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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
ゴーティエ・カプソンによるフォーレ:チェロソナタ集
1. フォーレ:チェロソナタ第1番ニ短調 作品109
2. フォーレ:エレジー 作品24
3. フォーレ:蝶々 作品77
4. フォーレ:ロマンス 作品69
5. フォーレ:セレナード 作品98
6. フォーレ:シシリエンヌ 作品78
7. フォーレ:チェロソナタ第2番ト短調 作品117

Vc:ゴーティエ・カプソン
Pf:ミシェル・ダルベルト(1-6)、ニコラ・アンゲリッシュ(7)
録音:2010年7-9月
(Virgin Classics 50999 070875 2 3 5CD)


カプソン兄弟ほかによる、フォーレの室内楽全集の2枚目は、チェロとピアノのための作品集です。

チェロはゴーティエ・カプソン。ピアノはソナタ第1番とそれにつづく小品までがダルベルトで、ソナタ第2番がアンゲリッシュ。ヴァイオリンソナタとは違って2曲のチェロソナタは作曲時期が近く、ピアニストの分担は作品年代というわけではなさそう。単純に、2番以外はダルベルトということ?

ゴーティエ・カプソンのチェロは、豊かで歯切れのよい中低音が特徴で、チェロソナタ第1番の第1楽章では雄渾さをみなぎらせた表現がかっこいい! ただし、高音域の魅力は今ひとつか。例えば第2主題でチェロが一気に高いD音に跳躍する箇所があって、全曲の聴かせどころのひとつですが、ここのインパクトが弱い気がします。ここはpですが、ダイナミクスの問題ではなく、ハッとさせるような凄みがほしいところ。問題は、ダルベルトのピアノがちょっとうるさいこと。ピアノが随所で作るタメが全体の流れの美しさや一貫性をスポイルしてしまっています。コーダの終結部では、第1主題に基づき歌劇『ペネロープ』のオデュッセウスのライトモチーフを思わせる律動がつづくのですが、ダルベルトがここでもブレーキをかけています。ゴーティエはすごく弾けるのでアンサンブルとしては破綻していませんが。ピアニストが動きすぎるとダメなのは、トルトゥリエとハイドシェックの演奏と共通かも。

第2楽章はよく歌っています。ゴーティエの低音の魅力全開。しかしフィナーレでは、再びピアノの念を押すようなフレーズ進行が曲の流麗さを妨げます。展開部のカノンではピアノが前面に出てしまってカノンに聞こえません。ここでも後半ピアノがブレーキをかけるので、絶妙な転調を見せる再現部への移行が散漫な印象に。うーん、もったいない。大好きな曲なので、辛い採点になってしまったf^^;。

2曲のソナタの間には小品が5曲挟まっています。いい方からいうと、「蝶々」から「セレナード」までの3曲は違和感なく楽しめました。とくにチェロの技巧がめざましい蝶々や、深々とした低音を聞かせてくれる「ロマンス」は聞き物。悪い方では、「エレジー」と「シシリエンヌ」。やはりピアノがいちいちタメるのが煩わしく、そうなってくると、ゴーティエがときどき見せる、めざす音のやや低めからこね上げるような、演歌の「小節」に近い手法などまでが耳について素直に曲に入れません。この2曲はふつうに弾けば感動できるはずなんですけどねえ。雄弁と饒舌は紙一重か。

ここまではやや残念な感じでしたが、ピアニストが交代した第2番では一変して素晴らしい演奏になっています。アンゲリッシュのピアノは停滞することなく、チェロと一体化しています。とくにピアノの分散和音の美しさは感動もの。フォーレはこうでなくては。葬送風の第2楽章はエレジーに似た曲調ですが、深みがあって演奏は断然こっちがいい。ダルベルトには悪いですが、全曲アンゲリッシュのピアノならどうだったかと思います。
posted by みっち | 23:25 | CD・DVD | comments(0) | - |
レ・ミゼラブル
日曜日、奥方の付き添いで博多座へミュージカル観劇に出かけました。ところがこの日朝に日豊本線で人身事故があったらしく、JRのダイヤが大混乱。1時間余裕を持って出かけたはずが結局12時の開演に間に合わず、オープニングを見損ねました。博多駅が列車で満杯状態となり、箱崎で停車していた時間がもったいなかった。

『ラ・マンチャの男』を例外として、あまりミュージカル好きではないみっちなので、レミゼ(と略すらしい)もテレビで部分的に観たことがある程度でした。ユーゴーの原作小説は子供向けのアレンジで読んでいたものの、結末まではわかっておらず、今回初めてちゃんと観たことになります。それにしても、後半の民衆蜂起はナポレオン後の「6月暴動」だったんですか。実はミュージカルを観た段階でもこのことはわからず、ウィキペディア見て、やっとそうだったのか状態f^^;。ずっとフランス革命の話だと思っていたのはみっちだけ? それは『ヴェルサイユのバラ』か(爆)。

地のセリフがほんの一部だけで、会話や独白なども含めてほぼすべてが歌になっていること、レチタティーヴォのような同音反復がよく出てくることなど、スタイルとしてはオペラに近いと思いました。語りと比べると歌は歌詞が聞き取りにくいため、ストーリーをあらかじめ知っている人でないと人間関係や進行がなかなか理解しづらい。ガブローシュについていた大人はテナルディエだったの? あの少年がどういう存在だったのかは、ウィキペディアを見てやっと理解できたことのひとつです。第1部はみっちもだいたい知っていた内容で、状況把握に苦労はありませんでした。とくに幕切れの民衆蜂起シーンは勇壮で、舞台効果もあって素晴らしかった。ストーリーにそれほど共鳴しているわけではないのに、歌とオケの圧倒的なパワーが頭に残って、休憩食事中もなぜか涙が止まらないf^^;。しかし、後半第2部はほとんど未知の領域で、えー、そうなるの?の連続でした。

以下、ネタバレをかまわずに書くと、蜂起は鎮圧され、参加した登場人物はジャンに救い出されたマリウス以外は全滅となります。うわー、こういう話だったの? ここからは回想とも幻影ともつかない、死んだキャラクタたちがいっぱい出てくる夏向きの舞台に(爆)。やがてマリウスとコゼットはめでたく結ばれますが、身を退いたジャンにはあの世からファンティーヌが迎えにやって来ます。白いドレスに長い髪が元に戻ってるし、完全にこれ亡霊だよね。しかもつづいてもう一人、エポニーヌ来たー(爆)。死者二人に両手を引かれては、ジャン・バルジャンもう観念するしかないよね。でもエポニーヌて、ジャンとほとんど関係なかったはず。迎えるならマリウスだろ。ていうか、考えてみればファンティーヌもおかしい。この二人で来るなら、どうしてテナルディエ夫妻成敗しないの? あの二人、男爵夫妻になって楽しく踊ってたんだけど。こうして、強欲な夫婦は幸せに暮らしました、おしまい。でいいのー? あ、だからああ無情なのか(爆)。

奥方の話では、演出のヴァージョンによってラストを含めた展開が違っているらしく、今回はジャベール警部の葛藤が強調されており、最後はジャンが救われる感じになっているのだそうです。確かにジャベールはソロ歌唱も含めて存在感ありました。配役については一役に付き3人から4人がキャストされており、誰の乗り番だったのかまでは把握していません。みんなよかったけど、エポニーヌの全力ダッシュがひときわ好印象でした。

音響的には2階席で一番後ろだったため、歌声が全員マイクとスピーカーで増幅されているのは、バックオケの編成が厚いこととの音量バランス上やむを得ないと思います。が、各楽器にもマイクが設置されていたのはちょっと残念。結果、すべての響きがスピーカーを通じて聞こえるため、せっかく生で聴いている臨場感がなくなってしまうんですよね。席によって聞こえないパートがあってもいいんじゃないかな。増幅は否定しないけど、屋外ステージではないのだから、上や横のスピーカーでなく舞台上の歌手から歌声が聞こえるような工夫はできないものでしょうか。
posted by みっち | 22:43 | 近況 | comments(2) | - |
マツダCX-3試乗
いまトヨタ・アクアに乗っているんですが、残価設定型のローンにしたため、来年4月に残価を払うか、再ローンするか、あるいはクルマを手放すかという選択を迫られます。もちろんこのまま乗り続けるのもありですが、まとまったお金を払うくらいならこの際買い換えちゃえ、という気分になりやすいローンといえそう。それに、アクアは巷にあふれてしまっており、ヘソ曲がりなみっちは本当はあんまり人が乗っていないのがいいんですよねf^^;。

ちなみに、みっちのこれまでのクルマ歴を紹介。年がバレそうf^^;。

1. トヨタ・カムリ
2. フィアット・ウーノ
3. フォルクスワーゲン・ゴルフ(III)VR6
4. トヨタ・プリウス(初代のマイナーチェンジ版)
5. トヨタ・プリウス(2代目)
6. トヨタ・アクア


ここ10年以上はハイブリッドばかりで、いい加減飽きた、というのが率直な感想。というわけで、このごろ気になっていたクリーン・ディーゼルを試しにマツダのディーラーへ。マツダはロードスターが出たばかりですが、家族3人とチェロケースが乗るという条件からして除外。デミオXDでもよかったのですが、どうせならよりユニークな方をf^^;。CX-3に乗ってみたいというと、予約なしだったにもかかわらず、すぐ対応してもらえました。CX-3には3グレードあり、今回試乗したのは真ん中のXDツーリングの青。おすすめグレードだそうです。

エクステリアはかっこよく、存在感があります。色は赤(特色)とセラミックがメーカー推しらしいけど、ヴァリエーションがちょっと少ないかな。内装も機能的かつ洗練されています。とはいえ、価格差からするとデミオとほぼ同じなのがちょっと悔しいかもf^^;。車高がやや高めのため、前席の乗り降りがとても楽です。後席は、広くはないけどアクアとほぼ同等。着座姿勢と見通しはいいです。ただし、タイヤサイズが大きいため、乗り降りのときにドアを全開しないとタイヤハウスが邪魔になるかも。ラゲッジルームはアクアの方が広いかなあ。チェロケースはシートを1/3倒せば積めるでしょう。

エンジン。ディーゼル特有のカラカラ音は小さく、アイドリング時にはそれとわかる程度で、走り出すと全然気になりません。アイドリングはブレーキを踏み込むとストップし、踏み込みが浅いと始動します。このカラカラ音を軽減するというスムーザーがオプションで選べますが、付けるかどうかは微妙なところかと。デミオより100kg以上重いためか、動き出しはもっさりです。アクアが低速では電気でスルスル進むのでよけいに出足の差を感じる。動き出してからは不満なし。この日は天気が悪く幹線道路が混んでいて、あまりスピードを出せませんでしたが、50kmあたりからのトルクフルな加速は快適で、真価を発揮するのは高速道路か。50kmあたりまでが快適なアクアと正反対だ(爆)。18インチタイヤの乗り心地は重厚感がありました。燃費はこの状況で17km/ℓ。ハイブリッド並とまではいきませんが、軽油なので燃料費が安い。この点は、家族に対する説得材料として最重要。ゴルフVR6時代、2800ccでリッター10kmでも燃費が悪いといわれてまして。ましてやハイオクだし、次はアバルトほしいとか、思ってもいえないから〜(爆)。

マツダのクルマはペダル配置にこだわっているそうで、確かにその通りでした。基本的な運転操作だけに、アクセル、ブレーキの踏み具合は大切です。またステアリングが上下前後に調整でき、ベストポジションに合わせられます。このあたりは地味でも大きな要素だと思います。スペシャリティ・パーソナルカーとして、とても魅力的ですねえ。でもあまり流行りませんように(爆)。ディーゼルの補助金が出るのはこの9月ごろまでとかで、いま決めれば間に合いそうなんだけど。どこかに300万円落ちていないかな。
posted by みっち | 23:38 | 乗り物 | comments(4) | trackbacks(0) |
このごろのウィキペディアを勝手に判定(2015/7)
ウィキペディアにはもう参加していないけど、閲覧利用はしています。ふつうに役立つ記事が多くなったと実感。このごろまでに目についたウィキペディアネタ6つを取り上げ、勝手に判定してみました。

1.[[利用者:さえぼー/英日翻訳ウィキペディアン養成セミナー]]
有意義な取り組みだなあ、と感心しました。このごろメインカルチャー分野の記事編集が目立って増えてきている気がしていて、それにしては執筆者がアカウント取り立てで、翻訳の履歴継承がされていなかったり連続投稿が多かったりと、いかにも不慣れな様子が窺えました。いったいどういう風の吹き回し? といぶかしく思っていたら、こういうことだった。指導される先生は大変ですが、影ながら応援しています。英語以外の言語からの翻訳や、もちろん日本語だけでもこういう取り組みが生まれると素晴らしいですね。

というわけで、みっちの勝手に判定。ウィキペディアの年間優秀プロジェクト大賞にノミネート!

2.[[出典要求テンプレートの貼り方について]]
少し前ですが、「井戸端」であった議論です。ウィキペディアは記事を書くところだから、議論は当然記事に関わるものだろうと思ったら大間違い。議論のための議論がいかに多いことか。ここでは、記事に出典がほしい場合にテンプレートを張る、その張り方のいい悪いやテンプレートの種類・内容についてあれは違うこれは違うと。まったく……。手段の目的化というやつです。そんな議論してるヒマがあるなら、調べて出典付けるなり書き直すなりすれば、そもそもテンプレートなんていらないよね。自分で書こう、と思わない人たちが何人集まったところで百科事典なんてできないんじゃないの?

というわけで、みっちの勝手に判定。無駄無駄無駄無駄無駄〜〜(爆)。

3.[[Wikipedia:コメント依頼/KAMUI]]
行方を注目していましたが、コメントが尽きたようで。削除依頼で「ネット検索したけどヒットしないから」という理由で依頼が出され、以下同文右へならえで削除意見がずらずら並ぶというのは、実はよくある光景です。よし、それならオレが文句言われないような記事書いちゃる、という人がいるといいのですが、なかなか出てこない。なぜかというと、記事書かずに削除を唱えるだけの方が、出典示せとか脚注使えとかページ数書けとか命令できて楽だしエラいから。そうやって楽でエラい人が増えれば増えるほど、ほーらやっぱり削除が正解じゃん、ということになってますます勢いづく。こんなんでプロジェクトはどうなる?
こうした風潮にあえて一石を投じたのが管理者でそれもビューロクラットだった、ということで、今後の削除依頼のあり方に大きく関わるコメント依頼といってよいかと思いました。しかし、こういう意義のある議論は参加者の自省を求められるためか、盛り上がりません。

というわけで、みっちの勝手に判定。消化不良だ(ーー;)。

4.[[Wikipedia:コメント依頼/Nanafa]]とその派生の[[Wikipedia:コメント依頼/Chery rohashiおよび狐坂紺およびEndangered Species 2015]]
上のコメント依頼とは対照的に盛大だったのが、こちら。[[パーキンソンの凡俗法則]]でしたっけf^^;。ろくに記事書かない人たちがわらわら集まって抗争を繰り広げ、お祭り状態(そう見えるだけで、実はごく少数かも)。そもそもなんで戦っているのかが不明ですが、関係ページやお互いの会話ページにまで押しかけて口喧嘩を重ねた挙げ句、主立った数人が短期ブロックを食らってようやく静かになったかと思えば、当事者双方でなく片側だけにブロック依頼が出されてまた一騒ぎです。よくやるよ。この人たちは、ウィキペディアにいったいなにしに来ているんでしょうか?

というわけで、みっちの勝手に判定。当該コメント依頼参加者は全員即時無期限ブロック(爆)。議論をやめて記事を書いた人は、自分の会話ページにその記事を申請することでブロック解除してよろしい。おもしろネタが減るから気が進まないけど、こうでもしないと。ウィキペディアは百科事典プロジェクトなのでねf^^;。

5.[[ノート:アイスレーベン]]
議論が始まってから9ヶ月以上経っても未解決、というロングラン記録を絶賛更新中です。議論内容は、ドイツの都市名をめぐる表記論争で、アイスレーベンの前に「ルターシュタット・」を付けるか付けないかというもの。ただそれだけの話で、記事の容量6万3千バイトに対し、ノートでの議論はすでに30万バイト近くに(爆)。この時点で、もう、ね。この手の論争は見慣れた風景というか、もはや「ウィキペディア名物」。そういえば、「グルジア」か「ジョージア」かでも改名論争が真っ盛り? いつの世も悪は絶えない(by 中西龍)。らちがあかないので投票に持ち込まれましたが、この投票をめぐって「井戸端」に飛び火しており、さらに一悶着。道は続くよ、どこまでも(ーー;)。汲平さん、大丈夫?

というわけで、みっちの勝手に判定。投票OK。どっちでもいい(どっちも間違いではない)から早く決めてください。ていうか、そもそも個別議論でなく「プロジェクト:ドイツ」で統一的に決めればよかったんじゃないでしょうか。もし正式名称を選ぶとすると、ハンブルクも「自由ハンザ都市ハンブルク」にしないといけないのでしょうけど、それでだれも困らないし。
なお、関係ノートにコメントした人は、自分がコメントしたと同じだけの容量の記事を3ヶ月以内に書くこと。でなければ無期限ブロック(爆)。あと、IPの人が何人かいるようですが、アカウント取ってやってくれませんかねえ。

6.[[ノート:信玄公旗掛松事件]]
「秀逸記事」のノートに批判が出され、議論迷走の挙げ句、主筆者のさかおりさんが「断筆」宣言。優秀な執筆者のやる気を削いだことで他の利用者の怒りを買い、記事にいちゃもんを付けた人がブロック依頼されています。
この記事、みっちは以前に読んでいて、よくまあ詳しく調べたなあと感心したことがあります。画像が豊富なのも百科事典として素晴らしいです。ただし面倒な法律論よりも松の由来などの方が興味深く、後半は長いと思って読み飛ばした記憶がf^^;。で、その法律論に問題ありというのが、批判者の意見、なのかな? というのも、結局この人、なにをどうしたいのかいまだによくわからないわけです。問題だ問題だと叫ぶばかりで、ここをこう変えてはどうかとかこっちの点を補強してはといった具体的な提案が全然ない。にもかかわらず、ノートとその履歴を見れば、大量かつ連続投稿の繰り返しで、まるで絨毯爆撃のような様相を呈しています。これだけでもアウトかと。「自分の意見を整理し簡潔にまとめてわかりやすく伝える能力がない」ことを全力アピールしているに等しい。この人、実は以前にも自分が手がけた記事「法解釈」を秀逸に選んでもらおうとしてグダグダ大論争を起こしています。秀逸記事に対するコンプレックスがあるのかもしれません。

というわけで、みっちの勝手に判定。ブロック相当かどうかは意見が分かれそうですが、百科事典を作るという意味ではこの方、致命的欠陥をお持ちなのではないかと。少なくとも、彼の文章では記事をだれも読まないんじゃないかなあ。一方、さかおりさんにはお気の毒でした。ぜひ気を取り直していただきたい。とはいえ、下書き原稿を本当に破棄してしまわれたとしたら残念です。仮に原稿を捨てたとしても、そのことはいわない方がよかった。ご本人にはその意図はなかったと思いますが、この行動(表明)こそがブロック依頼の契機となり、被依頼者に対する憎悪感情を決定的に煽ったように見えるもので。
なお、秀逸記事をめぐるグダグダとしては、過去に「松江騒擾事件」がありましたっけ。あのときも主筆者が筆を折る結果になったように思います。文句を付けるだけで記事改善に貢献している気になっている例としては、上の[[出典要求テンプレートの貼り方について]]と大きな違いはありません。なんの改善にもなっていないどころか、控えめに言って「お目汚し」でしかない。
posted by みっち | 09:57 | Wikipedia | comments(2) | trackbacks(0) |
太閤立志伝V
コーエーの太閤立志伝、IVまでは遊んでいました。Vはいずれ携帯機で遊べるようになるのでは?との期待から買い控えて、そのままに……。いつまで経っても移植はおろか新作の情報も出ない、と思ったら、どうやら開発スタッフが解体され、シリーズ自体が終了になってしまった?

購入したのはPC用「BEST版」で、従来あったバグは修正されているとのこと。10年以上前のゲームなので、ちゃんと動くかどうかが心配です。みっちPCのWindows7(64bit版)では、ゲーム終了で画面がクリアされず、キーボードリセットでタスクマネージャを起動しないと終われません。また、マウスポインタのアイコンが砂時計表示から矢印に戻らないところがありますが、プレイ自体に支障はありませんでした。

1. 木下藤吉郎編
初プレイ「日輪の章」(1560年)では、木下藤吉郎で国主(複数の城持ち)までなりました。織田・徳川の同盟体制で九州以外は制覇したのですが、信長様の方針が「領土防衛」に切り替わり、攻略指令がこなくなりました。天下布武どうした(爆)。あとは勝手に切り取るか謀反を起こすかというところですが、そろそろほかのシナリオもやってみようということで中断。IVと比べると、カードバトルではなくなったことから運ゲーの要素が消えました。ミニゲームはどれもなかなかおもしろいですが、だんだん難しくなります。能力値(主に制限時間に影響)で難易度が変わるものは、省略した方がストレスがないかも。

ここまでプレイして感じた問題点をいくつか。まず、このゲームではイベント以外では野戦の意義が薄い。野戦で敵部隊を撃破しても兵力が削がれるだけで、敵武将を捕虜にすることができません。部隊は兵数と士気が重要ですが、士気は別画面でしか表示されずわかりにくい。城攻めでは備配置の役割がわかりにくく、全然関係ないところで気勢上げてただけみたいになる可能性があります。あと、大名勢力の外交関係。織田が従属させた浅井や松永などの勢力を、同盟軍の徳川が滅ぼしていくのはどうにかならないでしょうか。これじゃ従属の意味がないですよね。

2. くノ一忍者編
次に、画像のような新武将を作って「昇龍の章」(1568年)で忍者(くノ一)プレイ。鹿児島の「山くぐりの里」に入って下忍から始めたところ、中忍になったころに山陽の「外聞の里」に攻められて敗北(ーー;)。そのあとさらに山陰の「鉢屋の里」に併合されるという受難続き。とくに後者の戦いでは、戦力的にはこちらが上だったのに、兵糧切れでやられました。いずれも引き続き雇用されたので、結果的に3つの里を持つ勢力にのしあがったともいえるf^^;。ただし、上忍で3,500まで挙げた功績値はデフォルトの1,500まで戻されました。その後は里間の戦争がなく、功績が1万になったところでお頭がお亡くなりに。里の頭目になってからはエンディングまでけっこう早かった。忍者の場合、下忍から上忍まで出世してもやることがほとんど変わりません。単調ともいえますが、任務をこなしながら技能を増やして自キャラを強化していくという目標が明確でRPG的かも。

忍者プレイでは、ポイントがふたつあります。ひとつは、里の頭になってからの里攻略。単独勢力に対しては、「破壊」や「放火」で耐久を落とし、「城門爆破」などの攻城スキルを持つ部下を連れていけば楽勝です。しかし支持大名がある里は、大名からの援軍が来て野戦になります。織田の援軍などは、まともに相手するとしゃれにならない強さ。この場合、敵頭目さえ殲滅すれば勝ちなので、なるべく呼び込んで、包囲陣形からの集中攻撃を狙います。これはミニゲームの野戦でも共通する要領。なお、里経営はほとんど資金を増やせないため、弱小大名を攻めて交渉することで5〜6万貫はむしりとれますf^^;。

ふたつめは、個人戦。個人戦は、同種の武器で100勝すれば称号がもらえますが、襲われて負ければ死亡バッドエンド。ゲームがある程度すすむと、町に入ったときなどに、敵対する里からの刺客に襲われるようになります。敵は5人程度のチームで、「忍犬」や「分身」、「毒苦無」などの秘技を繰り出してくるため、こちらも相応の技能や装備を整えておかないと危険です。とくに医療技能3の「止血」は必須。得物は射程の広い苦無がおすすめですが、価値が高いものがなかなか売られていません。副業を鍛冶屋にすると、時間はかかりますが高性能な武器を自作できるようになります。

3. 関ヶ原の大谷吉継編
今度は、「太平の章」(1598年)で敦賀城主・大谷吉継として城主プレイ。このシナリオでは、本拠地に出入りするたびにイベントが次々に進行して関ヶ原の合戦になだれ込みます。「関ヶ原の合戦」イベントでは野戦が連続で2回(対藤堂・京極戦と対小早川戦)、これに勝利すると戦後再編を経て、小田原付近で家康との最終決戦があります。ゲーム開始時、家臣が湯浅五助しかおらず、彼の取り柄は部将で3,000まで兵を率いることができることf^^;。少しでも能力の高い配下がほしいところですが、在野で登用できたのは、大坂の下間頼廉と雑賀の梶原景宗ぐらいでした。先に新規登録したくノ一も配下にしましたが、3人とも足軽頭で1,000までしか兵が持てないのが痛い。万全を期すなら、大谷吉継の足軽・弓矢・鉄砲・軍学各技能を上げておくべきでしょう。結論的にはそこまでしなくても勝てますが、かなり苦戦しました。

対藤堂・京極戦は、戦力的に勝つこと自体はそう難しくありません。が、つづく対小早川戦に残存兵力で挑むことになるため、消耗は極力避けたい。前に出てくる藤堂高虎さえ倒せば勝利になります。小早川秀秋との対決では、兵数で不利ですが、ここでも主将のみをめがけて集中攻撃でなんとかなります。大変なのが、家康との最終決戦。こちらは石田三成との連合軍で、部隊数は敵の倍ながら、質で劣る。石田勢には島左近と蒲生郷舎がいますが、あとの2部隊は備(MOB)武将。対する敵は家康・秀忠親子、本多忠勝、井伊直政、榊原康政という面々で壮観だなあ。って感心している場合じゃない。しかも家康本隊は鉄砲隊で突出してこないため、待ち伏せ包囲ができず、つぶし合いは避けられません。とにかく敵の弱いところ(つまり秀忠f^^;)から突きつつ、大谷本隊を撃破されないように立ち回りました。最後に残った家康本隊を全員で叩きます。こっちも残りわずかで、まさに薄氷の勝利。家康亡き後、徳川家は豊臣と縁の深い秀康が継ぎ、大谷吉継は甲斐の国主に加増・転封となりました。

なお、大谷プレイで石田三成から協力要請を受けたときに、同調するかまたは中立を守るかを選べます。同調した場合は上の経過ですが、後者を選ぶとどうなるか。関ヶ原の合戦は大谷抜きで戦われ、史実通り東軍勝利となります。戦後再編で大谷家は本領安堵で引き続き敦賀城主ですが、その後すぐに「方広寺鐘銘事件」が起こって大坂の陣勃発へとつながっていきます。家康からの出兵要請に従って大谷軍も大坂に向かうのですが、再びイベント分岐が発生。そのまま家康について戦うか、豊臣方に寝返るかの選択肢となります。寝返った場合は、強力な騎馬鉄砲隊を含む伊達勢との戦闘となり、苦戦必至です。イベントの成り行きを見るために時間だけ経過させていた大谷吉継の能力では勝てませんでした。もし島左近や蒲生郷舎といった部将格が浪人になっていて登用できれば、いけるかも。と、こんな感じで、戦国時代のifを楽しめるのが本作の面白みです。次は、山中鹿之助で尼子再興をめざすのもよさそう。
posted by みっち | 12:13 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
パイプオルガン・コンサート
<第1部>
・ボエルマン:ゴシック組曲 作品25
・ピエルネ:3つの小品 作品29より、前奏曲、カンティレーヌ
・ヴィエルヌ:ウェストミンスターの鐘

<第2部>
・R・シュトラウス:交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 作品30より冒頭部分
・マスカーニ:歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲
・サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調 作品78「オルガン付き」より第1部後半・第2部後半

パイプオルガン:井原由紀
指揮:今井治人
北九州交響楽団
2015年7月12日(日)、アルモニーサンク北九州ソレイユホール


前半はオルガン独奏、後半がオーケストラとの共演というプログラムで、司会者付き。小中学生も対象にした親しみやすいコンサートとして企画されたようです。オケは、午前中のゲネプロが終わると4時の出番までは空きになり、どうして過ごそうか悩むー(爆)。

第1部は客席で鑑賞しました。なじみの薄い作曲家ぞろいで、子供が聴いてどうかとちょっと心配しましたが、1曲が短く、なおかつ音楽に合わせて響きにも多彩な変化が付けられていて、考えられた選曲でした。途中でストップの紹介があり、そりの鈴やチャイム、ナイチンゲールといった効果音が聴けたのもよかった。

休憩後はいよいよオケ参加です。『ツァラ』は、ステージ暗転から徐々に照明が明るくなっていく演出で、演奏していても気分が乗りました。つづくマスカーニ、前日のリハーサルではなかなかうまく合わなかったんですが、だんだんステージに慣れてきたのか、本番では集中できました。テンポがいままででいちばんゆっくりだったような。その分、切々とした情感が出たと思います。

サン=サーンスでは、司会の方が抜粋の意味で「いいとこだけ」って紹介するもんだから、「ええー、じゃあ悪いとこは演奏しないのー?」みたいな微妙な空気感が漂い、本番前に飲んだドリンク吹きそうになったのは内緒(爆)。実はディヴィジではずっとウラで弾いていたところ、前日にオモテに変更になり、この曲前半の厄介なピチカートを弾かないですむ代わり、今度は慣れない変ニ長調のハイポジでメロディーを弾かなくてはならない(ーー;)。美しい部分だけに、音程にめちゃくちゃ気を遣いました。後半では、展開部のソファソー、ミファソー、という繰り返しのところで前日ダメ出しをくらっていて、それまであまり意識せずに弾いていたのが意識したことで固くなってしまい、どうなるかと思ったのですが、気合いで通過f^^;。あとはもう、騎虎の勢いというやつです。山あり谷ありで、金管も打楽器も痛快に鳴っていました。ステージ上ではオルガンとの響き具合はわからないのですが、終了後、観客席で泣いている女性がいたので、きっとうまくいったのだろうと推測。おそらくは、音の洪水に呑み込まれたような感じがしたのでは? アンコールは気合いを入れ直してエルガー『威風堂々』第1番。アンコールだけど、実はサン=サーンスより難しいかもf^^;。

いつもは譜面からなかなか顔を上げられないのですが、今回、曲が短めで、かつパート配置がヴィオラの内側に入って視界良好になったこともあり、自然と指揮者やコンミスをよく見るようになりました。その分、求心力や表現力は高まったと思うのですが、譜面に戻るときに場所がわからなくなるというリスクがあるんですよね。一応練習はしているので体は動いていますが、心がf^^;。これがもっとうまくできるようになるといいかな。
posted by みっち | 22:00 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
ルノー・カプソンによるフォーレ:ヴァイオリンソナタ集

1. フォーレ:ヴァイオリンソナタ第1番イ長調 作品13
2. フォーレ:子守歌 作品16
3. フォーレ:ロマンス 作品28
4. フォーレ:アンダンテ 作品75
5. フォーレ:初見試奏曲
6. フォーレ:ヴァイオリンソナタ第2番ホ短調 作品108

Vn:ルノー・カプソン
Pf:ミシェル・ダルベルト(1-5)、ニコラ・アンゲリッシュ(6)
録音:2010年7-9月
(Virgin Classics 50999 070875 2 3 5CD)


いまだ消化し切れていない「積ん読CD」シリーズ、新たなBOXに入ることにします。ルノー、ゴーティエのカプソン兄弟をはじめとするフランスの演奏家たちによるフォーレの室内楽全集です。

一昨年の年末から昨年秋にかけて、フォーレの室内楽曲記事シリーズをウィキペディアに書いていたときに聴いていたのがこのボックスでした。そういう意味ではもう「積ん読」ではなくなっていたわけですが、エントリしていなかったのであらためて。なお、録音データはHMVのサイトからで、ケースや同梱パンフレットには記載が見当たりませんでした。いまHMVを見ると、レーベル統合があったみたいで、レーベルがエラートに変わった上に「限定盤完売」になっています。すでに入手困難? イメージ的には「エラートの音」じゃないけどf^^;。

1枚目はヴァイオリンとピアノのための作品で、ヴァイオリンはルノー・カプソン。ピアノは、第2番のソナタをアンゲリッシュ、それ以外をダルベルトが担当しています。作品の年代でピアニストを振り分けているのかな?

第1番のソナタは、第1楽章のまったり感が特徴的。カプソンのヴァイオリンはカドの取れた美音というのか、弾き飛ばしたりエッジを立ててきつい音を出したりしません。スケルツォやフィナーレでも丁寧でありながら飛翔感や昂揚感を損なわずにたっぷりしたフレージングを聴かせます。ただし、この曲に若書きの溌剌とした表現を期待する向きにはちょっと違う、ということになるかも。ピアノのダルベルトもロマンティックな味わいを漂わせながらもフォルムは崩さず、老練さを見せています。とくに中間楽章は魅力的。

ヴァイオリンソナタの第1番と第2番は作曲年代が40年以上離れており、カップリングされていても、このCDのように間にいくつか曲が挟んであるのはいいアイデアだと思います。加えて、カプソンのスタイルは、これらの小曲で素晴らしい効果を発揮しています。すごくきれいで、こんないい曲だったのかと思えるくらい。これはぜひ聴いてほしい。

ソナタ第2番になると、突き放したようなピアノの響きが打って変わってフォーレ後期の様式を示します。この落差は大きい。アンゲリッシュのピアノは素っ気ないようでいて、ヴァイオリンとの絡みが実に有機的。エラートのフォーレ室外楽全集でのユボーをよりクリアにしたイメージです。カプソンの行き方もこの2番で断然光っていると思います。ふつう、親しみやすい1番と比較して2番はとっつきにくく地味、その結果1番しか印象に残らない、ということになりがちですが、この演奏では2番が1番に劣らないどころか、とても素晴らしい曲だということがわかると思います。「もしどちらかを選ばねばならないとすれば、それは後に書かれた方であろう。」というケクランの言葉に実感が伴ってきます。

録音は、残響多めのウォームな音調で、演奏のイメージにもつながっているでしょう。だいたいヴァージン・クラシックスのCDってモヤっとしたのが多い気がするんで、これも同じ、と決めつけたくなりますが、定位や解像度に不満はなく、豊かな響きに浸れます。音質が悪いとする方は、再生装置を見直した方がいいかとf^^;。

posted by みっち | 21:15 | CD・DVD | comments(0) | - |