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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
ヴィト/ポーランド国立放送響によるマーラーの交響曲第6番

・マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」


アントニ・ヴィト指揮、ポーランド国立放送交響楽団
 

1992年12月15-19日録音
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)

 

ナクソスのマーラー交響曲全集から第6番を聴きました。ボックスの8枚目に第1楽章と第2楽章(スケルツォ)、9枚目に第3楽章(アンダンテ)と第4楽章が収録されています。演奏時間はトータルで約82分。


これはヴィトのマーラーの中でも出色の1枚(厳密には2枚f^^;)と感じました。オケの力感に富みながらも華やかな色彩と、精妙な楽器バランスによる独自の響きを打ち出して、非常に説得力のある演奏。みっちの中では5番はプレートルなんですが、6番はヴィトかも。
 

第1楽章は、適度かつしなやかなテンポ。オケは力んだところがなく、どこか余裕を感じさせますが、カロリーは十分に高い。モットー出現箇所は、「強→弱」をそれほど強調せず、「長→短」の響きの変化を重視しているようです。経過部の木管コラールの後半に、ホルンのオブリガートを聴かせるのがヴィトらしい工夫で、ここに限らず、ホルンを活躍させているのが好ましい。第2主題では、ヴァイオリンが勢い良くちょっと跳ね返りっぽいアルマ?の横顔を魅力的に表出します。展開部のカウベルは、ガランガランというよりもチャリンチャリン系、ってわかるかな?
 

中間楽章はスケルツォ―アンダンテの順。アンダンテが先になっている演奏を、みっちはまだ体験したことがありません。ただ、第2楽章がスケルツォの場合、第1楽章から曲調に大きな変化がないため、やや退屈しがちなところがあると思います。しかし、ヴィトにかかると楽器法による音色変化を最大限活かして、立体的に面白く聴かせます。これは秀逸かと。
 

アンダンテはかなり遅く、出だしは第5番のアダージェットのような雰囲気です。あのアダージェットもアダージッシモぐらいだったからなf^^;。旋律を木管が引き継いだときに、ファゴットの対旋律を浮き立たせるあたりがヴィトの技。ホルンもよく歌っています。楽章の終わりごろに、堰を切ったように感情が乱れますが、ここをヴィトはじっくり描きます。おかげで、この楽章は三部形式というよりもABA+A'のような、ちょっとベートーヴェンの「英雄」の葬送行進曲を思わせるような構成感となります。こうやって聴くと、この楽章が3番目にある理由がしっくり納得できる気がします。
 

第4楽章には31分強かかっています。この楽章は何かに取り憑かれたように突進したり、がっくり落ち込んだり大きな振幅があるため、速い遅いで激しく荒れ狂うタイプの演奏も面白いのですが、ヴィトはそういうことはしません。やや遅めのテンポで一貫しており、局面局面を克明に描きます。解釈としては、ギーレンに近いかな。ただ、ギーレンの場合はこの楽章、やや意図的なものが感じられます。凱歌を上げようとする3回のクライマックスのうち、最初が最大で、次第にインパクトが弱くなるという設計が見て取れます。もしかすると、アルマの回想にある、R・シュトラウスが語ったという「初めがいちばん強く、終わりがいちばん弱い。逆にした方が効果的なのに、なぜでしょうな」という言葉を意識したのかも。とはいえ、シュトラウス自身はこの発言を否定しているようですが。それはともかく、ヴィトは各頂点に差は感じられず、それぞれしっかり築き上げます。情念的でも意図的でもなく、スケール豊かで、音楽的にきわめて密度が高い。
 

序奏は、低音管によるコラールの深々とした響きが素晴らしい。モットーは、例によってティンパニがドッスン系のちょっとくぐもった響きで、まさにドスが効いている(爆)。主部に入り、第1主題は各声部の絡み合いが見事です。以降もいちいち挙げませんが、どの楽器が何をやっているかダンゴにならずよく見える。オケの力量も素晴らしい。展開部の第1と第2の頂点では、ハンマーのドガッという打撃音が明確。再現部から第3の頂点までも含めて、実に面白い。こう書くと、そんな運命の場面を面白がっていいのかみたいな感じもありますが、修羅場だからこそ面白い。コーダでも一般的には断末魔のうめき声なんでしょうけど、そういうイメージとは離れたところで管が音楽的に充実した演奏を聴かせます。
 

録音は1992年で、このシリーズとしては中盤。残響は多めですが、各声部は明快で余分な響きや色付けは感じません。スケールの大きさと密度、解像度の両立したいい録音だと思います。

posted by みっち | 20:34 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
玄関リフォーム

わが家の玄関ドア、窓、門扉の3箇所をリフォームしました。

 

画像左のものがリフォーム前の玄関内側。午前9時くらいで照明を点けないで撮っています。玄関ドアは外側の表面にサビが出て見苦しく、採光窓はあるけどちょっと暗い。左側の窓は北向きで、隣家のコンクリート擁壁に面しているため景観も✕。砂ぼこりも飛んでくるため、常に締め切っています。このため、玄関の靴箱などはカビやすい状況。そこで、玄関ドアに通風機能を持たせ、窓ははめ殺しの装飾窓にしようと考えました。ついでに、玄関照明をドアに合わせて新しくLEDに取り替え、さらに門扉を照明灯付きの鋳鉄タイプにするという計画です。

 

玄関ドアは、採風・採光という条件で選びました。できれば明かり窓を大きく採りたいところですが、デザインと採風・防犯との兼ね合いで決定。色はマホガニー調です。前のドアは黒に近いグレーブラウンで、見た目にも暗かった。最近の木目調はよくできています。結果的に、断熱性能が付いたタイプになりましたが、その効果のほどは冬にならないとわからないかもf^^;。

 

装飾窓は、決まるまでいちばん時間がかかりました。「ニューステンド」という、ステンドグラスっぽい絵柄の入った1枚ものがあり、カタログでは本来もっと大きなサイズから一部を切り取る形で取り込みました。どの絵柄のどの部分を活かすかを、工務店を通じてメーカーとやりとりしたのですが、こちらもなにがどのように加工できるか知らないわけで、意図が先方になかなか伝わらず、送られてきた下絵を見て「違うだろーっ!」(爆)。そんなことはいってませんが、最終デザインになるまで4往復くらいしました。しかも、実物を見ないままイメージだけで選んでいるため、実際に取り付けられるまでまったく自信なしでした。

 

アフターが右の画像。ビフォー画面とほぼ同じ時間帯です。なにが変わったん?とかいわないよーに。採風は、ドアの中ほどが網戸式のスリットになっていて、ロック可能なガラス戸で開閉できる仕組み。これはいい。スリット自体の面積は以前とそれほど変わっていませんが、透過性が違うようで、足元などがはっきり明るくなりました。ニューステンドはほぼイメージどおり。絵柄の花の部分はもっと赤いかと思っていましたが、落ち着いた配色です。あえていえば、背景のいちばん色の薄い箇所をすりガラス風に透明度を高めてくれたらよりきれいかも。外光を受けての輝き具合は予想以上でした。

 

玄関照明や門扉もカタログを見て選んだだけなので、実物で雰囲気がちぐはぐにならないか心配していましたが、結果は良好です。門扉に付いた照明灯のおかげで、外の階段からアプローチまでの動線が夜暗かったのが見えるようになりました。奥方も気に入ってくれたようで、やれやれ。

posted by みっち | 23:37 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
新型カムリ試乗

トヨタカローラ店で先日フルモデルチェンジしたカムリに試乗させてもらいました。グレード3種類のうち中間のG、塗装はグラファイトメタリックで、みっちのCX-3チタニウムフラッシュマイカと同系色。でも比べるとカムリの方がキラキラ光っていて値が張ってそう。


写真では見ていたので予想は付いていましたが、かっこいいプロポーションです。サイズはマツダ・アテンザとほぼ同じで、スタイリッシュさもほぼ同等。担当の方の話では、いまセダンはマツダにかなり食われているそうで、アテンザを相当意識しているらしいことは、塗装を赤にするとよくわかる。フロントマスクは最近のトヨタらしいヒゲクジラ風ですが、見慣れてきたせいもあってか、まあまあに思えます。
 

乗り込む際には、モデルチェンジで車高が低くなっているわりにはそれほどかがまなくても大丈夫でした。CX-3と並べてみてもちょっとだけ低いくらい。フロントドアが重く、高級感があります。フロントウィンドウの視界は広く、快適。横幅が184cmと広くなっていますが、運転席からはそれほどのワイドさは感じられず、取り回しや見切りはよさそう。シートの調整は、座面の前後、高さ、傾斜、背もたれなどがすべて電動で細かくセットできます。慣れないと、思わず触ってしまって違うところが動きますf^^;。足元ではアクセルがオルガンペダルになっているのもマツダを意識している現れでしょう。
 

内装は、インパネはいろいろ触ってないので操作性まではわかりませんが、デザインは悪くない。センターコンソールも容量が大きいなあ。助手席前とセンターコンソール前のカップホルダーにタイガーアイ調の装飾板を張っているのが特徴で、これ自体はなかなかかっこいいのですが、2箇所だけなのはなぜ? ドア周りはむしろ簡素で、車種・グレードの割にはプラスチッキーでした。
 

エンジンは2500ccのハイブリッド。現状これしか選べません。ハイブリッドなのでスイッチを入れてもエンジンはかからず無音。でも、これまで乗ったプリウスやアクアと違うのは、踏めば応える素直なレスポンスで、エコ性能優先ではない、排気量なりの余裕を感じさせること。ハイブリッドなのにブレーキングでカックンすることがないのは驚きました。足回りは、ギャップはよく拾いますが、収束が早く安定感に優れています。ワイドに踏ん張った感じがありますが、コーナリングはいかにもトヨタらしい鷹揚なもので、マツダのようなトレース感はありません。サイドブレーキが省略されている(パーキング位置で自動的にかかる)のは、最近のレクサスなど高級車からの流れらしい。とても暑い日でしたが、エアコンの効きは非常によく、充電のため送風になったりすることもありませんでした。一般道で不足を感じることはないでしょう。高速は走っていないのでわかりませんが。
 

助手席に座ると室内の広さが実感できます。後部座席も余裕ですが、頭上はそれほどありません。トランクルームは広いだけでなく奥行きがあり、もしかしたらチェロケースが2台分縦に入るのでは?と思えるくらい。それはちょっと大げさかf^^;。正直、みっちの生活環境からするとサイズが大きすぎるし、なんやかやで400万円は高すぎる。とはいえ、もしこれが2年前に出ていたら、どうしようか悩んだかもしれないと思うくらいの魅力はあります。噂では、来年あたりカローラがフルモデルチェンジし、大きくなるらしく、そうなるとまた射程内に入ってくるかも。

posted by みっち | 23:27 | 乗り物 | comments(0) | trackbacks(0) |
銀魂 実写版

マンガやアニメの実写版はコケるというのが通例だと思いますが、そのわりにはやたらに実写化されている気がする。しかし、『勇者ヨシヒコ』シリーズの福田雄一が監督ということで、銀魂は楽しみにしていました。見事期待に応える出来です。あっぱれ!! 以下、ネタバレあり。

 

まずは、よくぞ集めたといえる豪華キャスティングに拍手。実写版て、出演者のだれか必ず「コイツは違う」というのがいるもので、それはいろんなオトナの事情があってのことだったりするんですが、ここでは全員が違和感なくハマっています。小栗旬は、あの『ルパン3世』もあっただけに不安がよぎりましたが、しっかり銀さんでした。菅田将暉の新八にはとくにびっくりさせられました。テレビなどで見せるオーラがみじんもなく、メガネ以外のなにものでもない感じに(爆)。橋本環奈の神楽も楽しめました。鼻ホジや◯ロ吐きなど、並のアイドルではなかなかできるものではありません。

 

ストーリーは劇場版アニメにもなった「紅桜篇」がメインですが、「カブト狩り」のエピソードを冒頭に加えることで、真選組の面々を絡ませることに成功しています。近藤(中村勘九郎)、土方(柳楽優弥)、沖田(吉沢悠)の3人が素晴らしい! とくに近藤はいきなりフンドシ一丁のキラキラ蜂蜜モードで登場し、全裸にモザイクといういつもの姿(?)まで文字通り全開で突っ走ります。よくやった(爆)。桂(岡田将生)とエリザベスのコンビも実写版だと異様さが際立って、並んで歩くだけで「絵」になる。今回ズラはボケませんが、このころはまだそれほどでもなかったんですよね。

 

原作の笑わせどころをかなり忠実に追っていますが、それだけでなく、実写版オリジナルのギャグシーンはさらにインパクトがあります。長澤まさみのお妙は、銀さんの枕元でドラゴンボールを朗読してテヘペロ(爆)。源外との絡みではシ◯アと専用ザ◯、ナ◯◯◯と◯◯ヴェまでが現れて、いいのか、大丈夫なのか、これ。しかし「絶妙」なチープさで許されるんだろうな、きっと。反面、宇宙海賊「春雨」の部分は大幅にカット。後半のスペクタクルはアニメほどには盛り上がりません。もしかすると、ギャラに予算の大部分を取られて演出や特殊効果まで回らなかった可能性もありますが、ハリボテ風の小道具はヨシヒコでもおなじみなので、半ばは意図的でしょう。

 

どうでもいいようなところですが、ツッコミしたくなったのは、高杉(堂本剛)が倒れたシーンで、右足が内股でオネエっぽくなってしまったところ。膝を立てると奥まで見えるから? それならアングル変えたほうがよかったんじゃ? ここ、けっこう引っ張った挙句、銀さんも隣に倒れてきて、こっちは男らしいのでよけいに目についてしまいました。あと、CG定春の頭部と身体のバランスがおかしい。身体を大きくするといろいろ支障が出るのはわかりますが、もふもふ感はかなり減少。武市(佐藤二朗)の「フェミニスト」のフェにアクセントがあったのは、アニメ観ていない証拠でしょうね。別にいいですけどf^^;。武市のアドリブにまた子(菜々緒)が吹いているシーンがあります。このまた子がまた、ホントにまた子(あれ?なんかヘン)。

 

とても面白かったのですが、後ろの席にひとりでしゃべっている客がいて、後に行くほどひどくなり、エンドロールを読んだりし始めて、一緒に観ていたうちにエントっ子はブチ切れていました。客のマナーだけが残念。

posted by みっち | 21:48 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴィト/ポーランド国立放送響によるマーラーの交響曲第5番

・マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調


アントニ・ヴィト指揮、ポーランド国立放送交響楽団
 

1990年8月16-18日録音
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)

 

ナクソスのマーラー交響曲全集から第5番を聴きました。ボックスの7枚目に収録されています。演奏時間はトータルで約75分。
 

声楽の入らない純器楽のためのマーラーの交響曲としては、5番は1番に次いで演奏機会が多そう。しかし、独特な楽章構成のため、納得のいく演奏は案外少ないのでは? ここからしばらくは、演奏と直接関係のないみっちの妄想なので、前もってお断りしておきます。能書きはいらん、という人は、括弧書きのところからお読みください。
 

曲は5つの楽章からなり、5楽章構成はわりとマーラーにはあります。第1楽章が異例のゆっくりとした葬送行進曲、第2楽章がいわゆるアレグロ楽章、第3楽章が大規模なスケルツォ、第4楽章が遅い「アダージェット」、第5楽章が快活なロンド・フィナーレ。楽章ごとの演奏時間ではスケルツォがいちばん長く、全体の流れをこのスケルツォが分断しているように見えるのがこの曲最大の疑問点でしょう。
 

マーラーはなぜ、こんなことをしたのか? 作曲者自身が出している答えがひとつあります。楽譜に書かれている三部構成がそれで、I(以下、楽章をローマ数字で表示)とIIが第一部、IIIが第ニ部、IVとVが第三部とされています。つまりマーラーは、スケルツォ楽章を意図的に独立させています。
 

もう少し詳しく見ると、第一部と第三部はともに二つの楽章でできていて、先の楽章が遅く後の楽章が速い。また、先の楽章の素材が後の楽章に使われている点でも一致しており、I→II、IV→Vがそれぞれ「序奏」と「主部」のような関係にあることで相似形です。さらに、IIの終わりではVのコラールが予告されており、第一部と第三部が直接結びついています。こうして見ると、ますます真ん中の長いスケルツォだけが浮いているように思えてくる。どうしてマーラーは曲のど真ん中に関係の薄そうな、長くて間奏曲ともいえないような音楽を置いたのか。
 

その答えは、スケルツォこそがこの曲の中心だからではないでしょうか。いやまあ、そのまんまなんですが、楽章順というだけでなく、音楽的にもこの楽章が中心だということをいいたいわけです。マーラーがスケルツォに重きを置いていたということを踏まえれば、この楽章の充実ぶりにも納得がいこうというものです。
 

いくつか足しになりそうなヒントを挙げると、スケルツォ楽章は必ずしも独立してはいません。Vの主要主題は移動ドでいえばラーソファミという順次下行音型で、これがスケルツォに出てきます。具体的には、第3主題(第2トリオ)のホルン音型の合いの手としてトランペットなどに特徴的に現れ、楽章の締めくくりではうるさいぐらい連呼されます。つまり、IIIはVに結びついており、もしこの後アダージェットを飛ばしてフィナーレを演奏したとしても、案外スムーズにつながるはず。もしかすると、アダージェットは後から書かれたんじゃないでしょうか。マーラーはこの曲の作曲中にアルマと出会っているわけで。
 

そもそもこの曲はマーラーの作品中でもパロディ色が強く、冒頭のファンファーレからしてメンデルスゾーンの結婚行進曲のパクリです。本職指揮者のマーラーがこれを知らないワケがない。「結婚は人生の墓場だ」というような表現がありますが、マーラーはそれを音楽でやっている。そのくせ、自分はまもなくアルマと結婚しているわけで、ブーメランになっていることは自覚していたはず。もうひとつ、フィナーレの冒頭も自作『少年の魔法の角笛』の「高い知性を讃えて」のパロディで、当該詩の内容はカッコウとナイチンゲールの歌比べをロバが判定するというナンセンスもの。このあたり、自分でボケてツッコむマーラーの姿が浮かんできます。もちろん、マーラーとアルマがその後どういう運命をたどるか、この時点では知る由もありません。
 

というわけでこの曲、とくに前半は深刻そうに聞こえますが、マーラー本人はきっと楽しんで書いたに違いありません。仮に各楽章に表題をつけるとしたら、どうでしょう。例えばですが、I「葬送」、II「嵐」、III「田舎の踊り」、IV「愛」、V「動物さんたち大集合だわいわい」(爆)。最後のは、最近よく耳にしたポップス曲の歌詞で、知っている人もいると思います。岡崎体育「感情ピクセル」の話をしだすともう一エントリできそうですが、5番のフィナーレにまさにピッタリではないかと膝を打った次第。で、演奏としては、中心となるべきスケルツォをいかに面白く聴かせるかが勝負どころではないかと思います。個人的には、これまで聴いた中ではプレートル指揮ウィーン響のライヴ録音が最高だと思っています。
 

(ここからが演奏の話f^^;)
さて、長い脱線終わり。ヴィトの演奏ですが、まずもって、これまで書いたようなことは、ヴィトの場合全然考えていないっぽい(爆)。全体的に緻密で、各声部をきっちり鳴らす精度の高いアンサンブルはこのシリーズの特徴でもあります。テンポは中庸もしくは遅め。じっくり聴かせる点で比類がなく、説得力と充実具合は素晴らしいのですが、反面、楽章ごとのメリハリのようなものは考慮されておらず、通して聴くとやや停滞感がある。プレートルなどとは対極的な位置にある演奏でしょう。とはいえ、楽章ごとの演奏時間を見ると、I:12:50、II:14:56、III:19:33、IV:12:03、V:14:53となっていて、上に書いた構造が巧まずして透けて見える感じになっています。

 

個別には、Iでトランペットのファンファーレ部分と主部の葬送主題でテンポが違うのがユニーク。弦の旋律が入ってくるとガクっと遅くなります。IIでは各声部の絡み方が鮮やか。これだけくっきりした演奏はそうないでしょう。第2主題ではかなり遅くなりますが、チェロはよく歌っています。最後に光明が垣間見えるシーンは実に壮大で、このまま終わってもいいと思うくらい。IIIの主部はそれほど遅くありませんが、中間部に入ると止まりそうになるくらい腰を落とします。ホルンは協奏曲的に活躍するし、中身は濃いですが、もうちょっと楽しげな表情があってもいいのじゃないかなあ。IVはきわめて遅く、アダージッシモといった感じ。しかしアンサンブルの精度と集中度は高く、中間部も美しい。Vは多声的に書かれているだけに、ヴィトの面目躍如といったところ。各声部の動きが鮮やかで、たくましい金管がクライマックスへ向かって盛り上げていきます。
 

5番の録音はこのシリーズでは最も早い時期のもので、やや輪郭が強調されている点で前回の4番と近い音作りです。より新しい録音で聴ける2番や3番などの方が木管の繊細な響きなどが引き立ってより立体的ですが、初期録音の力強さを好ましく思う向きもあるかもしれません。

posted by みっち | 12:41 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
オペレッタ『天国と地獄』公演

・オッフェンバック:オペレッタ『天国と地獄』(コンサート形式ダイジェスト版:日本語上演)


中島桃子(ユリディス)、中村弘人(オルフェ)、和田茂士(ジュピター)、寺田剛史(プルート)、江崎裕子(世論女)、木村健二(世論男)、今村貴子(キューピッド)、田坂哲郎(ジュノー&ハンス)、宮崎希世子(ダイアナ)ほか
 

松村秀明指揮、響ホール室内合奏団
 

2017年7月9日(日)、北九州市立響ホール
 

「響ホールフェスティバル2017」と銘打っての催し。物語は、ギリシア神話のオルペウスが冥界に下り、毒蛇に噛まれて死んだ妻エウリュディケーを救い出そうとした話が元ネタで、『天国と地獄』では夫婦仲は冷え切っており、「世論」の圧力でオルフェが不承不承ユリディスを連れて帰ろうとするパロディーになっています。これにオリュンポスの神々の「地獄めぐりツァー」が絡んでドタバタ劇が展開されます。原題は『地獄のオルフェ』ですが、オルフェにそれほど存在感はなく、『天国と地獄』はいい邦題だと思います。


オペラと比べてもオペレッタは実演に接する機会がなかなかありません。以前観たのは『こうもり』のやはりダイジェスト版。今回は、ステージ奥にオケが乗り、歌手たちは基本その手前で演技するのですが、客席や通路まで使って立体的な演出になっていました。セットといえるのは二組のソファだけ。出演者は歌手だけでなく、舞台役者やダンサーなどがそれぞれ持ち味を活かしての役柄となっていました。ウィキペディアの『地獄のオルフェ』では配役に数えられているマルスやメルクリウスなどの神の一部は登場せず、情景がいくつかカットされている模様。ミノス、アイアコス、ラダマンテュス三兄弟も、おそらく天上の神々の地獄ツァーで登場するんでしょうが、本筋にあまり関係ないところで省略されたようです。その結果、2幕ものですが約1時間半となり、休憩を入れずに通して上演されました。
 

設定はきわめて現代的で、最初に登場する「世論」は男女のペアで時事ネタを盛り込みつつ漫才のような掛け合いを見せます。オルフェは作曲家で、本来はヴァイオリンを弾くみたいですが、ここではコンマスが代わりに演奏します。ここでヒロインのユリディスが「クラシック音楽大嫌い!!」と喚き散らすシーンが秀逸。いやあの、一応クラシック音楽だよね、これ(爆)。あと、プルートが人間界で変装していたアリステは農夫ではなく、ペットショップの店員になっています。ちなみにアリステとはギリシア神話のアリスタイオスで、実際エウリュディケーとは因縁の間柄。同じくプルートの子分ハンスはチャラ男で、ギリシア神話のステュクスらしい。このあたり、元ネタがしっかりしていることに感心しました。
 

プルートが神々に差し出すのが別府の「地獄」土産や辛子明太子だったり、小ネタも決まっていました。とくにジュピターがエウリュディケーに会うためにハエに変身し、デュエットで「ズズズズ」とやる場面は場内大ウケ。このシュールなギャグは時代を超えたインパクトがあります。ノリの軽いジュピターがチャーミングでした。ラストはジュピターの雷の一撃により、オルフェのミッション見事に失敗。大喜びのオルフェとユリディスf^^;。キューピッドも愛嬌のあるダンスで舞台を盛り上げていました。おなじみのフレンチカンカンは、序曲の終わりと終曲、そしてアンコールと3回演奏されました。
 

日本語上演ということで、セリフだけでなく歌も日本語。歌手たちの努力もあったのでしょう、けっこう聞き取れました。昨年は『メリー・ウィドウ』だったらしい。レハールも観ておけばよかったと思わせる楽しい舞台でした。

posted by みっち | 22:11 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
シロアリ騒動

先月のこと、わが家2階の子供部屋にシロアリらしき虫が発生して騒ぎに。エントっ子が来てくれと訴えるので、部屋を見たところ、壁や天井に数匹、上から落ちたものか床にも数匹いました。虫の1匹くらいどうってことないけど、数が多くなると気持ち悪い。しかもシロアリだとすると放っておけません。目視できる範囲で処分し、天井の隅に2、3匹集まっていたので、そこから出てくる可能性を考えて殺虫剤を吹き付けました。ただし、壁の裏側はみっち部屋の収納スペースであり、そっちには虫がいませんでした。でも天井裏に巣があるってことも考えられる。


以後気をつけるようになり、翌朝階下のダイニングや洗面所付近でも死骸を発見しました。なぜ死んでいるのかはわかりませんが、前夜からおよそ10匹ぐらいはいた勘定になります。ネットで調べたところ、形状からしておそらくはイエシロアリです。こいつは天井にも巣を作るタイプらしく、不安。ちょうど家の玄関周りのリフォームを計画中だったところで、相談していた工務店を通じて業者さんに来てもらいました。

 

ざっと見てもらった結果、巣はなく、家の近くから飛んできたものだろうということでした。シロアリはこの時期活動が盛んで、こうした相談が多いそうです。行動パターンとして、夜に羽アリタイプが明かりをめざして飛来し、羽を落として今度は明かりを嫌う性質になるとのこと。2匹つがいで行動し、巣を作るとメスが女王アリになる。日に当たると死んでしまうらしく、1匹1匹の生命力は弱いみたいですが。もし巣ができていたらこのくらいの発見数ではすまないようです。なるほど、子供部屋は深夜まで明かりを煌々と点けていたし、窓を開けていたこともあったらしい。天井の隅に集まったり部屋のドアから外に出ようとしていたのは暗がりを求めてのことだったか。

 

ひとまずは安心。もし巣の駆除ということになっていたら、リフォームどころではなくなっていました。とはいえ、飛んでくるということはどこか近くに巣があるということであり、対策はした方がいいといわれました。いま、そっちに回す余裕はないんですがf^^;。とりあえず簡単にできるものとして、子供部屋の出窓のレースカーテンがアーチ型の露出が多いタイプだったのを2枚合わせの「遮像」タイプに変更しました。侵入防止の足しにはなるかと。別に換えなくても、レースの手前にもう1枚ある厚手のカーテンを引けばいいだけなんですけど、それだと出窓に飾っているガンプラが見えなくなるって(ーー;)。

posted by みっち | 12:07 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
忍びの国

天正伊賀の乱を描いた小説の映画化。主演の大野智は、『鍵のかかった部屋』や『怪物くん』といったテレビドラマでの気張らない演技にわりと好感を持っていて、忍者もいけるのではないかと期待していました。以下、ネタばれあり。


これは力作でしょう。冒頭から忍者同士の戦いで、その独特な戦法と伊賀で忍び同士が小競り合いを繰り返していることが見て取れ、その中で主人公の無門やそのライバル下山平兵衛らの主要キャラがテンポよく紹介されます。そして平兵衛の弟、次郎兵衛が早々に無門に倒されるところから話が大きく展開していきます。満島真之介もう退場?と意外性もあってよし。全編を通じて忍者ならではのアクションが楽しめ、戦闘シーンは迫力とコミカルさの両方を備えています。
 

一方では織田信雄の伊勢乗っ取り、いわゆる「三瀬の変」も要所を押さえて描かれます。信雄と日置大膳、長野左京亮らの関係がよくわかります。暗殺される北畠具教は國村隼で凄みのある力演。具教は塚原卜伝から「一の太刀」を伝授された剣豪大名であり、結果は変えられないにせよ、観る方からすれば簡単にはやられてほしくないわけで、見事それに応えています。
 

以降も、築城をめぐる化かし合いから織田軍による侵攻戦まで、わかりやすくかつ面白い。この経過で伊賀の忍びたちの、銭のためなら親子でも殺し、銭が出ないなら国を捨てるという「虎狼の民」の性質が浮かび上がってきます。この物語の最大のメッセージがこの部分で、終盤の無文の心理の変化や大膳の予言などに結びついていきます。
 

配役はみなよかった。大野無門は、超人的な忍びの技を披露して見事でした。鈴木亮平演じる平兵衛との死闘は、クライマックスに相応しい迫力。口数は少なめですが、「虎狼」が人間性に目覚めていく過程もよく見せています。十二家評定衆の面々は、立川談春、でんでん、きたろうと曲者ぞろい。よく集めました。対する織田軍は、伊勢谷友介の日置大膳がやはり強力。炎のような前立てを付けた兜姿は、トラウマになりそうなくらい怖い。マキタスポーツの長野左京亮も渋い。信雄がちょっといいヤツみたいになっているのが疑問ですが、アイドルだからなあf^^;。せめて、泣きながら障子を指で突き破るとかしてほしかった(爆)。女優陣は少数ですが、石原さとみのお国、平祐奈の凛姫ともに印象的でした。
 

 

以下は余談です。観終わってちょっと考えたのですが、この物語、弟の次郎兵衛を殺された平兵衛の怒りと憎悪が、息子の死にも平然としている下山甲斐をはじめとする伊賀の忍び全体に向けられ、このような民は滅ぼすべしと考えたことから始まっているわけです。さらに、実はこの平兵衛の行動は予測されており、織田を騙す「術」として、下山甲斐と百地丹波はあえて無門に次郎兵衛を討たせることで平兵衛が裏切るよう仕向けたことが判明します。この二段構えによって、確かに虎狼のような連中だということになるわけです。しかし、それは本当にそうなのかと。
 

まず、わが子を殺されても平然→民ごと滅ぼせ、という平兵衛の論理がめちゃくちゃ。滅ぼされる民にもそれぞれ身内や親しい間柄の仲間がいるんですよ。これじゃテロリストの論理でしょう。こんな危険な思想こそ滅ぼすべきじゃないのか(爆)。十二家評定衆も、よくもまあこんな破綻した思考を読んで計画立案できたものですf^^;。この点、映画でもっとも人間的なキャラであるかのように描かれている平兵衛の感情・論理には、見過ごせない問題があるように思います。
 

同様に、下山甲斐の立場から見れば、もし自分の子と他人の子のどちらかを犠牲にしなければならないとした場合に自分の子を選んだということは、身内よりも民を大切にしたということができます。これは必ずしも責められるべきことではないでしょう。もちろん「わが子の一人くらいなんだ」的な台詞はひどい。けれども、これはそのように自分を言い聞かせて納得しようとしていたとも考えられます。そもそも術のためにだれかを殺す必要などなかったという指摘はあり得ますが、それをいっちゃあ物語が成立しないわけで。とまあ、ことの善悪は別として、そんなことも考えさせてくれた映画でした。

posted by みっち | 22:58 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊

わが家のエントっ子が楽しみにしていたシリーズ最新作。でしたが、結果は芳しいものではありませんでした。あまりなグダグダに、みっちは途中で意識が薄れました。映画で寝るなんてことはめったにないんですけど。通常の吹替版で鑑賞。以下、ネタばれあり。

 

謎が謎らしくなく、ピンチがピンチらしくなく、なにより砲撃戦や船から船に乗り移っての白兵戦といった海賊映画ならではの醍醐味がほぼなく、すべてが経年劣化している感じ。もはやネタ切れなのか? エントっ子も「シリーズ最低作」(爆)だそうで、とくに戦闘シーンに迫力を欠き、ジャックが逃げ回ってばかりの展開にはガッカリだったようです。唯一ともいうべき謎はポセイドンの槍ですが、取ってつけたようで浅い。その場所は「ポセイドンの墓」だそうですが、ポセイドンいつ死んだの?

 

アトラクション的だったりギャグ的だったりするシーンはもちろんそれなりに配置されているのですが、アトラクションとしては最初の銀行ごと強盗の場面がスケール最大で、その後は尻すぼみ。笑えたのはギロチンの刃が上がり下がりするところとブラックパール号を復活させるところの2箇所くらいで、それらにしてももっとやれたよね、と思えるレベルでした。一応、エンディングロールの後にもうワンシーンあるので、席は立たないほうがいいでしょう。これとて出来は決して良くないけど。

 

キャラクタも魅力が乏しい。サラザールは駆け出しのころのジャックにはめられて恨んでいるというだけの薄っぺらい敵で、デイヴィ・ジョーンズのようなミステリアスな過去や因縁はありません。この点では若きジャック(別人か?)がわりと光っていました。イギリス軍提督にいたっては、ほとんどモブキャラ扱いで、ファラミアなのにベケットくん以下(爆)。ヘンリーやカリーナもあまりぱっとせず。おなじみの顔ぶれとしては、バルボッサとギブスくん、お猿さんくらいで、彼らもいまひとつ。オーランド・ブルーム演じるウィル・ターナーが相変わらずかっこよく、しかも貫禄があったのが救いか。キーラ・ナイトレイの方は経年r(以下略)。『ホビット』のオーリが船員でいたのが目につきました。特典DVDでの怪演が目を引いたのかf^^;。

 

もっと面白いシリーズだと思っていたけど、もともとこんなんだったっけ? と日曜日の夜に放送されていた第3作『ワールド・エンド』を観ましたが、はるかに生彩があって、楽しめました。やっぱり前のほうが面白いよ。

posted by みっち | 21:50 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |