンスでは、メリハリのよく効いた説得力ある演奏となり、ハンガリー舞曲はホントに臭くて最高でした。

このプログラムなら1時間ちょいかな、と思っていたところ、アンコールが3曲も弾かれて、結局まるまる2時間かかりました。「愛の挨拶」、「この道」(山田耕筰)、そしてバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番からフーガ。最後のフーガは、全然準備していなかったらしいにもかかわらず暗譜で弾かれ、演奏もまさに圧巻でした。あの細い身体で出るわ出るわ、彼女のヴァイオリンから実に朗々とした響きが放出され、違う世界に飛ばされた感じ。いやあ、これ聴けただけでも若松まで行った甲斐があったというものです。
posted by みっち | 22:34 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
マーク指揮/フィルハーモニカ・フンガリカによるシューベルト:交響曲第1番、第2番
・シューベルト:交響曲第1番ニ長調 D82
・シューベルト:交響曲第2番変ロ長調 D125

ペーター・マーク指揮、フィルハーモニア・フンガリカ
1969年録音(Documents 231557)


まだまだつづく積ん読CDシリーズ、単発ものがだいたい終わり、お蔵入りしていたボックスを開けることにしました。ペーター・マークによるシューベルトの交響曲全集です。激安ボックスで知られるドキュメンツ(メンブラン)・レーベルで、元はVox音源らしい。

正直なところ、シューベルトの交響曲は5番、「未完成」、「グレート」しか知りません。比較的よく聴くのは「グレート」ですが、実は第2楽章などの繰り返しの多さがちょっと苦手だったりする。実際に交響曲を何曲書いたのか、あと曲順について、ここ数十年で公式?見解が変わっているため、7番以降の番号がコロコロ移動し、ベト7とかブラ1みたいに略して呼べないんですよね。というか、「シュー1」だとシューマンと区別できないのでそもそも無理かf^^;。このボックスでは「未完成」が7番、「グレート」が8番になっており、全8曲。一応、これが最新モード?

マークは、若いころデッカに録音したメンデルスゾーンの「スコットランド」交響曲が評判になったんですが、その後忘れられ、晩年になってまた人気が出た指揮者です。日本では、70歳を超えない指揮者は若造として軽く見られる傾向があるからなあf^^;。マークの録音では、パドヴァ・ヴェネト管弦楽団とのモーツァルトの30番台の交響曲CDを持っており、オケを元気よく鳴らすけれんみのない演奏ながら、その分繊細さにはやや欠けるかとういう印象でした。

第1番は、ウィキペディアによるとシューベルト16歳のときの作品。第1楽章は序奏つきのソナタ形式で、序奏はバロック音楽のフランス風序曲のような古めかしいリズムが特徴。再現部でもこの序奏が再現されるのが珍しい。第1番から早くも大形式をめざそうとした意欲の表れかもしれませんが、いささか大風呂敷を広げすぎで中身が伴っていない感。オーケストラ自体の響きはそれなりに鳴っている気はしますが、メロディはヴァイオリンと木管ばかりで全体に素人っぽい。例えば、もしこれがカラヤンだったら、音色やフレーズを流麗に磨いて、ハイドンやモーツァルトっぽく仕立てることもできそうf^^;。だけどマークはそんなことしませんねえ。ここに聴けるのは、洗練とはかけ離れた即物的な響きです。即物的というのは、ハンガリー出身の演奏家にわりと見られる特徴でもあるんですが、マークがイタリアのオケを振ったモーツァルトでも共通して感じたことなので、たぶんオケというより、マークの方針なのでしょう。

第2番は、シューベルト18歳のときの作品。こちらは第1楽章の序奏がモーツァルトの第39番変ホ長調の序奏を思い起こさせます。シューベルトがお手本にしたのは、ベトベンではなくてモーツァルトだったのか? 主部はいたって快調。1番と比べて、こなれてきた感があります。他の楽章の旋律も魅力的で、鑑賞に耐える曲になっていると思います。第2楽章とフィナーレはどこかで聴いたことがあるなあ。FM番組かなにかで使われていたかも。いい曲になると、口数が少なくなるみっちでした(爆)。
posted by みっち | 23:19 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
シフによるシューマン:ピアノ作品集
(CD1)
・シューマン:『蝶々』 作品2
・シューマン:ピアノソナタ第1番嬰ヘ短調 作品11
・シューマン:『子供の情景』 作品15

