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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
北九州交響楽団 第116回定期演奏会

・バーンスタイン:キャンディード序曲
・コープランド:バレエ組曲「アパラチアの春」
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調 作品47

 

長野力哉指揮、北九州交響楽団

2016年10月30日(日)、リバーウォーク北九州・北九州芸術劇場大ホール

 

今回は前半がアメリカ、後半がソ連という趣向?で、レセプションでは緒方団長が「休憩のところに『鉄のカーテン』が」と挨拶してウケていました。

 

「キャンディード」は、長野先生の要求するテンポが相当速く、とくに管楽器は大変なことになっていたはずですが、本番ではみんなキメてました。すごいよね。終了後、木管隊をねぎらう先生の悪戯っぽい笑顔が印象的でした。みっちは開演前にタウリン3000mg配合のドリンク飲んで、いつものドーピング(爆)。しかし、後半のピチカートを1小節早く始めてしまうという痛恨のエラー。すみませんすみません。あとはまあいけたかな。

 

「アパラチア」は、最初の合わせのときからしてよくここまでこれたな、というf^^;。変拍子は少しは慣れたとはいえ、アンサンブルが崩壊しないかドッキドキの連続。音符が続いているときはまだいいんですが、休みになると数えられない(爆)。実際、いくつか事故は起こっていましたが、致命的なものはなかった。たぶん客席では「そういう曲」に聞こえたはず(爆)。後半、民謡風の旋律で盛り上がっていくところからは変拍子から解放され、伸び伸び弾けました。でも最後はまた変拍子に(ーー;)。

 

ショスタコは充実感ありました。木管楽器がとくに素晴らしかったと思います。実は、前日までけっこうハラハラものだったんですよf^^;。本番はさすがの集中力。今回、当初ステージ左側にいたホルン隊がリハーサル時から右に移ってチェロパートの後ろになったことで、客席ではどうかわかりませんが、弾いていて一体感がより強くなった気がします。この曲の第3楽章では、第2チェロが裸で突出する場面があって、練習でよく落ちた(爆)。これもあって、出だしからかなりの緊張を強いられますが、なんとかクリアできたんではないでしょうか。ちなみに第4楽章のコーダでは、先ごろ亡くなったアンジェイ・ワイダの監督映画『灰とダイヤモンド』を例えに、映画のラストで祖国に平和が訪れるが、主人公は死ぬという話が長野先生からあり、金管は花火のイメージで、弦楽器のA音はテヌートで粘って弾くよう指示がありました。

 

アンコールはハチャトゥリアン『仮面舞踏会』からワルツ。フィギュアスケートですっかりおなじみの曲で、客席のノリもよかったようです。

 

マイミクのふくさんには、この日に日程を合わせて休暇を取られたそうで、演奏を聴いていただいた上にお土産までいただきました。ありがとうございました。

 

以下は次回予告です。またのご来場をお待ちしています。

 

北九州交響楽団 第117回定期演奏会
2017年5月21日(日)、リバーウォーク北九州・北九州芸術劇場大ホール

指揮:中井章徳

・シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
・ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第1・2組曲
・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」

posted by みっち | 20:50 | cello | comments(2) | trackbacks(0) |
信長の野望・創造「戦国立志伝」:上杉景勝編

「戦国立志伝」、まだ遊んでますよf^^;。12月に「三國志13pk」が出るそうなので、それまではしゃぶり尽くすつもり。全シナリオ制覇を目標にしていますが、数多いなf^^;。シナリオ「手取川の戦い」で選んだのが上杉景勝です。

 

開始時、景勝は上杉家の一武将なので領地内政ができるのですが、その後まもなくして謙信公が病没し、後継大名となります。ここでイベント「御舘の乱」とこれに伴う戦国伝が発生。北条氏から上杉の養子となった上杉景虎が南越後から上野にかけての城を奪って独立します。どうする景勝?

 

戦国伝に沿って進めると、武田勝頼と同盟し、景虎を滅ぼします。武田に厩橋城を取られてしまうのが痛いですが、ここで武田を敵に回すわけにもいきません。というのも、上杉は東西に細長い所領で、最上、伊達、葦名、北条、徳川、織田など周囲はほぼすべて敵。史実では本能寺の変が勃発したおかげで上杉は滅亡を免れるのですが、このシナリオではイベントが起こらず、織田は強大なまま。同盟を組める相手とは組んで、戦う相手を絞らなければ、到底生き残れません。武田以外には本願寺と姉小路が関係良好で、西と南は彼らが盾になってくれるため、織田との直接対決は当面なさそう。

 

これを踏まえて立てた戦略は、まず東北平定、その後南下という作戦。城がまばらで人口も少ない東北ですが、敵を減らしつつ背後を固めたい。外交では、武田を中心に対織田連合を結成して織田軍を牽制します。比較的友好度の高い葦名にも工作して連合に引き込みます。これで、敵を最上・伊達のほぼ二者に絞ることができます。北条とも同盟できればより安心ですが、「御舘の乱」の影響か困難。春日山城の景勝本軍はもしものときの備えとして動かさず、ここより東側の兵力を二手に分け、米沢城を攻めて伊達を牽制しつつ、最上領に侵攻。最上の方からちょっかいを出してきたので、籠城戦で敵を殲滅してから攻め込むと楽。伊達と最上は同盟しているため、戦線を分断して各個撃破を図ります。最上を倒せば、返す刀で伊達も滅ぼします。そのまま北上して安東、南部、津軽を順次攻略。これで背後を脅かす存在は消え、家臣の質・量ともにかなり改善されます。

 

一方、このころになると北条、徳川、織田の三方を敵に回した武田が疲弊してきます。甲斐、南信濃を失い、放っておくと滅亡するため、援軍を出して支えます。景勝自ら軍を率いて出陣し、戦いの隙をついて、信濃・高遠城や下野・唐沢山城などを奪うことができました。ここの防備を固めて拠点とします。

 

所領が大きくなったので、武家を再配置します。上杉家に限った話ではないかもしれませんが、武家(城主に内政委任)がやたら多い。斎藤朝信、樋口兼豊、遊佐続光、甘粕景持といった使えそうな武家には優先的に相性のよい寄騎を与えて東北方面に知行換えし、越後、越中、能登を順次直轄化していきます。これは、いずれやってくるであろう織田戦に備えるため。城の改修と敵将の調略は直轄でないとなかなかすすみません。とはいえ、改修まではなかなか手が回りませんが。この間悩ましかったのは、伊達政宗の処遇です。もちろん能力的には超優秀ですが、景勝とは主義も士道も相性が悪く、忠誠度が真っ赤(ーー;)。姫が登場したので、縁組して一門衆に加えて一安心。あと、本条繁長や林崎甚助、愛洲宗通(元香斎)らが国人衆にいるので、忘れずに取り込みます。

 

後顧の憂いがなくなったので、あとは南下するのみ。東北の諸部隊で常陸の佐竹に殺到して飲み込み、そのまま関東になだれ込みます。北条氏は大半のシナリオで東日本最大の脅威となる存在ですが、今回は連合が効いたのか手に負えないほどでもありません。安房の里見がまだ健在で、葦名(針生が後継)も含めて援軍も要請できます。調略で忍城がこっちに寝返ったのを機会に大会戦で敵を一掃し、あとは兵数が消耗した城を順次奪っていきます。耐久が1万超えの小田原城はさすがに攻略が大変ですが、それも時間の問題。北条を滅ぼすころには、国力でも織田家に追いつきました。

 

徳川には、甲斐方面と遠江方面の両側から侵攻します。三河までくると、同盟している織田の援軍がやってくるので、こちらも武田に要請して織田の前線基地、信濃・飯田城を攻めてもらい、飛騨・越前方面でも出撃して戦線を拡大します。ここからは総力戦。人口の多い畿内を押さえている織田軍はさすがに手厚いですが、総合力ではこちらが上で、力押しでも勝てるはず。徳川を滅ぼすと優秀な家臣団が手に入って盤石に。二条城を奪えば、惣無事令エンド。

posted by みっち | 21:34 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
このごろのウィキペディアを勝手に判定(2016/10)

5ヶ月ぶりの勝手に判定コーナー(爆)。例によって三題挙げてみます。

 

・[[ノート:インスタンブル]]
「イスタンブール」への改名提案が出され、賛成多数の状況。提案自体はもっともな理由があるように思えます。とはいえ、いつもの「名物」改名論議と同様で、判定はどっちでもよし(爆)。しかし、これ改名すると、他への影響が大きいかもしれない。

 

ウィキペディア日本語版のイスラム関係の項目名って、「イスラーム」から始まってメッカは「マッカ」だし、コーランは「クルアーン」だし、タイトルだけだとなんのことなのかわからないくらい、一般的な用語とはかけ離れた専門的表記が選ばれています。これは[[プロジェクト:イスラーム]]でそういう決めがあるんじゃなかったっけ? と思って[[プロジェクト-ノート:イスラーム]]を見たんですが、表記についての疑問は出されているけど、ではこうしましょうという結論らしきものは見つかりませんでした。ということは、プロジェクトで合意して決めたわけじゃなく、個々の記事名が「マッカ」や「クルアーン」などになった経緯から、当時のプロジェクト参加者たちはなんとなく空気を読んで記事を書いていたということでしょうか?

 

それで、もし「イスタンブール」への改名が実施されると、すでに挙げた「マッカ」や「クルアーン」など、イスラム関係の記事が軒並み改名のやり玉に挙がってくるのでは? 記事内容には関心がないくせに改名にはやたら熱心な利用者たちが、舌なめずりして飛びかかってきそうな予感がしまくりf^^;。そうなると、ギリシア神話関係項目にも余波が及んできそうです。こちらは一応プロジェクトの合意で表記を決めていますが、フロンティア精神に富んだ改名屋さんたちにとっては、イスラム関係同様の新たな開拓地にしか映らないんじゃないかと。うーむ、ウィキペディアに改名論議の種は尽きない(爆)。

 

・[[Wikipedia‐ノート:中立的な観点]]
「よくある批判と回答」の例文として「ほとんどの西洋人にとって感情を害するような見方」とあることが、東洋人を見下していることになるという理由で、「多くの人々が感情を……」に書き直せという提案からグダグダの展開に。

 

差別主義の例として、そういう意見があったときにどう答えるかという例文が差別的といってケチを付けるという発想がまず??なわけですが、これに対する反論が「西洋至上主義者によるプロパガンダ」って??? 悪いけど、そこから先はまったく読む気がしない。単純に、英語版ではここ更新されているので、合わせませんか?と提案していたら、変なのが湧くこともなくすんなり受け容れられていた可能性もあります。

 

自分自身が多少とも偏っていることの自覚がない人に、この種の議論は無理でしょう。こんなレッテル張りばかりでは、およそ「中立的な観点」を語るにふさわしくない人たちが集まって議論しているような気がしてなりません。それにしてもこれだけ騒げるこの人たち、ウィキペディアにいったいなにしに来てるのか、それが最大の疑問。というわけで勝手に判定。ちゃんと記事を書くようになるまで参加者全員無期限ブロックでOK(爆)。

 

・[[Wikipedia:ブロック依頼/Hisagi 20161007]]
管理者の経験もあるHisagiさんのブロック依頼。はじめは依頼文を書き直せという注文が付いたりして、一筋縄ではいかない感じでしたが、途中から続々ブロック賛成意見が集まり、1年間ブロックの判定が出ました。結論早っ。というわけで、勝手に判定する必要なし(爆)。

 

この方に関わっては、これまでもブロック依頼やコメント依頼が何度も出されており、みっちも意見したことがあります。過去の依頼では、依頼側が無理筋だったり落ち度が大きかったりということが多かったんですが、そうだとしてもHisagiさんのゴロツキかと思うようなムダに挑発的な対話姿勢には、正直よほどブロック賛成しようかと思ったこともありました。だけど、もしかしたらまた記事書いてくれるんじゃないかという期待から踏み切れなかった。むしろそれが事態をより悪化させたかもしれません。

 

今回も依頼自体にケチが付いた点では過去と同様のパターンをたどる可能性もありました。しかし、それ以上に積み重なる対話姿勢の問題が大きくクローズアップされた印象です。とくに、cproさんの「知の軽視」、「ウィキペディアンとしてはもはや死んでしまったようなもの」という指摘は重いでしょう。Hisagiさんとはオフ会でお会いしたこともあるだけに、非常に残念です。オフ会といえば、やはり同席されていた龍伯さんがリタイアされた件にもHisagiさんが絡んでいて、どうせこうなるんだったらもっと早くブロックしておけば、こっちは未然に防げたんじゃないかとも思ったり。いまさらいっても仕方ないけど……。

posted by みっち | 11:24 | Wikipedia | comments(0) | trackbacks(0) |
パーテルノストロ/ヴュルテンベルク・フィルによるブルックナー:交響曲第8番

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1890年版)

 

ロベルト・パーテルノストロ指揮、ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団

 

2002年7月13日、ヴァインガルテン大聖堂での録音
(DOCUMENTS 232766A-K 11CD)

 

パーテルノストロ/ヴュルテンベルク・フィルによるブルックナーの交響曲全集から第8番を聴きました。このボックスでは8番のみ、2楽章ずつCD2枚にわたって収録されています。長いからね。

 

クレジットされている「1890年版」とは大改訂後の「第2稿」を意味しますが、同じ「第2稿」でもハース版とノヴァーク版では違っているようで、単純に言うと第4楽章が長いのがハース版、短いのがノヴァーク版。ハース版では、改訂時にブルックナーがカットした箇所を10小節ほど復活させている分、長くなっているとのことです。わかりやすいのは、コーダに入る前でしょうか。この演奏はたぶんハース版だと思いますが、間違っていたらゴメンナサイ。

 

第1楽章はかなりテンポが遅い。時間的には17分でさほどでもないのですが、パーテルノストロは部分的なタメやリタルダンドはやらないので、平均的に遅いということになります。これによってオルガン的な響きは強調されますが、全体的にのっぺりした印象。例えば、展開部の終わりでフルートがひらひらと残ってオーボエに第1主題が再現するところ、みっち的にはこの楽章の最高のキモなのですが、コントラストがなく平板です。

 

第2楽章は打って変わってキビキビしたテンポです。今度はしかし、残響の多い会場との相性の悪さを感じます。例えばティンパニの打ち込みとか、ここぞというところでのキメがことごとく丸くなってしまっており、爽快感に欠けます。中間部は全曲中でも聴きどころですが、ハープが引っ込んでいて、魅力が半減しています。マイク位置の関係かもしれませんが、うーん、もったいない。

 

この調子では全曲聴き通すのはつらいぞ、と思いましたが、CDが換わった第3楽章から盛り返します。ゆったりしたテンポで約27分という長丁場ですが、弦も管も後半になって集中力を発揮しだしたのか、美しい演奏になっています。ここでは会場の残響も味方して、大河のように神々しいブルックナーサウンドに浸れます。

 

第4楽章は約25分。ここでも焦らず着実に歩を進めるパーテルノストロが持ち味を発揮しています。かといって無味乾燥でもなく、部分部分が美しい。コーダは、もう少しスケールの大きさがあってもいいと思いますが、この人はそういう暴れ方はしないですねf^^;。というわけで、前半はやや不満ですが、あとの2つの楽章は立派です。

posted by みっち | 23:56 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
胃カメラ問題

最近、胃カメラを鼻から通すタイプが出てきて、みっちも数年前から人間ドックではこのメニューです。待合室みたいなところで鼻の穴に器具を突っ込まれ、そのままの格好で待っている時間と処置室に移動する状況はかなりアホみたいですが、口から突っ込まれてハアハア無抵抗状態にさせられることを考えれば、数段楽だしより人間的というものです。しかし、あらためて考えてみると、胃カメラっていろいろ理不尽なんじゃないかと。

 

そもそも人間ドックの申込み時点で、承諾書みたいなのにサインさせられるんですよ。なにが書いてあるかというと、胃カメラが元で死んだ事例もあるけどやっていいよね、という内容。いやよくないだろ(爆)。健康状態を確かめるのに、命がけって? ふつうは健康より命が大事ですよ。逆の人もいるみたいだけど。待て、よく考えると難しい問題だなこれ(爆)。 この時点でもうすごいプレッシャー。

 

で、人間ドック当日の窓口では、胃カメラ中に気になるところがあったときなどに組織を採取して検査していいですか、はいorいいえ、にチェックを入れさせられます。一見選択肢が二つあるようですが、実は罠。「いいえ」にすると、窓口の女性から「もし病変などが見つかったときに組織が採れないとまた胃カメラをしていただくことになりますけど、いいですか」とかいわれます。いいわけないだろ(爆)。そもそも、なんで胃カメラやるかというと、みっちの場合、二十歳頃に胃炎をやったところがあり、そう、自分も若くて純粋だったがゆえに悩んだころがあるんですよf^^;。それはいいとして、ヒダが深い部分があって、胃透視だとよくわからないから「2次検診で胃カメラ」、という結果にほぼ必ずなります。あと、バリウムの排出に時間がかかり、雪隠詰めの刑にかかった悲惨な体験もありますが、これはまた別の話(恥)。とにかくそういういろんな面倒を省くために最初から胃カメラにしているわけです。しかも命がけだよ。プレッシャーだよ。それなのに、なにをいってるんだこの人は。胃カメラの無限ループ地獄に落ちろだと!? などということはおくびにも出さず、あっさり「はい」にチェック(爆)。だって、次のお客さん待ってるしー。

 

んで、ホンバン始まると、「ああー、胃炎ですねー。念のため組織採っときましょう」って、やっぱり採るんかい(爆)。「いや、いつもそこやられるんですけど結果は異常なしなんです」って言おうにも、ハアハア無抵抗状態でしゃべれません! いやあれ? 鼻からだとしゃべれるんだ。それなのにやっぱりハアハアしてしまうのは、口で調教された条件反射? くそう、こんなカラダにしやがって。なにが念のためだ。すべてはこれ、検査を増やして追加徴収が目的だろ。悪徳SM病院ですかここは! 取った組織とカネ返せー! などということはおくびにも出さず、素直にただうなずくみっちであった(爆)。また来年もよろしくお願いします。

posted by みっち | 08:17 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
宇多田ヒカル ファントーム

1. 道
2. 俺の彼女
3. 花束を君に
4. 二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎
5. 人魚
6. ともだち with 小袋成彬
7. 真夏の通り雨
8. 荒野の狼
9. 忘却 featuring KOHH
10. 人生最高の日
11. 桜流し

 

(Virgin Music TYCT-60101)

 

車で聴いていたFMから流れてきた、シンプルに切なく繰り返されるメロディーを誰だろう?と思ったのが、宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」でした。「花束を君に」の美しいメロディーと伸びやかな歌声にも惹かれるものがあり、CDが出たら買おうと思っていました。アルバムは8年ぶりらしいですが、以前の活動は「流行っているポップス」ぐらいの認識しかなく、知りません。しかしこの2曲は、明らかになにか転機があったことを感じさせ、率直に訴えかけてくるものがありました。感動的な歌唱です。

 

ふだんはメロディーやサウンド中心に聴いており、歌詞についてはほとんど気にしていないのですが、なにかただならないものがあり、歌詞を読んでみると、この2曲はどうも母親の死を歌っているように思えます。「花束を君に」では、NHK朝ドラのテーマ曲に使われるくらいメロディーは明るいのですが、「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」、「涙色の花束」という歌詞が対象の死を暗示しており、「いとしい人」とは恋人でも「一つの指輪」(爆)でもなく、母親の藤圭子を指しているように思えてきます。「真夏の通り雨」では、夢から覚めた情景を歌っており、これも母親と一緒の夢だったと解釈するのが自然です。つまりこの2曲には、宇多田ヒカルの母親への思慕が強く表れており、一種のレクイエムとして成立しています。もう1曲、冒頭に置かれている「道」も、母親への告白・呼びかけと受け止めてよさそうですが、書かれた時期が少し後なのか、そこにとどまらず前を向いて進む姿勢が打ち出されています。

 

ほかの曲も、上記3曲ほどのインパクトはありませんが、個性を確立させた人の作品ということで間違いないでしょう。「道」で「ありゃせぬ」という歌詞が出てくるのにはびっくり。いまどきこんな言葉使う人いるんだ。ほかにも「走れメロス」、「シェイクスピア」などが出てきて、へー、活動休止中にそんなの読んでたのかな、と思わせたり。歌詞そのものだけでなくメロディーに対する歌詞の乗せ方にも独特なものがあります。例えば「道」では、先行する歌詞の語尾が次のメロディーの始まりまで引っ張られる倒置的手法が特徴になっています。あと、これはみっちだけの感じ方かもしれませんけど、短いフレーズの繰り返しの多用によってシンプルさが強調される点で、ミニマルミュージックに接近しているのじゃなかろうかと。

 

作詞作曲だけでなくプロデュースや編曲までこなしているんですね。アレンジは(少なくとも聴感上は)簡潔・端的で、メジャーレーベルのポップスにありがちな、ブラスにストリングスにキーボードにと厚化粧に盛ったサウンドとは一線を画しています。もしかするとセッション中心かも。このため「道」などは引き締まった力強さを感じさせます。ソフトはSHM-CDで厚めのケースに入っており、CD自体も手に取ると重い感じ。音質はキレがよく良好。

posted by みっち | 19:57 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |