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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
ハラース/ポーランド国立放送響によるマーラーの交響曲第1番

・マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」(「花の章」付き)


ミヒャエル・ハラース指揮、ポーランド国立放送交響楽団
 

1993年12月11-14日録音
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)

 

ヴィト指揮ワルシャワ・フィルのブラームス『ドイツ・レクイエム』がとてもよかったことは先日エントリしました。それでヴィトのマーラーも聴きたくなりました。アマゾンで物色していると、ナクソスに全集ボックスがあるのに気がついて、15枚セットで6千円ぐらいならバラ買いするよりずっとお得、というわけでポチリました。これで、みっち手持ちのマーラー全集はスヴェトラーノフ盤に次いで2つ目f^^;。
 

見ると、オケはポーランド国立放送響で共通ですが、指揮者は3人。1、7、9番をハラース、10番の補筆完成版をオルソン、残りをヴィトが指揮しています。『大地の歌』は入っていません。この割り振りはどういう意図なのか不明ですが、とりあえず順番に聴いていくことにします。というわけで、まずは1番から。
 

マーラーの1番でみっちがいちばんよく聴いた演奏は、ナヌート指揮リュブリャナ響だったりします。はい、ホルヴァートの「復活」ライヴとセットで売られていたアレですf^^;。「復活」は曲が好きじゃなくて、「巨人」が気に入ってました。録音が良く、演奏も手作りの味がします。ま、この曲に関しては、だれが振ってもそんなに変なのはないだろうと思っています。

 

ハラースはハンガリーの指揮者らしい。ウィキペディアにはファゴット奏者出身だと書いてあります。ハンガリーの指揮者やオケというと、弦がキッチキチのイメージがありますが、ここでもある程度その傾向はあり、ヴァイオリンがよくそろっていてパワーもあります。テンポはあまり動かすタイプではないようで、全体に恰幅の良い演奏。第1楽章のチェロ主題などゆったりしていて、クライマックス付近でもスピードはそれほど上がりません。第2楽章の低弦のリズムなど量感よりもスマートさが勝っており、品が良い。ただ、いいことばかりではなく、第3楽章ではオーボエの旋律が丁寧というよりマジメすぎるし、終わり近くのテンポアップも控えめで、多少はっちゃけちゃった方がいいところでも行かないのがややマイナスというか、平板に感じます。ファゴット奏者出身にしては、木管にそれほど目立つところがないのも惜しい。アマゾンには「荒削りながらも迫力満点のハラース」と書いてあるんですが、このCDに関する限り、見当ハズレでは? しかし、フィナーレでは第2主題など安定感のある弦が美しく、コーダではホルンが「圧倒的響きで」と書かれているところでベルアップか立ち上がったかしていることが明らかにわかるほど吹き鳴らしており、お見事。オケはうまく、2番以降にも期待が持てます。
 

「花の章」は、フィナーレの後に収録されています。第2楽章にしている演奏もあるみたいですが、他の楽章と版の問題が生じるため、別にした方が賢明でしょう。交響曲と同傾向ですが、曲調が穏やかな分、不満のない美しい演奏です。
 

残響が多めの録音で、静かなところではそれが効果的ですが、テュッティで盛り上がるとモワッとなります。第1楽章ラストのティンパニも、ダンとかバンではなくボスッみたいに空気が抜けたような響きに聴こえます。これは昔のナクソスにもあった傾向で、ちょっと人工的すぎる。うーん、全曲こんな録音だとすると困るなあ。

posted by みっち | 16:14 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
北九響第117回定期演奏会

・シャブリエ:狂詩曲『スペイン』

・ファリャ:バレエ音楽『三角帽子』第1・第2組曲

・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」

 

中井章徳指揮、北九州交響楽団

2017年5月21日(日)、北九州芸術劇場大ホール

 

定演終わりました。みっち@全身疲労。このころになって花粉症の症状がぶり返しており、なにに反応しているんだろ? とりあえずクラリチンを飲みましたが、リハーサルで弾いている最中にくしゃみが出てやばかった。いつもは開演前にジュースより安いドリンクでドーピングするところ、クラリチン効果で本番眠くなるといけないと思い、今回は休憩時間にもさらにもう1本闘魂注入。ヘヴィーなプログラムで、これぐらいが正解でした。

 

シャブリエは、手前味噌ながら輝かしい音色と洒落た感じが出ていたんじゃないでしょうか。みっちはステージのほぼ中央で弾いていたこともあり、包まれ感最高で幸せでした。

 

ファリャは、終わってみればあっという間。途中いろんなことがあったみたいですが、細かいことはよく覚えていません。実は、本番一週間前にプルトの裏から表に変更となり、ディヴィジが多かったこともあってまったく余裕がなかった。第1組曲の3曲目などのかっこいいリズムセクションでは低い音だったのが高くなり、なんか決まってない感がありました。しかし、終曲のホタではラスト近くでオケが白熱し、これまで見たことのない世界が開けました。騎虎の勢いで突っ走り、終わった後のホールが静かだった(爆)。聴衆のみなさん、あまりのことに身動きできなかったか、それとも初めて聴いた曲でこれで終わりと思わなかっただけ? その両方かも。

 

エロイカは、直前で第1楽章の提示部を繰り返さないという変更がありました。プログラム全体でちょっと長すぎるという判断だったようです。チェロパートとしては、主題を担当していることもあって、繰り返したい気持ちもありました。ベーレンライター版ということで、新鮮に聴かれた方もいらっしゃったようです。とくに第2楽章は出来が良かったと思います。前日の練習で、葬送のテーマはバッハの『音楽の捧げもの』のヴァリエーションだという中井先生の指摘があり、うわあ、プログラム解説印刷しちゃったよもう、という感じf^^;。中井先生とはこれで三度目? 今回、食事会などで直接お話させていただく機会にも恵まれ、ほかでもさまざま示唆的なお話があって非常に有意義でした。個人的にも今回弾いて、第2楽章がやっと理解できたような気がします。スケルツォのホルン隊、お見事。素敵でした。フィナーレは、これまでの練習の総決算というわけで、変ホ長調の音階を弾きまくりました。同じ形が全然なく、「使い回し」できなくて大変だった。アンコールはファリャ「火祭の踊り」。アンケートでは、この曲の評判が良かった。

 

次回、第118回定期演奏会は、10月22日、北九州芸術劇場にて。曲目はヴェルディの歌劇『運命の力』序曲、R・シュトラウス『4つの最後の歌』、リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェエラザード』。ソプラノ独唱は大西ゆかさん、指揮は新田ユリ先生です。乞うご期待。

posted by みっち | 19:50 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴィト/ワルシャワ・フィルほかによるブラームスのドイツ・レクイエム

・ブラームス:ドイツ・レクイエム 作品45

 

クリスティアーネ・リボー(ソプラノ独唱)、トーマス・バウアー(バリトン独唱)

ワルシャワ・フィルハーモニック合唱団

アントニ・ヴィト指揮、ワルシャワ・フィルハーモニック管弦楽団

 

(NAXOS 8.573061 2012年8月27-29日、ワルシャワ・フィルハーモニックホールでの録音)

 

先日、ウルバンスキ指揮NDRエルプ・フィルの演奏会に行って感心したことをエントリしました。このとき、ウルバンスキ←ヴィト←スクロヴァチェフスキというポーランド人指揮者の系譜があることを知り、ヴィトの指揮にも興味を持ちました。ヴィトは、ナクソス・レーベルに合唱曲やマーラーの交響曲などの録音があるようです。ナクソスは、正直これまでほかのレーベルでは入手できないような場合でないと手を出さなかったレーベルで、ナクソスかよー、って感じでどうしようかしばし迷ったくらいですが、今回大いに認識を改めました。食わず嫌いはよくないねf^^;。

 

ドイツ・レクイエムを選んだ理由は、ヴィトが比較的大規模な合唱曲を得意としているようであることと、この曲のCDは激安レクイエム・ボックスに入っている1枚しか手持ちがなく、もう1枚くらい正規盤で持っていてもいいだろう、ということで。これが素晴らしかった。木管を精妙に聴かせるオケのバランス取りの点で、スクロヴァチェフスキを思わせるところもあるのですが、音色的には穏健でギスギスしません。全体に端正な造形ながら、第2曲や第6曲など緊迫した場面での威力も十分。テンポは曲が曲だけにこれだけでは判断がつきにくいですが、みっちがひいきにしているハンス・フォンクと似たタイプではないかと感じます。つまり、これみよがしな派手なことはやらないが、音楽の深いところからの共感が表出されて、とても説得力がある。

 

合唱は、ノン・ヴィブラート。このためソプラノが若干フラット気味に聞こえる箇所がありますが、ヘタというわけではありません。温かい声質でオケとのブレンドがとてもいい。一方、独唱はヴィブラートも含めて情熱的な表情を見せており、かといって浮いた感じはなく、むしろ単調にならない役割を果たしています。とくにバリトンは美声で魅力的。

 

全体に内省的で、シューマンの合唱曲の影響を受けながらも、若きブラームスの熱い思いがそこかしこに立ち上る、そういったこの曲の魅力を十全に引き出した演奏です。昔のナクソスの録音は人工的という印象がありましたが、この録音は違和感がなく、演奏の魅力をよく伝えています。心なしか、ジャケットデザインも高級感が漂ってきたような……。みっちの奥方がこのCDを気に入っており、このごろ時間があるとリビングのサブ・システムでかけています。癒やされるそうで。

 

こうなると、マーラーの交響曲も聴いてみたくなりますね。ちなみに、ウルバンスキのCDも同時に買ったのですが、こっちは20世紀ポーランドの作曲家ルトスワフスキの知らない作品で、エントリしてまでものがいえない状況。演奏と録音はいいと思うけど、曲がわからない(爆)。

posted by みっち | 17:37 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
最近読んだベートーヴェン本

この間、「英雄」交響曲のプログラム解説を書くために読んだ本を紹介します。ほかにもっと読むべき本はあったのですが、今回は入手が間に合いませんでした。


◯『図説ベートーヴェン―愛と創造の生涯』
青木やよひ著、河出書房新社

 

ベートーヴェンの「不滅の恋人」について、アントニア・ブレンターノ説を採る著者の一冊。この人の本は随分昔に文庫でも読んだことがありました。「不滅の恋人」候補でもう一人有力なのがヨゼフィーネ・ブルンスヴィックで、どちらかといえばヨゼフィーネ説の方が優勢という印象がありますが、結論には至っていないようです。

 

現代に書かれた解説本としてはやや情緒的というか、感情移入しすぎな傾向を感じるところがありますが、それこそがこの著者の執筆理由なのでしょう。あくまで伝記主体で音楽の分析や解釈などには入り込むことはないので、読み物としては楽しめます。図説だけあって、写真や画像が豊富なのもいい。ちなみに「不滅の恋人」宛に書かれた手紙とともにベートーヴェンの遺品から出てきた肖像画は、確かにアントニアに似ています。ただし、エロイカについて書く参考には全然なりませんでしたf^^;。

 

 

◯『ベートーヴェンの日記』
メイナード・ソロモン編、青木やよひ・久松重光訳、岩波書店

 

1812年から1818年までの間にベートーヴェンが書き残していた記録をまとめたもので、日記というより備忘録的なものがほとんど。まとまった文章ではありません。しかし、ちょうどこのころは、ベートーヴェンにとって作品がほとんど残されていないスランプと見られる時期に当たっており、上記の「不滅の恋人」との破局も含め、こうしたメモを残す理由が彼にはあったようです。


ホメーロスやインド哲学、カントなどからの引用からは、ベートーヴェンに幅広い見識があったことと同時に、当時これらの言葉を胸に刻んで自らを励ましていたことがうかがわれます。にしても、使用人に対する不信感はなんなのかとも思うけど(爆)。伝聞でなくベートーヴェン自身が書き残したものという点でもちろん、この時期を経て後期の高みに達したことからしても、たいへん貴重なドキュメントといえます。ただし、これもエロイカの参考にはならずf^^;。

 

 

◯『鳴り響く思想 現代のベートーヴェン像』
大宮眞琴、谷村晃、前田昭雄監修、東京書籍


序論によれば、現在のベートーヴェン研究は細分化されすぎて、まとまった記述が困難になっているらしい。それを逆手に取ってということか、序論を含めて19人の担当者がそれぞれの視点・角度からベートーヴェンについて語るというコンセプトで、手法だけでなく結果としてもなかなか興味深いものになっています。


第5章「ベートーヴェンの経済生活」でなんか見覚えがあるというか、正直嫌いなタッチの文章で、担当者を見たら、以前シューマン本でお目にかかった井上和雄じゃありませんか。ここでは専門らしい経済学的な観点からベートーヴェンの生活ぶりについて語っていて、その限りでは面白かった。お金に関わることなら事実に即して書くこともできるんだ。とはいえ、せっかくの文章の前後に天才論とか芸術至上主義論とかをくっつけてぶち上げるのは勘弁してもらいたい。いいこと書いたつもりかもしれないけど、読まされた方はたまりません。

 

同じようなことが第10章の前田昭雄にいえます。例によってというか、知人に宛てた手紙のようなスタイルで、ここでは「児島さん」に向けて、これまた例によって有名出版社の博士が自分のところに相談に来たなどというエピソードを必ず盛り込んでくれています。こういうことを書かないではいられないらしいですが、「リア充」自慢してるヒマがあったら、日本語のシューマン本ちゃんと出してよね。


この中では第9章「《エロイカ》から《運命》へ」(大宮眞琴)が楽曲解説の参考になりました。このほか、いわゆるピリオド楽器による演奏比較や現在のベートーヴェン演奏についての批判など、うなずけるものが多かった。

 

 

◯『ベートーヴェンとその時代』
カール・ダールハウス著、杉橋陽一訳、西村書店


「大作曲家とその時代」というシリーズの1冊。約400ページの厚い本で、読み通すのに苦労します。訳者あとがきで大まかな要約がたどれるため、まずはそちらから読んだほうがいいかも。


一言でいって、回りくどい。過去から執筆時点にわたるさまざまな学説・解釈から引いてきており、博識なことはわかりますが、ああでもないこうでもないが多すぎて、結局なんなの? というところがどうもよくわかりません。実際、文体としても限定付きの否定や二重否定が多く、訳者あとがきではこのような否定形はほとんど見当たらないため、翻訳の問題というよりダールハウスのスタイルなんでしょう。あと、トポス、レプリーゼ、シンタクスなどなど、なじみのないカタカナ用語が頻出します。一部譜例が付いていて判明したのですが、レプリーゼとは再現部もしくは主題の反復のことらしい。これらはなんの前置きも注釈もなく使われます。官庁のカタカナ語の羅列も激しいけど、こっちも負けていない(爆)。


逆説的な解釈が多く見られますが、だからどうした的な印象から脱しない。例えば、「告別」ソナタについて、ダールハウスはこの曲の楽章経過は伝説的含意に入り込むのでなく、逆にそこから遠ざかっているとし、その論証の前提としては、出発点が結果を明らかにするのでなく結果が出発点を明らかにするということだ、などと述べています。これでも文章の順序などをいじってかなり読みやすくしたつもり。しかし、そもそもこのソナタは標題音楽というわけではないので、経過が標題的でないといったところでなにをいまさらだし、どっちがどっちをというより、音楽は出発点と結果の双方がお互いを照らし合うものではないでしょうか?


終始こんな調子で、最初はがんばって読んでいてもうんざりしてきて、あまり良く知らない曲や聞いたことのない評論家の話などは読み飛ばすようになり、ときに重要な示唆が含まれていたとしても、見逃してしまっていそう。例えば「英雄」第1楽章のチェロ主題は、分散三和音と半音階法という配置が「テーマ的なもの」なのだそうです。ダールハウスにとってはテーマとテーマ的なものは違うらしく、「テーマ法」とか「テーマ的布置」などの問題についていろいろ語っていますが、この辺は音楽学を専門にやっていないと理解不能かもしれません。テーマ的なものも含めてテーマなんじゃないの?などという大ざっぱな解釈は許されないみたい。晩年のダールハウスが孤立していたというのは、こうした言葉の迷宮に入り込むような面倒臭さに原因があるのではなどと、余計なところに気を回してしまいました。


ベートーヴェンとその作品についてというより、ベートーヴェンを語る方法論についての方法論になってませんかね、これ。少なくとも、『ベートーヴェンとその時代』というタイトルには偽りあり。このことを自覚しているらしい著者は「前書き」で言い訳していますが、このそもそもからして遠回し。

posted by みっち | 12:40 | 読書 | comments(4) | trackbacks(0) |
三國志13pk(その9):シナリオ「益州平定」で馬謖プレイ

全シナリオ制覇をめざして引き続きプレイ中です。このシナリオは劉備が成都に入った段階で、関羽は荊州に健在。漢中にはまだ張魯もいます。主人公に選んだのは、諸葛孔明に泣いて斬られた馬謖。蜀の第一次北伐失敗の原因とされた彼に、雪辱の機会はあるのか、ということで。

 

シナリオ開始時点で馬謖は成都の一般武将で25歳。ステータスは統率61、武力67、知力87、政治68。知力に加えて「弁舌」と「説破」レベルが高く、舌戦は得意ですが、他はそこそこでしかなく、口先だけは立派というイメージどおり。戦法の「偽報撹乱」は、采配戦闘でなかなか有用です。

 

前のシナリオ「潼関の戦い」でもそうだったのですが、孫権は必ず劉備領の江夏を攻めてきます。この戦いは呉が有利な上、そのままにすれば双方が疲弊したところへ魏がなだれ込んできて収拾不能となります。したがって、まずは呉との同盟が急務。一般武将でも昇格時にもらえる特権委任状を使えば外交ができるため、七品官から昇格次第に使い、単身建業に乗り込みました。いきなり見せ場キターf^^;。口利きしてくれるような親しい武将はいないため、折衝を重ねます。建業に着くまでに30日以上、1回の折衝に20日間かかり、その間にも江夏をめぐって呉と蜀の衝突が始まっており、気が気ではありません。最初の舌戦相手は陸遜。強敵ですが、馬謖は「無視」カードを2枚持っているため、一発目にダメージを与えられれば勝てます。つづいて諸葛瑾、張昭と3人に論破成功。これで準備万端整った。ところが、この間に孫権が自ら江夏に出陣してしまい、君主不在で外交ができない! 江夏の戦いを見ると、呉が圧倒中。時すでに遅しか? しかしよく見ると、出陣部隊とも外交ができると書いてある。急いで移動し、孫権の部隊と直接接触しました。陥落寸前の江夏で同盟成立。なんとか食い止めたぞ。

 

この功績で馬謖は五品官となり、越儁太守に任命されました。空白地の建寧に進出すると、北方の前線・梓潼太守に転任。同盟期間中は各勢力に大きな動きはなく、空白地を取ったくらい。馬謖は閻圃、龐徳、呉懿らと交流して同志に加えました。威名は最初「弁士」でしたが、アイテム購入で出費がかさむため、官吏系の「官僚」となって収入アップを図ります。3年の同盟期間が終わると、再び江夏をめぐってきな臭くなってきます。ダメダメ! というわけで、もう一度特権を使って建業へ。今度は丁奉と張昭の二人を論破するだけで同盟に成功。この功績で三品官に昇格し、諸葛亮や劉備とも絆を結ぶことができました。

 

そろそろ最終的な威名をなににするか考えないと。候補としては、官吏系では特権を使いまくれるという「執政」、外交特化型の「高論卓説」あたりが有力。軍師系では流言が使える「怜悧狡猾」、敵兵収奪戦術の「巨魁」あたり。特に舌先三寸を活かせそうな「高論卓説」と「怜悧狡猾」がよさそうですが、「怜悧狡猾」は戦闘勝利回数と調略実績が条件です。これは厳しいか。などと考えていると、再同盟から2年が経過したころに、劉備がついに動き出しました。自ら軍を率いて漢中を発進、曹操領の武都をめざします。梓潼にも出陣要請があり、これはもう行くしかありません。龐徳、呉懿とともに出撃します。東方では呉も出兵して戦端が開かれており、蜀の荊州軍が協力しているようです。曹操は両方に兵を割かなければなりません。よいぞ、よいぞ。采配戦闘で魏軍を撃破し、武都を制圧、この戦いで司馬懿と張郃を捕虜にしました。結果的にはこの二人を配下にすることにも成功。街亭のリベンジだ!

 

馬謖は二品官となり、江州以北の都督に任命されました。益州の南半分が劉備の直轄で、荊州都督に関羽という三頭体制です。勝った勢いで天水、安定も落とし、馬謖本軍は北回り、黄忠と厳顔の別働隊には南回りで五丈原にいた敵部隊を掃討させ、長安攻城戦で合流しました。ここで曹操軍の援軍を徹底的に叩き、長安を陥落させました。長期遠征を可能にしたのが、威名「高論卓説」で使える「極医療陣戦術」で、傷兵をがんがん治療できます。

 

このころ曹操が没して曹丕が後を継ぎ、禅譲を受けて「魏」皇帝となりました。偽帝許すまじ。江州の張飛に第2軍を率いさせて、漢中から上庸を襲わせます。長安で消耗していた魏軍は抵抗できず。これで漢中が安全になりました。長安からは馬謖本軍が弘農、洛陽と制圧。支配都市が増えてきましたが、配置する武将が足りない。任地変更で成都を劉備に返し、交州も関羽に任せて、武将を新しい都市に集めます。ここからは北の馬謖本軍と南の張飛軍で並行して進撃し、敵の弱いところを叩く戦術でいきます。捕虜の登用も少しずつですができてきて、幽州に残っていた魏の残党も掃除し、あとは前に出るだけ。孫権との同盟が切れましたが、呉への対応は劉備と関羽に任せることにして都市もさらに譲り、こちらは魏攻略に集中します。都市が密集する中原と河北をある程度制圧できれば、もう負けることはなくなっています。魏を滅ぼすと、呉との決戦ですが、もはやこちらが圧倒的に優勢。孔明様、幼常めはやりましたぞ!

 

 

(以下、感想など)

今後アップデートがあるなら、ぜひ取り入れてもらいたい点を挙げます。

 

1. 采配戦闘で攻城戦に勝利し、都市を陥落させたのに部隊が入城できておらず、なぜか湧いている敵部隊とまた戦わなくてはならない仕様は改善してもらいたい。勝ったはずなのに兵糧切れとは辛すぎる。

 

2. いったん出陣すると、敵も反応してお互い部隊が集結し、睨み合ったまま膠着状況ということがよくあります。外交などほかにやりたいことがあっても、部隊を解散させないとできず、解散すると敵に攻められるというジレンマに陥ります。出陣中でも現地で6ヶ月程度の停戦交渉ができるようになるといいと思います。人質交換なんかもいい。いわゆる和議ですね。

 

3. 威名のグループ分けですが、人脈形成主体の「国士」や「巨魁」がなぜか軍師系、外交主体の「高論卓説」や「妖言惑衆」がなぜか官吏系で、これは能力的にもイメージ的にも逆です。入れ替えるべき。というか、そもそも間違ってるんじゃ?

 

4. 特権委任状の謎。メニューは開けるのに、外交を選ぼうとしてもコマンドがグレー表示で「委任状がありません」と出るのはどうして? 出陣は選べるので委任状自体は有効のはずですが。アクティブなときとそうでないときの違い、条件がわかりません。

 

posted by みっち | 21:41 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
クルマは自動運転でいいの?

“高齢者こそギリギリまで運転を 「マツダ流」の真意”というNIKKEI STYLEのトピックを読んで、このごろの自動運転化の流れに感じていた引っかかりの原因がわかったような気がしました。最近のクルマはスマート化あるいは家電製品化の方向性が著しいように思いますが、一方でメカとして運転者がいかに操るかを追求する思想もあって、この立場に立つマツダが打ち出しているのが、運転を任せるのでなく、いざというときに救ってくれる「コ・パイロット(副操縦士)」というコンセプトだそうです。

 

トピックに紹介されていますが、アクセルペダルとブレーキペダルを踏み間違えるというのは、実は高齢者に限った話ではないようです。以前のエントリでも高齢者の事故に関する政府広報にツッコミしたことがありますが、マスメディアを含め、高齢者は危ない→免許返上させろ、という一面的な誘導が背景にあるように感じます。ペダルの踏み間違えは、本来高齢化の問題というよりもクラッチのないオートマ車特有のリスクでしょう。あまり指摘する人がいないのは、これを言ったところで、いまさらオートマやめてマニュアル車に戻れ、という話にもならなそうだから。人間、楽することを覚えると、なかなか元には戻れません。だからといって、手も足も目も離して「やっちゃえ」無責任でいいのか、という違和感がありました。

 

危ないから取り除く、止めさせるという対応は、運転以外でも例えばバリアフリーなんかもそう。これが高齢者のために本当にいいのか悪いのか、両面ありそうです。日ごろの生活で適度なバリアがあった方がむしろ元気に暮らせるという考え方もあります。実際、クルマの運転操作もボケ防止にはいいんじゃないでしょうか。もちろん、バリアフリーの場合は高齢者対策というよりも公共施設などでの障害者利用の促進といった側面もあるので、すべて否定したいわけではありません。クルマの運転も、公共利用とパーソナルユースでは考え方が異なって当然なのではないでしょうか。

 

だれしもいずれが年を取るわけで、そうなったときに安全に運転を楽しめる未来がやってきた方がいいと思うし、期待したい。マツダCX-3に乗っていて、この間ニ度ほど追突のピンチを自動ブレーキに救われており、実感としてもありがたい。というか、頼むから免許取り上げないで(爆)。

 

 

posted by みっち | 13:04 | 乗り物 | comments(0) | trackbacks(0) |
ベートーヴェンは難しい

いよいよ今月が演奏会本番となり、追い込みに入っているというより、追い込まれています。前プロのシャブリエとファリャは、週一のオケ練習で間に合わすことにして、家では毎日「エロイカ」を練習するつもり。当面この連休で集中してやり、その結果しだいでは、その後の練習時間も増やさないといけなさそうです。


「エロイカ」では、両端楽章がとくに大変。第1楽章は規模雄大ですが、振幅、転調、sfやアクセントなどをきちんとたどらないと面白くないものになります。これがなかなかできない。有名な第1主題はチェロの弱音で出ますが、最初のEsがもう違うという。もうニ長調にしませんか、みたいな(爆)。フィナーレがまた激しい。ほとんど変ホ長調の音階練習ですがムズく、同じパターンがないので使いまわせない(ーー;)。スケルツォもきついですが、チェロの重要性はそれほどでもなく、テンポとリズムさえ壊さなければ、というところ。葬送行進曲はゆっくりなので、チェロうるさいといわれるくらい目一杯弾くつもりf^^;。
 

前から思っていたけど、ベートーヴェンは難しい。これまでみっちが弾いたのは6番、4番、今回の3番ですが、どれも大変です。ブラームスはヘヴィーだけど、浸れるところが多いのに対して、ベトベンはそういうところがほとんどない。なにが違うんだろう? ひとつはオケの編成かな。時代が下がると響きが厚くなり、パートがマスの中に埋もれてしまって、チェロの一人くらいでたらめをやってもわからないf^^;。静かなところはそうもいかないので、音出さない(爆)。ウソウソ、決してみっちは逃げませんよ。断固間違えても弾きます(ダメじゃん)。もうひとつは、やっぱり音楽の性格でしょう。先日の指揮者練習でも中井先生が「ベートーヴェンは断言調で、こうであるべき、こうでなければならないという音楽。あいまいなのは許されない」と言われていたとおりで、各パートがかくあるべき音で、決してムードに流されない。クラシックでおそらくいちばん身近で接する機会の多い音楽なのに、実はとても奥が深く、謎も多い存在ではないかと思うこのごろです。

posted by みっち | 10:57 | cello | comments(0) | trackbacks(0) |