(CD2)
・シューマン:『幻想曲』 作品17(第3楽章は異稿による)
・シューマン:『森の情景』 作品82
・シューマン:『主題と変奏』
・シューマン:『幻想曲』より第3楽章(決定稿)

ピアノ:アンドラーシュ・シフ
(ECM NEW SERIES 2122/23)


シューマン好きなみっちですが、オーケストラ曲や室内楽曲に比べると、ピアノ曲はそれほど聴いてきませんでした。シフについては、同じECMレーベルで出ているペレーニとのベトベンのチェロソナタ集が素晴らしく、シューマン・アルバムも出さないかな、と思っていたところに出たCDがこれでした。ジャケットセンスや録音も高水準なECM盤で聴けるとは、まさにおあつらえ向き。とりあえず買っとけ、というわけで積ん読CDの一角に(爆)。このごろ、ようやく取り出して聴き始めたのですが、いいですねえ! 2枚とも繰り返し聴いています。

ほぼ作曲順に収録されていて、『蝶々』は作品2。シューマンの学生時代、こうした音楽で仲間同士で盛り上がっていたんじゃないかと思わせる楽しい曲で、この屈託のなさは後年には得がたいものでしょう。ピアノソナタ第1番も、まだそういうところが残っていますが、ここでは大形式を構築することへの追求がすでに始まっていて、ファンダンゴを用いたモチーフなどはリストを連想させるところもあります。この曲に限った話ではありませんが、シフの粒のそろったタッチが実に美しい。

『子供の情景』と『幻想曲』は、いずれもクララとの恋愛が背景にあって、シューマンのピアノ曲の頂点を築いた作品たち。名ピアニストが競って演奏している2曲ですが、シフの弾く『子供の情景』は、一般的な演奏と比べると緩急の差がわりと小さく、大げさなところがありません。それが等身大というか、実にしっくりくるんですよ。一方の『幻想曲』は、シフ本人による英語解説を斜め読み(英語ほとんど読めないので間違っているかもf^^;)したところ、第3楽章の異稿(推敲前の初稿?)がブダペストにあったらしく、それによる演奏。現行版と比べると長く、第1楽章同様に終わりの部分でベートーヴェンの歌曲『遥かなる恋人に寄す』からの引用があります。シューマンはくどいと思ってこれを省いたものでしょうか? しかし、ここで聴くシフの演奏は共感にあふれており、むしろこっちの方がいいんじゃないかと思うくらい。ちょうど『シューマンの指』を読んでいたときにかけていたりして、感興もひとしおでした。

『森の情景』は昔、教育テレビ「ピアノのおけいこ」で井上直幸が担当していたときのテーマ曲として「森の入口」が流れていて、ハマりました。ケンプやリヒテル、ピリスなどを聞き比べたのですが、ケンプはもたつき、リヒテルは速すぎ、ピリスは大事なところをカットしている!(わりと期待していた彼女を聴かなくなった原因がこれ)てな感じで決定的なものがありませんでした。おかげさまで、シフで解決しました。全曲豊かなニュアンスを湛えていて、素晴らしい!

『主題と変奏』は、シューマン最後の作品で、「天使の主題による変奏曲」とも呼ばれます。海外では「幽霊変奏曲」? シューマンがライン川に身を投げる直前に「周りで天使が歌っている」として書き留めた作品で、その後天使の歌声は悪魔のそれに変わってしまったらしい。このテーマは、以前に作曲されたヴァイオリン協奏曲の第2楽章の主題とほぼ同じために、シューマンの偏執的症状の現れともいえるんですが、そもそもシューマンは変奏技法を得意としており、同じリズム型や音型をしつこく繰り返すのは若いころからのクセというか、それが彼の作曲スタイルみたいなものなので、ただちに精神異常と結びつけるのは「後付け」感もあります。実はこのあと入院中もシューマンは作曲したらしいのですが、それらはクララが全部処分してしまったため、検証できるものがないのが惜しまれます。

ちなみに、ヴァイオリン協奏曲も献呈を受けたヨアヒムがしまい込んだため、世に出たのは100年近く後になっています。もしかしたらクララはこの曲も処分しようとしたため、ヨアヒムがあえて封印して楽譜を守ったのではないかとみっちは疑っています。

話を『主題と変奏』に戻すと、主題の出だしはヴァイオリン協奏曲と同じなんですが、よりコラール風の行儀の良い、言い換えれば単純な進行。ところが途中で足取りがはっきりしなくなり、結びでまた明確な進行に戻るという、ちょっと謎めいたものになっています。これに5つの変奏が続くんですが、恐るべきは最後のものでしょう。ここではすべてが模糊としており、すでにラインの水中にいるよう……。

最後に、『幻想曲』の第3楽章の最終稿が演奏されています。こちらの方がスタンダードなものなんですが、前の曲で溺れた気分を味わった後では、異化されたような響きに聞こえると同時に、なにかホッとさせられるのも事実です。
posted by みっち | 14:16 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
シューマンの交響曲第3番解説
北九響の定期演奏会プログラム用に書いた曲目解説です。「シューマン本の世界」のエントリでも読んだ本を紹介しましたが、今回それなりに調べたので、こっちにもアップしときます。

●シューマン:交響曲第3番変ホ長調 作品97「ライン」 

ドイツ・ロマン派を代表する作曲家、ロベルト・シューマン(1810-1856)の交響曲第3番は、彼の晩年となったデュッセルドルフ時代の始まりに書かれました。1850年9月にこの地の管弦楽団・合唱団の音楽監督として着任したシューマンは、11月にチェロ協奏曲、12月にはこの交響曲第3番と立て続けに大作を完成させており、旺盛な作曲意欲を見せています。

この交響曲の着想には、シューマンが妻クララとともに市街を流れるライン川を遡ってケルンに旅したことが関わっているといわれています。実は、シューマンがライン川を見たのはこれが初めてではありません。シューマンは19歳のとき、ライプツィヒからハイデルベルクに大学を移る際にライン川沿いに旅しており、旅先から母親に宛てた手紙に次のように書いています。

「老いて堂々とした父なるラインの初めて見せる光景を、冷静な心全体で受けとめることができるように、ぼくは目を閉じました。それから目を開いてみますと、ライン川はぼくの前に古いドイツの神のようにゆったりと、音も立てず、厳粛に、誇らしげに横たわり、それとともに、山や、谷のすべてがブドウの楽園である、花が咲き緑なすラインガウのすばらしい全景が広がっていたのです。」(1829年5月25日付、母ヨハンナに宛てたシューマンの手紙)


この曲の「ライン」という呼び名はシューマン自身が付けたものではありませんが、当初は第2楽章に「ラインの朝」、第4楽章に「荘重な儀式の音楽の形式で」と記しており、シューマンが若いころから愛した川のたたずまいや自然、産業に携わる人々などが作曲時の脳裏にあったことは、想像に難くありません。けれどもシューマンは、後に「自分の心象をあらかじめ公にする必要はない」として、これらを取り去っています。交響曲第1番(1841年)でもシューマンは「春」をはじめとした標題や各楽章の副題を最終的に外しており、交響曲に標題性を持ち込むことに対するシューマンの下した結論といえるでしょう。

シューマンの交響曲は、オーケストレーションに問題があるというのが「定説」となっています。演奏に当たっては、弦楽器の刻みや管楽器の重ね方などについて、難しいわりに効果的でないといった判断から改変されたり、果ては「マーラー版」のような編曲もなされるなど、かつては譜面どおりに演奏されることの方が珍しいという状況がありました。しかし近年は、シューマンのオーケストレーションは独自の響きのために考えられたもので、作曲者が意図した音色や効果を尊重すべきという主張が高まっているようです。きょうの演奏も後者の立場によっています。この点では、シューマンの交響曲の正当な評価は、むしろこれからなのかもしれません。

また、シューマンの4曲の交響曲のうち、作曲順ではこの第3番が最後のものです。そのためか、この曲の両端楽章には先に書かれた交響曲からの楽想やその反映が見られます。これらが意図的なものかどうかは不明ですが、シューマンの作品1が『アベッグ変奏曲』であり、事実上最後の作品が『(天使の)主題と変奏』であることからも象徴されるように、シューマンが変奏技法をたいへん得意としていたことからして、興味深いものがあります。

第1楽章 生き生きと 変ホ長調、3/4拍子、ソナタ形式

序奏はなく、滔々たる波のような第1主題で始まります。この主題は、付点リズムを使った飛翔感や3/4拍子で書かれながら3/2拍子のようにも聞こえる点で、いかにもシューマン好みのものです。第2主題は木管楽器で愁いを帯びた表情で歌われますが、すぐに第1主題のリズムが戻ってきて支配的になります。

展開部は、この二つの主題を扱いながら転調を重ねていきます。ここで半音階的に上昇していく音型は、交響曲第4番(実質2番目に書かれた)第1楽章の序奏音型と重なります。やがてホルンに第1主題の拡大形が大きく出て高揚していき、その頂点が再現部の始まりとなります。いったん静まり、第2主題を呼び出すかのようなド・ソ・ミレドという下行音型が現れます。これは交響曲第1番の第2楽章で聴かれたもので、しかもそれだけでなく、後にブラームスが交響曲第3番第1楽章の第1主題でこれと同じ音型とリズムを使っています。

第2楽章 スケルツォ きわめて中庸に ハ長調、3/4拍子、自由な三部形式

チェロ、ヴィオラ、ファゴットによるスケルツォ主題は、舟歌を思わせるような穏やかなリズムが特徴です。弦の8分音符のスタッカートによるエピソードを経てスケルツォ主題が戻ってきます。中間部は、低弦の持続音の上に管楽器が柔らかい響きを奏で、ヴァイオリンとヴィオラが8分音符のスタッカート音型を掛け合います。

第3楽章 速くなく 変イ長調、4/4拍子

間奏曲風な緩徐楽章で、区分があまり定かでありません。音楽評論家の門馬直美はABBAの図式としています。木管が控えめな主題を示し、ヴァイオリンとフルートが受け継ぎます。中間部ではチェロ独奏を伴いながら穏やかな下行音型が聴かれますが、ヴァイオリンとフルートの応答と溶け合います。やがて最初の主題が戻り、下行音型を回想してひっそりと終わります。

第4楽章 荘厳に 変ホ長調、4/4拍子

調記号は変ホ長調ですが、実際の響きは変ホ短調です。シューマンがバッハを研究していたことがよくわかる楽章で、管楽器のコラール風な旋律が対位法的に展開されます。途中から3/2拍子となり、同じ主題を短く切り詰めたような上昇音型が現れて元の主題と組み合わされます。

この楽章は、ケルン大聖堂で挙行されたガイセル枢機卿の就任式に霊感を受けたものといわれており、続くフィナーレでもこの楽章の音型が顔を出すことからして、この部分を例えば大聖堂の偉容を示すライトモチーフのように解釈してみても面白いでしょう。とはいえ、当時のケルン大聖堂は建設途中で、現在ある巨大な尖塔はまだ完成していなかったことからすると、シューマンは想像の中で大聖堂の完成した姿を思い浮かべたのかもしれません。

第5楽章 フィナーレ 生き生きと 変ホ長調、2/2拍子、ソナタ形式

前の楽章とは一転して、ヴァイオリンに快活な第1主題が出て、金管の相の手がお祭り気分を高めます。この第1主題は、交響曲第2番の終楽章後半に出てくる主題とほぼ同じ進行です。冒頭、フォルテで行進曲調なのにもかかわらず、ドルチェ(優しく)と指定されているのは、第2番との関連性を示すものかもしれません。第2主題は同じ音型の繰り返しが特徴的な挿入句で、こちらは交響曲第1番第1楽章の第2主題と関連があります。

展開部では第4楽章の短い音型が現れ、各声部を移りながら転調していきます。第1主題の短縮形によって次第に高まり、その頂点で第1主題が賑やかに再現します。コーダでは、高揚した気分のうちに第4楽章の金管コラールが変ホ長調で再現し、速度を上げて全曲を締めくくります。
posted by みっち | 20:50 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
北九響第113回定期演奏会
・エルガー:『威風堂々』第4番
・エルガー:エニグマ変奏曲
・シューマン:交響曲第3番変ホ長調「ライン」

指揮:今井治人
北九州交響楽団
2015年4月12日(日)、リバーウォーク北九州・芸術劇場大ホール


3日前に歯を抜かれるというアクシデントで、不安のあった本番でしたが、日曜日にはかなり復調し、テンションを上げて臨みました。木曜日から続いた指揮者練習では、今井先生のやりたいことが形になってきた感じがありました。みっちはその間かなり音を外してしまい、ご心配をおかけしたと思います。前の席のSさんが首を傾げるんですが、ゴメン、全部歯のせいということでf^^;。

当日午前中のゲネプロにけっこう時間がかかりました。先生、ここで「整いました」っていわれてたんですけど、謎かけがなかったため、打ち上げでコンミスがツッコミ(爆)。全乗りのみっちはエルガーでけっこう消耗したため、後半のシューマンでは意識して楽に弾いたんですが、それでも手が痛くなってくるくらい疲れました。ここで、いつものドリンクですよ(爆)。10本入り一箱499円と、缶ジュースより安い奴でどんだけ効果があるのか?

本番。『威風堂々』第4番は、かなりよかったと思います。午前中に体力を使い、かえって力みが取れたのかもしれません。コーダの加速もスムーズで、決まったと思いました。『エニグマ』は、さらによかった。多彩な効果と表現が盛り込まれたこの曲は、演奏にも多くのものが要求されるので、最初どうなるかと思ったんですが、本番では練習時より響きに深みがあり、集中力を増した感じ。曲間の切り替えもうまくいきました。これは今井先生の指揮によるところが大きいでしょう。とくに「ニムロッド」は、練習よりもいっそうゆっくりでしたが、大きな呼吸でもたれず、気高さが表現できたのでは? 終曲の高揚では、かっこいい管楽器の響きにうるっときました。

シューマンは、第2楽章で個人的にちょっと乱れました。ごめんなさい。指揮者を見て、音楽を聴き過ぎて楽譜を見失うという、ねf^^;。ほかはいけたのではないかと思うんですが……。プルトがエルガーでは2番目でシューマンでは4番目だったんですが、二つ後ろに下がっただけでステージでの聞こえ方がずいぶん違います。後ろはかなり一体感に欠けるんで、合奏精度がどうだったか。終演後ブラボーをいただいたということは、よかったのかな? アンコールは『愛の挨拶』。これがホ長調(♯4)の楽譜で、シューマンの変ホ長調(♭3)の後では異様に弾きにくかったりする。怪しい音でスミマセン(爆)。

今井先生とは、7月のオルガン・コンサートでもご一緒させていただきます。ひきつづき、よろしくお願いします。
posted by みっち | 22:24 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
歯が割れた 2
まさか、このエントリの続編を書く日が来ようとは!

またやっちゃいました。今度は右奥の上の歯。虫歯の詰め物が取れてしまったので、歯医者に行ったら「割れとる」(爆)。
同じパターンで2度目なもので判断は早く、ただちに抜いてもらうと、またまた真っ二つになった残骸が現れました。なんでじゃあああ!

というわけで、まだ傷口には糸が縫ってあり、口の中が血なまぐさいのですが、日曜日に本番を控えてきょうから毎晩指揮者練習なので、がんばって参加しました。しかし最低の気分。

これで、上の左右奥がバランスよくお逝きになりました(爆)。でも果たしてこれで終わりなのか? これ以上失いたくないんで、マウスピースとかして寝た方がいいんでしょうか。
posted by みっち | 23:25 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |