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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
鬼滅の刃

少年ジャンプに連載中のマンガが面白い。ジャンプは20歳代のころから断続的に読み続けていますが、現在きちんと追っているのは『銀魂』と『鬼滅の刃』、この二つだけです。

 

物語の舞台は大正時代。炭売りの炭治郎は家族を鬼に殺され、妹の禰豆子も鬼の血が入り込んで鬼になってしまう。炭治郎は禰豆子を人間に戻す手段を探るため、厳しい修行に耐えて鬼殺隊に入隊し、異形の鬼たちを追う、というストーリー。ここでいう鬼とは、ゾンビと吸血鬼を合わせたような存在で、人を襲って食うことで強くなり、太陽の光が弱点という特徴があります。

 

作者は吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)。登場人物の名前がユニークなのも特徴で、主人公が竈門炭治郎(かまど たんじろう)、その妹が禰豆子(ねずこ)。炭治郎の仲間の隊員が我妻善逸(あがつま ぜんいつ)、嘴平伊之助(はしびら いのすけ)。最近登場してきた鬼殺隊の「柱」の面々が、冨岡義勇、胡蝶しのぶ、煉獄杏寿郎、宇随天元、悲鳴嶼行冥、時透無一郎、伊黒小芭内、不死川実弥、甘露寺蜜璃。字面を見ているだけでクラクラしてきます。このネーミングセンスはどこから来ているんでしょうか。山田風太郎の「忍法帖」ものをちょっと思い出させるところがあります。インパクトでは、荒木飛呂彦が「ジョジョ」シリーズの前に掲載した『バオー来訪者』のときのものに近い。バオー・メルテッディン・フェノメノン!!

 

ウィキペディアには作者は女性だと書いてありますが、そういわれると、そうかもしれない。時代背景からか、和洋折衷の大正ロマン的なファッションセンスが感じられます。鬼殺隊員は詰め襟の制服に羽織という出で立ちで、日光の効力を蓄えた日輪刀を携えているのですが、市松模様をはじめ日本に古くからある柄が羽織に使われていて、これがトレードマークのような働きをしています。

 

絵は独特のタッチで、ヘタという声もあるようですが、そうは思いません。むしろ作者ならではの絵柄を確立している点を高く評価すべきでしょう。題材的におどろおどろしい絵になりやすいですが、暗くて怖い場面だけでなく、緊張が緩んだときのユーモラスな描写にも味があります。ときどき引いたアングルで、人物を小さく描いたときの表情もかわいい。

 

連載開始当初は、その独特な世界がすぐに受け容れられず、打ち切り候補などと噂されていたようですが、ここにきて人気が上昇してきているようです。鬼殺隊の9人の「柱」や御館様が登場してにぎやかになってきました。今後ますます目が離せない。

posted by みっち | 22:26 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
最近のウィキペディアを勝手に判定(2017.1)

3ヶ月ぶり。例によって三題挙げてみます。

 

・[[Wikipedia:井戸端#下書きパクリの防止について]]

利用者のサブページに記事の下書きを載せていたら、それを別の利用者が記事にしてしまったという。前にも問題になりましたが、そのときは下書きした利用者が活動停止状態で、そのまま埋もれさせるのはもったいないという善意からのものでした。今回はどうやらそうではなく、文字通りのパクリ。

 

ライセンス上は転載自由なので、執筆者の許可が必要なライセンスに変えるといった対応案は、ウィキペディアそのものの存立に関わる話になりそう。したがって、利用者マナーの問題として禁止条項を加えるという流れになっているようです。とはいえ、ルールで禁じたところで、行為そのものは防げないのは「荒らし」と同様です。パクった利用者をブロックしても、アカウントを乗り換えられたりすれば、パクりそのものは防げません。「荒らし」と違うのは記事そのものの対処で、荒らされた記事は無論リバートですが、パクリ記事は見せしめとして削除なのか、それとも記事そのものは削除理由に当たらないとして活かすのかで意見が分かれそう。削除しないのが正論のような気もしますが、一方で下書きした立場に立てば、履歴や初版に自分のアカウントが残らず、それまでの注力が報われない形になってやるせない。

 

結論的には、各利用者が自衛手段として、下書きページにはパクられても大丈夫なことしか載せない、ということに尽きるように思います。サブページの案内にその種の注意書きを明示する程度かな。「パクリ禁止」ルールなどを加えるのは大げさすぎるし、実効性に乏しい。どうも、ウィキペディアのルールの隙間狙いというか、その対処をめぐって利用者たちが騒ぎ出す様子を面白がって、あえてこういうことをしでかす愉快犯がいるんじゃなかろうかという気がするんですよね。

 

・[[Wikipedia‐ノート:検証可能性#出典不明示部分を誰でも除去できる点について(補足説明追加の提案)]]

記述が事実である可能性が高かろうがなんであろうが、出典が示されていなければ除去する利用者がいることに対して、検証可能性方針でもう少し補足説明を加えてはどうかという提案。

 

これ、以前から個人的にウィキペディア最大の問題だと思っています。ウィキペディアには、自分では記事を書かずに、人の書いたものを消して回る輩がいます。彼らの最大のよりどころ、決めゼリフがこの方針に書かれている以下の二つの文です。

 

・「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」
・「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。」

 

昨年無期限ブロックされたHOPE氏がその典型で、これを金科玉条にして記述を消しまくっていました。で、この部分をいじろうとすると、必ず反論する人がいて、これまた自分ではまったく記事を書かない人。おそらく、この人たちにとって「出典明示」こそがすべてで、記事の内容とか体裁とかはどうでもいいんでしょう。本末転倒とはこのことだと思うんですが、以前からこういう出典原理主義者たちがウィキペディアの多数派みたいになっていて(実際は違うと思うけど、議論で声を上げるのはこういう連中ばかり。記事を書いている人は基本オフライン作業だから、ウィキペディアに張り付いてない)、息苦しいことこの上ない。その挙げ句、記事を書ける人や貢献できる人に因縁を付けて追い出すような事態にまでなったのを見て、愛想が尽きたみっちは足を洗いました。というわけで、期待はしていませんが、注目はしておこう。

 

・[[Wikipedia:投稿ブロック依頼/ikedat76 20161215]]

もはや旧聞に属しますが、秀逸記事の実績もある利用者、ikedat76さんが無期限ブロックとなりました。ブロック賛成が40票、反対が14票。長いので数え間違っているかもしれませんが、だいたい3対1の割合で賛成が多かった。

 

個人的には、無期限ブロックの必要はなかったと思います。直接の誘因となった有足魚さんに対する揶揄はとても褒められたものではありませんが、暴言のたぐいとしてせいぜい1ヶ月以内のブロックでしょう。もし、ikedat76さんが今後他の利用者のアカウント名をいじったりしないと約束するなら、賛成票がかなり減ったんじゃないかという印象もありますが、そうはなりませんでした。

 

ikedat76さんのコメントが辛辣であることはそのとおりですが、いっている内容自体にはほとんど問題がなかったと思います。むしろ、正鵠を射たものが多く、みっちは大いに参考にさせてもらっていました。ただ、あまりに鋭く端的なので、言われた方が傷つくということはあったでしょう。加えて、しばしば揶揄調になっていました。その矛先が、「おまえがいうな」的な相手に向けられたものである限りは、それほど問題視はされなかったのですが、ときたま「ケンカする相手が違うのでは?」と思うことがありました。有足魚さんがそうだし、もうちょっと前では、頭痛さんがそうでした。率直に言って、頭痛さんを排除したのは、ikedat76さんの誤りだったと思います。お二人は記事に対して求めるものが高く、厳しい姿勢で共通しており、いわば「同じ陣営」に属していたからです。この件だけの話ではないけれど、記事書きが記事書きを追い出すようなことをやってはいけない。しかしこのとき、ikedat76さんは記事を書かない連中と手を組んで、今度は自分が標的にされてしまった。

 

無期限ブロックとなったことで、おそらくikedat76さんはもう戻ってこないと思います。ウィキペディアはまた貴重な人材を失いました。賛成者はそれを覚悟の上で表明したんですよね。

posted by みっち | 11:20 | Wikipedia | comments(6) | trackbacks(0) |
メタルマックス2:リローデッド

2011年に発売されたDS用ソフト。MM2Rと略すらしい。「メタルマックス2」にはスーパーファミコン用のオリジナル、ゲームボーイアドバンス用の「2改」があり、さらに「メタルマックス3」のシステムを応用したリメイク版がこのリローデッド。というわけで、2だけど3よりも新しいソフトです。

 

近未来の荒廃した世界で戦車やバイクに乗って移動し戦うという内容は、ヘビメタ調のBGMともあいまって、RPGにありがちな「剣と魔法」ものとは一線を画しています。戦闘自体はスピードがあってあっさり片が付くことが多く、各種砲弾やビームが飛び交い、炸裂する様は爽快感があります。遊んでいて、「チヨノフ」や「ウォズニアック」などの名前に既視感があったのですが、どうやら「メタルマックス」第1作をみっちはファミコンで遊んでいたらしい。あんまり昔のことで忘れていましたが、徹甲弾がなかなか効果的だったような記憶があります。もちろん当時よりいろんな面で拡張されており、やり込み要素も満載になっています。☆3バイオエンジンがほしくてベヒムース狩りをやってしまい、なんとか1個ゲットv(^^)。

 

シナリオは自由度が高い。クエストは充実していますが、なにをやるかの順番はそれほど決まっていません。うまくいけば優秀な装備をそろえて楽に進められることもあるし、いきなり強敵に遭遇して全滅ということもあります。とはいえ、全滅しても復活はタダだし、戦車の回収にちょっぴりお金がかかるくらいで、冒険のリスクは軽い。ゲームを進めるうちにクルマも装備もどんどん種類が増えていき、そのどれを使うか、どう改造していくか悩むのも楽しい。

 

一度クリアして2周目に入ったんですが、これはまた違った遊び方になりますね。1周目で遊んだキャラ、獲得したアイテム類やお金がそのまま引き継げるので、難易度をハードに上げてみても、前半は楽勝。クルマの入手順が一部変わっており、1周目では装甲車が埋もれていた砂漠からマンムートが出てきました。マンムートは1周目では入手のタイミングが遅く、ほとんど活躍させられなかったので、今回はメインで使ってみたい。サクサクすすめつつ、お目当ての装備のレア度を吟味し、究極のクルマを目指して旅する感じになります。これがまた楽しい!

 

また、このゲームでは、ラスボスを倒す以外に結婚エンディングが用意されており、相手候補が3人います。マリリンとは無理らしいf^^;。それぞれ背景があって迷うところですが、イリットやセシルとの会話は印象に残ります。健気で切ない。これを味わうためにだけでもプレイする価値があるかも。

posted by みっち | 23:34 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
死ぬかと思った

すみません、ちょっと大げさにタイトル書いています。確率的にはなくもないかも程度の、加えて「下の方」の話なので、ご了承ください。

 

けさ、トイレで股の付け根をなにげなく触ったところヌルッとした感触があり、見ると指に血が付いていました。後ろならまあゴニョゴニョ(爆)だけど、前ってどういうこと? んで、確認したところ、例のフクロの裏側から出血しています。痛みはとくになし。爪立てたり掻いたりした覚えもないのに、なぜ血が出てるんだ。トイレットペーパーで2、3回ぬぐいましたが、すぐには止まらず、だらしない感じで流れつづけています。落ちた血で便器が赤く染まってきた。

 

以前ですが、「人間ドック」で血小板が少なくなる症状があり、病院から「特発性血小板減少性紫斑病(ITP)」という恐ろしげな診断を下されたことがあります。血小板があまり少なくなると、出血が止まらなくなるというんですよ。このときは胃のピロリ菌の悪さも考えられるとして除菌治療をしたんですが、治療とリンクしていないタイミング(1回目に除菌できなかったので2回目をやるときの血液検査)で数値が回復しました。意味わからん。血小板数はその後、要治療ラインまではいかないにしても、平均値からすると低空飛行で推移しています。このことが頭をよぎりました。

 

もしかして、このまま血が止まらないとか? タマ袋からの失血死って。うわあ、自分そんなふざけた死に方すんの? いやあ、けっこうお似合いだとかいわれるかもしれないけど、心の準備がまだ! などと考えただけで急速に脳の血が足りない感じに。頼む、止まってー。おみくじ末吉だったけど、末はよくなるって意味でしょ。幸い、しばらくして止まっってくれました。おそらくは一定量の血が局部にたまっていて、それが出てしまうまで止まらなかったものか。いまは放置プ、患部を刺激しないようにしています。危なかった。

 

あとで「陰嚢 出血」でネット検索して「陰嚢被角血管腫」かも、と思い当たりました。これもまたおどろおどろしい名前ですが、良性で治療の必要は特段ないと書いてあります。これにしとこう。老人性あるいは30歳代以上になると起こりやすくなるらしい。これも年を取った証拠か。それにしても、「特発性血小板減少性紫斑病」と「陰嚢被角血管腫」、これが合わさったらと思うと、名前だけで死ねそう。

posted by みっち | 22:18 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョルジュ・プレートル没

フランスの指揮者プレートルが1月4日、92歳で亡くなったということです。合掌。現役ではもっとも好きな指揮者でした。

 

1970年代ごろまで、プレートルはマリア・カラスなどとのオペラ録音を除けば、ほとんどプーランクの専門家のように扱われていた記憶があります。みっちもシンフォニエッタやピアノ協奏曲をプレートルのEMI録音で知りました。ただ、当時それほどの思い入れはなく、『牝鹿』はフレモー盤の方が好きだったし、CDではヴァージンのヒコックス盤でプーランクをそろえたりして、そのうち業界からは忘れ去られた感じになったように思います。ヨーロッパでは活躍していたのかもしれませんが。

 

プレートルの名前が再び現れたのは、2008年のウィーン・フィルとのニューイヤー・コンサートでした。このときの反響は大きかった。2年後の2010年のニューイヤーでもウィーン・フィルを振り、日本でもプレートル「再発見」ブームになりました。その愛嬌のある仕草と風貌から「フランスの東野英治郎」(爆)として親しまれ、みっちも「印籠流」などと呼んでいましたf^^;。ウィーン交響楽団とのライヴ録音が発売されたのもこのころで、買ったマーラーの5番、6番、ブルックナーの8番はどれも快演でした。この人のマーラーは、ラテン系のマーラーなんて、と食わず嫌いの人にこそ聴かせたい演奏で、6番は曲的にこんなに楽しくなっていいのかという疑問符を付ける人もいるかもしれませんが、5番はこの曲最高の演奏の一つだと思います。ブルックナーでも、スケルツォのノリや緩徐楽章の歌心はこの人ならではのものでした。

 

テンポに自在なメリハリというか呼吸感があり、いわゆるガチガチのインテンポではないところは好みが分かれるかもしれません。みっちもほかの指揮者に恣意的に揺らされると「なんで?」と拒否反応してしまう場合がわりとあるのですが、プレートルだと「おおっ」と思ってもイヤにはなりません。このテンポこそが情緒豊かな音楽を生み出しており、キメるべきところでキメるリズムの鮮やかさと相まって、痛快な印象を与えます。面白さという点では、世界一といっていいかも。オケのドライブ感といい、これだけのオーラを放つ指揮者はいまどきそういないでしょう。

 

もっといろいろ聴きたかったなあ。このごろCD買わなくなったので新譜情報を知りませんが、プレートル・ボックスとか出たら買ってしまうかも。あと、これ書いていて触れたせいで思い出したけど、ルイ・フレモーはプレートルより3歳年上でまだ存命みたい。ウィーン・フィルでニューイヤー、は無理としても、録音出ませんかねえ。

posted by みっち | 21:49 | お気楽妄想系 | comments(2) | trackbacks(0) |
2017北九州伯林的管弦楽団演奏会

・デムシチン:交響詩「平和」

・モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201

・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47

 

タラス・デムシチン指揮、北九州伯林的管弦楽団

 

2017年1月8日(日)、黒崎ひびしんホール

 

今年の北九州伯林的は「タコ5」。昨年北九響で同じ曲をやったばかりですが、今度は客席で聴くのもいいかな、というわけで出かけました。指揮者のデムシチンはウクライナ出身。九州交響楽団の主席クラリネット奏者ということです。

 

1曲目の作曲者は指揮者の父親、ロスティスラフ・デムシチンの作品で、本邦初公開? 存命の方らしいですが、ほぼ三部形式の聞きやすい音楽でした。主部の弦楽の響きがなかなか美しい。中間では戦争を象徴しているのか? 同じフレーズを繰り返しながらクレッシェンドしていき、圧迫感を高めて最後はゴジラみたいな感じに(爆)。

 

2曲目のモーツァルトは、どういう意図で選曲されたものやら。デムシチンのあとで聴くと、明るく整った響きがむしろ異化されて、異様な感じさえしました。演奏は編成が大きいこともあって重心の低い、ロシア風を感じさせるものでした。

 

メインのショスタコーヴィチは、いろいろやってくれました。第1楽章のカタストロフや、フィナーレの最初、コーダなどではきわめて遅く、スケルツォ主部は逆に突進するように速く、このテンポの対比が非常に大きかった。響きの点では、ハープが効果的に聞こえて色彩を添えており、北九響のときはあまり聞こえなかった木琴のキンキンした音もよく通ってきました。北九響の演奏とはぜんぜん違うけど、これはこれですごい。チェロは、音は聞こえるんだけど、第3楽章ではもうちょっと量感と気迫がほしかったかな。トップの人のアクションが小さかったことも影響したかも。クラリネットのトリルの方がむしろ勝っていたのが惜しい。ラストのあの極端に遅いテンポは、管楽器の人苦しかっただろうなあf^^;。ティンパニのキメがかっこよかったです。あっぱれ! みっちの周りの席からもウーンと唸る声や「すごいね」といった会話が聞こえてきました。

 

アンコールがまた面白かった。ブラームスのハンガリー舞曲第5番をやってくれたんですが、非常に濃い。デムシチンの指揮は精力的で、長い手足を振り回し、随所で飛び跳ねながら指揮するんですが、中間部ではシークエンスごとに客席を振り返って笑いを取るので、こんなに楽しいハンガリー舞曲はこれまでなかった。みっちも思わず「ブラボー」って叫んでしまいました。これで終わりかと思うとそうでなく、最後にこのオケお約束、ワーグナーのマイスタージンガー前奏曲で締め。よくまあ体力が残っているものです。

 

プログラム解説も相変わらず読ませるし、これで無料だから驚き。って毎年いってるけど(爆)。8月26日には、鹿児島市宝山ホールで鹿児島伯林的管弦楽団がマーラーの2番を演奏するそうです。どうしよう……。

posted by みっち | 10:57 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
戸田奈津子氏語る 理想の字幕

Yahoo!ニュースに BuzzFeed Japan のインタビュー記事が掲載されていたので読んでみました。ここで採り上げるのはもちろん、LotR字幕問題についても触れていたからで、その部分を下に引用します。

 

ネットで広がる誤訳批判。そして『ロード・オブ・ザ・リング』騒動


ネットでは、戸田さんが翻訳するときに使う独特の意訳や言い回しを「なっち語」と親しむ人がいる。その一方で、戸田さん独特の意訳や誤訳に対する批判の声が上がるのも事実だ。「誤訳の女王」とも呼ばれることも。

 

ネット上の批判について、戸田さんは「見ないから、何て言われているか知りません」。

 

戸田さんが字幕翻訳を担当した『ロード・オブ・ザ・リング』『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』は、原作に忠実ではないという批判が相次いだ。原作ファンを中心に、ネットで字幕修正や字幕翻訳の交代を求める署名活動が起きる騒動となった。

 

戸田さんは「言い訳や昔の話をしたくない」と最初に断りを入れながら『ロード・オブ・ザ・リング』騒動についてこう説明する。

 

「抗議をした方々は、数十年前の本の翻訳を聖書と思っているわけ。数十年前の翻訳ですよ?日々変わる言葉が、その間にどれだけ変化するか。今の観客が違和感を抱かない字幕にするのが当然じゃないでしょうか」

 

原作「指輪物語」は、瀬田貞二さんが1970年代に翻訳。当時、使われていたことばは通用しないと戸田さん。実際、原作の翻訳も1992年に翻訳が推敲されている。


まず、戸田氏が言っていること以前に、「原作に忠実ではないという批判が相次いだ」という地の文が違います。原作というより映画そのものに忠実でなく、シーンの意味が分からない、あるいは誤解を招く字幕だったという批判が相次いだのが真相でしょう。はじめから本題がずらされています。ここ、前から口を酸っぱくしていっているんですけど、採り上げ方がいつもこの調子なんですよね。で、戸田氏はそれをいいことに、「抗議をした方々は、数十年前の本の翻訳を聖書と思っている」と便乗しています。批判を見ず、何て言われているか知らないとしながら、原作原理主義者が騒いでいるだけみたいな判断をしている根拠はなんなんでしょうか?

 

もちろん瀬田貞二の翻訳に愛着はあるし、原作のテイストをこの翻訳で身につけたことは否定しません。みっちの場合は新版の翻訳ですが、部分的にしろ古めかしいと感じる表現は確かにあり、それを時代に合わせて改めること自体を否定するつもりもありません。しかし、問題はそこではない。「今の観客が違和感を抱かない字幕にするのが当然」なのに、今の観客が違和感ありまくりだったから批判されたんですよ。当然のことができておらず、映画が歪められている。だからこそ監督のPJまでもが動いて、RotKやその後のDVDでは監修がついて字幕が改善されたんでしょうに。戸田氏もそれを受け容れたんじゃなかったの? ま、この調子ですから反省はなく、これからも自分をごまかしつづけるつもりかな。これだから、なっち字幕の映画はもう観たくないんですよ。

 

もう一度念押し。原作に忠実でないという批判は、映画の脚本や演出に向けられたものはあったでしょうが、映画と原作とは別物であることはみんなわかって言っています。そのことと字幕の問題は別です。「原作との相違」ではなく、「映画の字幕」としてダメだった。それをすぐに指摘できたのが「原作ファン」であり、抗議したのはそうした原作ファンを含む「映画ファン」だった。このことがなぜこうも伝わらないのか、あるいは伝えようとしないのか、不思議です。

posted by みっち | 16:59 | Tolkien | comments(4) | trackbacks(0) |
アランモルト14年

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

2017年最初なので、お正月らしくおめでたい話題をエントリしたかったのですが、なにもない。おみくじは末吉だし、今年はひっそり暮らそうか。というわけで、昨年暮れに買っていたシングルモルトの報告です。

 

アラン蒸留所は1995年操業という新しい蒸留所です。11月の北九州交響楽団第116回定期演奏会でマイミクのふくさんに来ていただいたとき、小倉のバーSTAGでこれも新しいキルホーマン8年を飲んだのですが、まだ若いながらもアイラらしいピーティーかつスモーキーな味わいがしっかりあることに感心しました。STAGのマスターは研究熱心で、スコットランドにも毎年のように行ってオリジナル・ラベルのモルトを出したりしているんですが、アラン蒸留所からも招きを受けていると聞いて、がぜん興味が湧いていたところでした。

 

アラン島はキンタイア半島の東側に位置しており、地理的にはキャンベルタウンとローランドの中間という感じ。島ではかつて50以上の蒸留所が稼働していたものの、1836年までにすべて閉鎖されたそうです。以来160年ぶり、20世紀最後に新設されたウイスキー蒸留所ということで話題になりました。操業開始から20年たち、14年もののヴィンテージもリリースされるようになってきたわけです。

 

14年ものにしては薄い色。バーボン樽でしょうか? 以前はマッカラン人気でシェリー樽を使ったシングルモルトが急増したものですが、アランではそういうことはしていないようです。ピート香はほとんどなく、代わりにハチミツのような爽やかな甘い風味が漂います。飲んでみると、すっきりした飲み口に、わずかな塩味がアクセントになっています。フィニッシュは長く、また飲みたくなるf^^;。

 

島のモルトというと、タリスカーやレダイグといったアクの強いタイプを思い浮かべますが、アランはハイランドパーク的な優等生タイプでしょうか。塩味が効いている点では、地域的に近いオーバンやスプリングバンクなどとも共通しています。これで手持ちのモルトはアラン、オーバン、クライヌリッシュと14年ものがそろいました。いずれ劣らぬ美味いモルトです。

posted by みっち | 20:53 | なんちゃってグルメ | comments(2) | trackbacks(0) |