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お気楽妄想系のページf^^; 荒らし投稿がつづくのでコメントは承認制としました。
オペレッタ『天国と地獄』公演

・オッフェンバック:オペレッタ『天国と地獄』(コンサート形式ダイジェスト版:日本語上演)


中島桃子(ユリディス)、中村弘人(オルフェ)、和田茂士(ジュピター)、寺田剛史(プルート)、江崎裕子(世論女)、木村健二(世論男)、今村貴子(キューピッド)、田坂哲郎(ジュノー&ハンス)、宮崎希世子(ダイアナ)ほか
 

松村秀明指揮、響ホール室内合奏団
 

2017年7月9日(日)、北九州市立響ホール
 

「響ホールフェスティバル2017」と銘打っての催し。物語は、ギリシア神話のオルペウスが冥界に下り、毒蛇に噛まれて死んだ妻エウリュディケーを救い出そうとした話が元ネタで、『天国と地獄』では夫婦仲は冷え切っており、「世論」の圧力でオルフェが不承不承ユリディスを連れて帰ろうとするパロディーになっています。これにオリュンポスの神々の「地獄めぐりツァー」が絡んでドタバタ劇が展開されます。原題は『地獄のオルフェ』ですが、オルフェにそれほど存在感はなく、『天国と地獄』はいい邦題だと思います。


オペラと比べてもオペレッタは実演に接する機会がなかなかありません。以前観たのは『こうもり』のやはりダイジェスト版。今回は、ステージ奥にオケが乗り、歌手たちは基本その手前で演技するのですが、客席や通路まで使って立体的な演出になっていました。セットといえるのは二組のソファだけ。出演者は歌手だけでなく、舞台役者やダンサーなどがそれぞれ持ち味を活かしての役柄となっていました。ウィキペディアの『地獄のオルフェ』では配役に数えられているマルスやメルクリウスなどの神の一部は登場せず、情景がいくつかカットされている模様。ミノス、アイアコス、ラダマンテュス三兄弟も、おそらく天上の神々の地獄ツァーで登場するんでしょうが、本筋にあまり関係ないところで省略されたようです。その結果、2幕ものですが約1時間半となり、休憩を入れずに通して上演されました。
 

設定はきわめて現代的で、最初に登場する「世論」は男女のペアで時事ネタを盛り込みつつ漫才のような掛け合いを見せます。オルフェは作曲家で、本来はヴァイオリンを弾くみたいですが、ここではコンマスが代わりに演奏します。ここでヒロインのユリディスが「クラシック音楽大嫌い!!」と喚き散らすシーンが秀逸。いやあの、一応クラシック音楽だよね、これ(爆)。あと、プルートが人間界で変装していたアリステは農夫ではなく、ペットショップの店員になっています。ちなみにアリステとはギリシア神話のアリスタイオスで、実際エウリュディケーとは因縁の間柄。同じくプルートの子分ハンスはチャラ男で、ギリシア神話のステュクスらしい。このあたり、元ネタがしっかりしていることに感心しました。
 

プルートが神々に差し出すのが別府の「地獄」土産や辛子明太子だったり、小ネタも決まっていました。とくにジュピターがエウリュディケーに会うためにハエに変身し、デュエットで「ズズズズ」とやる場面は場内大ウケ。このシュールなギャグは時代を超えたインパクトがあります。ノリの軽いジュピターがチャーミングでした。ラストはジュピターの雷の一撃により、オルフェのミッション見事に失敗。大喜びのオルフェとユリディスf^^;。キューピッドも愛嬌のあるダンスで舞台を盛り上げていました。おなじみのフレンチカンカンは、序曲の終わりと終曲、そしてアンコールと3回演奏されました。
 

日本語上演ということで、セリフだけでなく歌も日本語。歌手たちの努力もあったのでしょう、けっこう聞き取れました。昨年は『メリー・ウィドウ』だったらしい。レハールも観ておけばよかったと思わせる楽しい舞台でした。

posted by みっち | 22:11 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
シロアリ騒動

先月のこと、わが家2階の子供部屋にシロアリらしき虫が発生して騒ぎに。エントっ子が来てくれと訴えるので、部屋を見たところ、壁や天井に数匹、上から落ちたものか床にも数匹いました。虫の1匹くらいどうってことないけど、数が多くなると気持ち悪い。しかもシロアリだとすると放っておけません。目視できる範囲で処分し、天井の隅に2、3匹集まっていたので、そこから出てくる可能性を考えて殺虫剤を吹き付けました。ただし、壁の裏側はみっち部屋の収納スペースであり、そっちには虫がいませんでした。でも天井裏に巣があるってことも考えられる。


以後気をつけるようになり、翌朝階下のダイニングや洗面所付近でも死骸を発見しました。なぜ死んでいるのかはわかりませんが、前夜からおよそ10匹ぐらいはいた勘定になります。ネットで調べたところ、形状からしておそらくはイエシロアリです。こいつは天井にも巣を作るタイプらしく、不安。ちょうど家の玄関周りのリフォームを計画中だったところで、相談していた工務店を通じて業者さんに来てもらいました。

 

ざっと見てもらった結果、巣はなく、家の近くから飛んできたものだろうということでした。シロアリはこの時期活動が盛んで、こうした相談が多いそうです。行動パターンとして、夜に羽アリタイプが明かりをめざして飛来し、羽を落として今度は明かりを嫌う性質になるとのこと。2匹つがいで行動し、巣を作るとメスが女王アリになる。日に当たると死んでしまうらしく、1匹1匹の生命力は弱いみたいですが。もし巣ができていたらこのくらいの発見数ではすまないようです。なるほど、子供部屋は深夜まで明かりを煌々と点けていたし、窓を開けていたこともあったらしい。天井の隅に集まったり部屋のドアから外に出ようとしていたのは暗がりを求めてのことだったか。

 

ひとまずは安心。もし巣の駆除ということになっていたら、リフォームどころではなくなっていました。とはいえ、飛んでくるということはどこか近くに巣があるということであり、対策はした方がいいといわれました。いま、そっちに回す余裕はないんですがf^^;。とりあえず簡単にできるものとして、子供部屋の出窓のレースカーテンがアーチ型の露出が多いタイプだったのを2枚合わせの「遮像」タイプに変更しました。侵入防止の足しにはなるかと。別に換えなくても、レースの手前にもう1枚ある厚手のカーテンを引けばいいだけなんですけど、それだと出窓に飾っているガンプラが見えなくなるって(ーー;)。

posted by みっち | 12:07 | 近況 | comments(0) | trackbacks(0) |
忍びの国

天正伊賀の乱を描いた小説の映画化。主演の大野智は、『鍵のかかった部屋』や『怪物くん』といったテレビドラマでの気張らない演技にわりと好感を持っていて、忍者もいけるのではないかと期待していました。以下、ネタばれあり。


これは力作でしょう。冒頭から忍者同士の戦いで、その独特な戦法と伊賀で忍び同士が小競り合いを繰り返していることが見て取れ、その中で主人公の無門やそのライバル下山平兵衛らの主要キャラがテンポよく紹介されます。そして平兵衛の弟、次郎兵衛が早々に無門に倒されるところから話が大きく展開していきます。満島真之介もう退場?と意外性もあってよし。全編を通じて忍者ならではのアクションが楽しめ、戦闘シーンは迫力とコミカルさの両方を備えています。
 

一方では織田信雄の伊勢乗っ取り、いわゆる「三瀬の変」も要所を押さえて描かれます。信雄と日置大膳、長野左京亮らの関係がよくわかります。暗殺される北畠具教は國村隼で凄みのある力演。具教は塚原卜伝から「一の太刀」を伝授された剣豪大名であり、結果は変えられないにせよ、観る方からすれば簡単にはやられてほしくないわけで、見事それに応えています。
 

以降も、築城をめぐる化かし合いから織田軍による侵攻戦まで、わかりやすくかつ面白い。この経過で伊賀の忍びたちの、銭のためなら親子でも殺し、銭が出ないなら国を捨てるという「虎狼の民」の性質が浮かび上がってきます。この物語の最大のメッセージがこの部分で、終盤の無文の心理の変化や大膳の予言などに結びついていきます。
 

配役はみなよかった。大野無門は、超人的な忍びの技を披露して見事でした。鈴木亮平演じる平兵衛との死闘は、クライマックスに相応しい迫力。口数は少なめですが、「虎狼」が人間性に目覚めていく過程もよく見せています。十二家評定衆の面々は、立川談春、でんでん、きたろうと曲者ぞろい。よく集めました。対する織田軍は、伊勢谷友介の日置大膳がやはり強力。炎のような前立てを付けた兜姿は、トラウマになりそうなくらい怖い。マキタスポーツの長野左京亮も渋い。信雄がちょっといいヤツみたいになっているのが疑問ですが、アイドルだからなあf^^;。せめて、泣きながら障子を指で突き破るとかしてほしかった(爆)。女優陣は少数ですが、石原さとみのお国、平祐奈の凛姫ともに印象的でした。
 

 

以下は余談です。観終わってちょっと考えたのですが、この物語、弟の次郎兵衛を殺された平兵衛の怒りと憎悪が、息子の死にも平然としている下山甲斐をはじめとする伊賀の忍び全体に向けられ、このような民は滅ぼすべしと考えたことから始まっているわけです。さらに、実はこの平兵衛の行動は予測されており、織田を騙す「術」として、下山甲斐と百地丹波はあえて無門に次郎兵衛を討たせることで平兵衛が裏切るよう仕向けたことが判明します。この二段構えによって、確かに虎狼のような連中だということになるわけです。しかし、それは本当にそうなのかと。
 

まず、わが子を殺されても平然→民ごと滅ぼせ、という平兵衛の論理がめちゃくちゃ。滅ぼされる民にもそれぞれ身内や親しい間柄の仲間がいるんですよ。これじゃテロリストの論理でしょう。こんな危険な思想こそ滅ぼすべきじゃないのか(爆)。十二家評定衆も、よくもまあこんな破綻した思考を読んで計画立案できたものですf^^;。この点、映画でもっとも人間的なキャラであるかのように描かれている平兵衛の感情・論理には、見過ごせない問題があるように思います。
 

同様に、下山甲斐の立場から見れば、もし自分の子と他人の子のどちらかを犠牲にしなければならないとした場合に自分の子を選んだということは、身内よりも民を大切にしたということができます。これは必ずしも責められるべきことではないでしょう。もちろん「わが子の一人くらいなんだ」的な台詞はひどい。けれども、これはそのように自分を言い聞かせて納得しようとしていたとも考えられます。そもそも術のためにだれかを殺す必要などなかったという指摘はあり得ますが、それをいっちゃあ物語が成立しないわけで。とまあ、ことの善悪は別として、そんなことも考えさせてくれた映画でした。

posted by みっち | 22:58 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊

わが家のエントっ子が楽しみにしていたシリーズ最新作。でしたが、結果は芳しいものではありませんでした。あまりなグダグダに、みっちは途中で意識が薄れました。映画で寝るなんてことはめったにないんですけど。通常の吹替版で鑑賞。以下、ネタばれあり。

 

謎が謎らしくなく、ピンチがピンチらしくなく、なにより砲撃戦や船から船に乗り移っての白兵戦といった海賊映画ならではの醍醐味がほぼなく、すべてが経年劣化している感じ。もはやネタ切れなのか? エントっ子も「シリーズ最低作」(爆)だそうで、とくに戦闘シーンに迫力を欠き、ジャックが逃げ回ってばかりの展開にはガッカリだったようです。唯一ともいうべき謎はポセイドンの槍ですが、取ってつけたようで浅い。その場所は「ポセイドンの墓」だそうですが、ポセイドンいつ死んだの?

 

アトラクション的だったりギャグ的だったりするシーンはもちろんそれなりに配置されているのですが、アトラクションとしては最初の銀行ごと強盗の場面がスケール最大で、その後は尻すぼみ。笑えたのはギロチンの刃が上がり下がりするところとブラックパール号を復活させるところの2箇所くらいで、それらにしてももっとやれたよね、と思えるレベルでした。一応、エンディングロールの後にもうワンシーンあるので、席は立たないほうがいいでしょう。これとて出来は決して良くないけど。

 

キャラクタも魅力が乏しい。サラザールは駆け出しのころのジャックにはめられて恨んでいるというだけの薄っぺらい敵で、デイヴィ・ジョーンズのようなミステリアスな過去や因縁はありません。この点では若きジャック(別人か?)がわりと光っていました。イギリス軍提督にいたっては、ほとんどモブキャラ扱いで、ファラミアなのにベケットくん以下(爆)。ヘンリーやカリーナもあまりぱっとせず。おなじみの顔ぶれとしては、バルボッサとギブスくん、お猿さんくらいで、彼らもいまひとつ。オーランド・ブルーム演じるウィル・ターナーが相変わらずかっこよく、しかも貫禄があったのが救いか。キーラ・ナイトレイの方は経年r(以下略)。『ホビット』のオーリが船員でいたのが目につきました。特典DVDでの怪演が目を引いたのかf^^;。

 

もっと面白いシリーズだと思っていたけど、もともとこんなんだったっけ? と日曜日の夜に放送されていた第3作『ワールド・エンド』を観ましたが、はるかに生彩があって、楽しめました。やっぱり前のほうが面白いよ。

posted by みっち | 21:50 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴィト/ポーランド国立放送響ほかによるマーラーの交響曲第4番

・マーラー:交響曲第4番ト長調


リンダ・ラッセル(ソプラノ独唱)
アントニ・ヴィト指揮、ポーランド国立放送交響楽団

 

1992年6月26-8日(第1〜第3楽章)、7月15日(第4楽章)録音
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)

 

ナクソスのマーラー交響曲全集から第4番を聴きました。ボックスの6枚目に収録されています。演奏時間はトータルで約57分。
 

ヴィトの4番は、2番、3版と比べると少し印象が違います。これまではマーラーのスコアが見えるような精緻なバランスで各楽器が捉えられていたのが、4番では太めの線で旋律重視のように聴こえます。これは録音のせい? 残響多めのトーンはハラースが指揮した1番に近く、出力レベルも高い。4番は録音時期が早いため、このプロジェクトが始まってからしばらくして音作りを変えたということなのかもしれません。
 

第1楽章は落ち着いたテンポで始まります。みっちが聴いた中ではスヴェトラーノフに近い遅さ。スヴェトラーノフの場合はそのまま最後まで遅く、異様さが前面に出ますが、ヴィトはまもなく速度を上げて一般的なテンポになります。すでに書いたように、輪郭が太くなったように感じますが、そこはヴィトで、各声部のバランスは失われておらず、かつよく歌います。展開部のフルート4本の斉奏は、第3楽章の高揚部分で使われるだけに、個人的にもっと吹き鳴らしてよかったかな。
 

中間の2つの楽章は、ヴィトらしいかっちりした感じがよく出ています。オケもよく鳴っています。第3楽章の終わり近くの天啓のようなクライマックスでは、ティンパニの響きがドッスン系で、やはりハラースの1番を思わせます。
 

第4楽章のソプラノ独唱、ラッセルは明るい声で曲調によくなじんでいます。ただ、どことなくですが、ヴィトのテンポにうまく乗っていないような印象があります。とくに最後はかなり遅いためか、ちょっと苦しそう。ここは、第1楽章冒頭のテンポと符合させているようですが、ヴィト独特の解釈といえそうです。
 

マーラーの4番は、これまでクレツキ盤とフォンク盤がみっちにとり双璧ともいうべき録音。前者はクレツキならではの高潔なアンサンブルと事故死前のデニス・ブレインによるホルンが聴ける貴重な記録であり、ステレオ最初期ながら録音もよい。後者は、難病のために指揮を続けられなくなったフォンク最後の演奏会録音で、一気に9番のような惜別の情が漂う感動的な演奏です。ヴィト番も決して悪くないけど、これらのインパクトを凌駕するものは今後も出ないだろうと思っています。

posted by みっち | 21:40 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴィト/ポーランド国立放送響ほかによるマーラーの交響曲第3番ほか

・マーラー:交響曲第3番ニ短調
・マーラー:交響曲第10番よりアダージョ


エヴァ・ポドレシ(コントラルト独唱)
クラクフ少年合唱団、クラクフ・フィルハーモニー合唱団
アントニ・ヴィト指揮、ポーランド国立放送交響楽団

 

1994年11月12-16日録音
ナクソス:マーラー交響曲全集より(NAXOS 8.501502)

 

ナクソスのマーラー交響曲全集から第3番と第10番からアダージョを聴きました。ボックスの4枚目に3番の第1楽章〜第3楽章、5枚目に後半の3つの楽章と第10番のアダージョが収録されています。演奏時間は3番が約101分。10番のアダージョが約26分。


3番は、7番と並んで好きな曲です。クーベリック盤とギーレン盤がみっちのお気に入りでした。クーベリックはスヴェトラーノフと同じで弦の対抗配置が特徴、ギーレン盤は録音が新しかったことと、よく「冷血」などと評されるギーレンがこの曲に熱い共感を寄せていることがよくわかる演奏です。
 

第1楽章冒頭、ホルン8本による斉奏は、一般的なテンポよりもわずかに遅めか。続いて金管の重々しいリズムになりますが、ヴィトにかかるとこういうところが大変明瞭です。うめくようなファゴットの合いの手もカッチリ。その後も精緻なアンサンブルできっちりくっきり系の表現をしたくなる箇所ばかり。ファゴットに限らず、木管の埋もれがちな響きを大切にして、随所でそうだったのかと膝を打つような新鮮なバランスを聴かせてくれます。行進曲を経て、総奏に膨れ上がったときにガラッと表情を変えるインパクトも見事なものです。トロンボーン・ソロが目立つ音楽で、もちろんしっかり吹いているのですが、他にも聴きどころが多い分、それほど印象に残らないのが欠点といえば欠点か。ギーレン盤のような開放感とは対照的な演奏かもしれません。
 

第2楽章、第3楽章も克明かつ繊細。ただ、立派ですがリズムが正確に刻まれることと、やや遅めのテンポをとるために、カッチリはいいけどやや停滞感を与えるかもしれません。第1楽章から基本同じようなアプローチであり、このあたりでもう少し伸びやかさや自由さがほしいと思う人もいるでしょう。スケルツォのポストホルンはまさに天国的に美しいのですが、メリハリの点で前後との変化がそれほど大きくないため、いっそのことソロを協奏曲風に引き立てたほうが面白かったかも。
 

第4楽章からは声楽が入るため、停滞感は消えます。コントラルト独唱は響きがやや暗めですが、2番のときのアルトのようにはヴィブラートが機械的ではないので聴きやすい。子音をさほど強調しないのは、ドイツ語の発音という点では「らしくない」かもしれません。
 

第5楽章は楽しい。声楽が充実していて惚れ惚れします。「ヴィム・バム」が本当に鐘のよう。オケも隙きがない。
 

第6楽章の冒頭は、響き渡る静寂とでもいうのか。ピアノとは音が小さいことであって、弱いのではない、とオケのトレーナーが話していたことを思い出します。美しく、最後のクライマックスまで着実な足取りで、来たるべきものが確実に来る。締めくくりの和音の伸ばし方がまた素晴らしい。というわけで、一つ一つの楽章は充実した演奏ですが、そのきめ細かさをちゃんと聞き取れる再生装置でないと、よさがわかりにくいかもしれません。
 

第10番はホイーラーによる補筆全曲版がオルソン指揮で別に収録されていますが、ここではヴィトがアダージョのみ録音しています。これが秀逸。この楽章、9番の最終楽章で死んだはずのマーラーが成仏できずにこの世を彷徨っている、という風情があるのですが、ヴィトで聴くと、その辺実にリアルに迫ってきます。演奏によってはオケの薄さが気になるところもありますが、ここではそんなことはまったくありません。例のA音に始まるカタストロフも充実しているだけでなく、美しい。最後の余韻の深いこと!

posted by みっち | 20:29 | CD・DVD | comments(0) | trackbacks(0) |
キング・アーサー

わが家のエントっ子と観てきました。当初は「聖剣無双」という副題が付いていたところ、大人の事情から外されたようです。普通の字幕版でしたが、情報量が少ないためかわかりにくい部分があり、できれば吹替版で見直したい。2004年にも同じ『キング・アーサー』タイトルの映画があり、こちらは歴史的なアーサー像を描こうとしたものらしいのですが未鑑賞。今回のはガイ・リッチー監督により、ぶっ飛んだ描写は随所にありつつ、いわゆる「アーサー王伝説」に基づいたファンタジー作品となっています。

 

エントっ子との共通した感想は、「思っていたより相当よかった」(爆)。いやまあ、当初の副題もあって、B級テイスト満載なのでは?と予想していたのですが、なんのなんの。本格的なエンターテインメントに仕上がっています。静かな導入から徐々に戦闘場面に移っていくダイナミックな見せ方からして素晴らしく、舞台となるキャメロット城やロンディニウム(現在のロンドン)の街なども大画面で鑑賞するにふさわしいスケールで再現?されています。スケールといえば、最初の戦闘シーンでのゾウさん、もう反則といっていいくらいのとんでもないでかさ。ムマキルがちびっ子に見えます(爆)。画面や音楽のコントラストも大きく、シンプルな物語なのに次の展開が読めなくてドキドキさせられます。なお、暗い画面では3Dメガネを使用していたらよく見えないのではないかと思われるものもあります。

 

登場人物では、主人公のアーサーとその叔父に当たるヴォーティガンの二人が大きな軸になっています。アーサー役のチャーリー・ハナムは、一種のトラウマを抱えているわけですが、しぶとく抜け目のない性格で自立心旺盛。最初は王位に関心を示しませんがヴォーティガンが放っておいてくれないのと、血筋のためでなく仲間たちのために立ち上がるという推移は納得。対するジュード・ロウも、ぞっとするような冷酷さを見せて迫力があります。この二人が十分魅力的で楽しい。衣装の面でも二人だけ現代風なテイストで周囲からもよく引き立っていました。彼らに次ぐのがユーサー役のエリック・バナで、この人は『トロイ』のヘクトルでも悲劇的な役どころでした。弓の名手グースファット・ビル役のエイダン・ギレンは、『ゲーム・オブ・スローンズ』で狡猾なベイリッシュだった人ですが、こちらでも見せどころがあります。女性では名前の明かされないメイジ役のアストリッド・ベルジュ=フリスベがほぼ唯一の重要キャラですが、台詞が少ないのは『パイレーツ・オブ・カリビアン』で人魚だったからか(爆)。彼女がグィネヴィアになるのかな? 女性は美女ぞろいなのですが、チョイ役ばかりで恋愛要素やサービスシーンなどはなし。ベディヴィア役のジャイモン・フンスーはなぜか黒人で、もうひとりアーサーの武道指南役ぽいアジア人まで登場します。こんな話でも有色人種への配慮が必要だったの?

 

かいつまむと話はけっこう単純ですが、見せどころは満載です。とくにエクスカリバーをめぐっては、岩に刺さったところをアーサーが抜くシーンはもちろん、逆にどうして岩に刺さったのかを解明するシーンもあって、おおー、そうだったのかと謎解きの楽しさがあります。湖の乙女も物語上意味のある存在としてしっかり出てきます。そして、アーサーがエクスカリバーで無双するシーン、都合2回かな、あります。その凄まじさは、敵だけじゃなくて味方も全滅したなと思わせるほど。とはいえ、使い勝手のいい最終兵器ということでf^^;。「聖剣無双」、残してよかったんじゃないの?

 

伝説絡みでは、いきなりモードレッドが登場するのが意表を突かれます。これ、どうオチをつける気か? トリスタンやパーシヴァルといった名前も出てくるのですが、なにやってたかよくわからず、顔と名前が一致するほどの印象は残りません。ウィキペディアによると、「全6部作となるシリーズの第1作目」なのだそうで、ぜひ続きが見たいのですが、アメリカでは大コケしているらしい。そうなると難しいでしょうね。あと、字幕はなっちではありませんでしたが、一部不適切なのでは?と思えるものがありました。「ナポレオンの馬」はさすがにないよね。

 

 

posted by みっち | 22:00 | たまに観る映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
筒井康隆コレクションVI

・『美藝公』

・『歌と饒舌の戦記』

・単行本&文庫未収録短篇

・単行本&文庫未収録エッセイ

 

筒井康隆・著、日下三蔵・編 出版芸術社

 

忘れたころにやってくる筒井康隆コレクション、全7巻中の第6巻。

 

『美藝公』(1981年)は、『旅のラゴス』(1986年)や『フェミニズム殺人事件』(1989年)などと並んで筒井の「ノスタルジック路線」ともいうべき系列に属する長編。刊行時に付いていた横尾忠則描く作中映画のオリジナル・ポスターも復刻されていて色鮮やかです。

 

人々がもう少し「二枚目」意識を持っていれば、世の中はもっとよくなる、というようなことを作者はエッセイに書いていたはずで、この物語はその延長線上にあります。「ユートピアSF」とも呼ばれており、SFっぽくなるのは物語の終盤、主人公たちがもし世の中がもっと違っていたらと語り合う、そのおぞましい世界こそが、まさに私たちの現実社会だという逆転的if世界になっています。ここに至る経過としてのユートピア世界の描かれ方がとても丁寧で説得力があり、さもあろう、いやそうでなければいけない。だのに、どうして現実は違ってしまったのか!と思わせる筆力に感心します。文中でとくに印象に残った言葉が二つあり、「観光資源ならある。―(中略)―しかし観光は輸出できない」、「社会的階級は役割、職業は役柄と考えてそれを楽しむ」というところでした。

 

『歌と饒舌の戦記』(1987年)は、読んだことがあるはずですが、断片的な記憶しかありませんでした。アメリカと密約を結んだソ連が北海道に侵攻してくるという、ふざけた、しかしもしかしたらと思わせる長編。いまならソ連ではなくアソコでしょうね。タイトルどおり、歌とおしゃべりをふんだんに盛り込みつつ、世界各地でドタバタ劇を繰り広げます。『美藝公』同様、アイデアだけでは書けない、相当綿密な取材や資料調べがあってこそ成立する物語です。作者自身も「おれ」として登場し、『イリヤ・ムウロメツ』(1995年)に関してキエフに行った体験にも触れられていて、へえーっ、そんなことがあったのかと。いま読んでもとても面白い。昔、「筒井康隆を電車で読んではいけない」というキャッチコピーがあり、車内で読むと思わず爆笑しそうになる、その典型的作品です。「タワリシチ」の連呼や「隣の美代ちゃん」には、思わずコーヒーを吹きそうになりました。しかし、これらのネタも含めて、わかる世代が限られてきていることは確か。

 

パート3の短篇では、「佐藤栄作とノーベル賞」がいろいろとヤバい。いわゆる「夢オチ」ですが、いまどき実名入りでこんなことを書ける人がいるのだろうか。ノーベル文学賞は毎年候補に上がる日本人がいるようですが、筒井康隆でいい気がしてきた(爆)。

 

パート4のエッセイでは、大阪万博ルポが懐かしい。みっちはほんの子供だったのでろくに覚えていません。新婚の叔父さん夫妻に連れられて万博に行ったのですが、それまで親から離れて遠くへ出かけるということがなかったので、親がついてこないと聞いて泣いた覚えだけはしっかりあるf^^;。人気パビリオンはどこも長蛇の列で、それでも三菱未来館は最初に行って見たのじゃなかったかと思うのですが、よく思い出せない。かろうじて、動く歩道はあったような気がします。あとは、アメリカ館の「月の石」とか、ソ連館のユニークな造形とか、そんな程度です。

posted by みっち | 00:30 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |
シシシ、うまい汁だよ!

最近、「一部」マスコミが騒ぎ立てているらしい、加計学園の獣医学部新設問題、時事に疎いみっちも関心を持って眺めています。あ、一部っていうのは、朝日じゃなくて読売の方。なにしろ安倍首相が熟読しろとか国会で宣伝している大新聞様が菅官房長官とタッグを組んで「印象操作」をやっているのですから、もはやジャーナリズムとは無縁の御用新聞というほかないかと。もう目が離せない、といいつつ読まないけど(爆)。

 

一連の話を簡単にすると、こういうことかな? 「文教族」といわれた自民党の族議員やそれにつらなる獣医師会の既得権益に、かつての民主党政権が「風穴」を開け、そこへすっぽり収まったのが安倍首相の「お友達」だったと。それに異議を唱えた高級官僚が「天下り」を摘発・処分され、下半身ネタまでリークされていると。

 

文書や圧力の有無の問題もありますが、より疑問なのは建設費の大幅な補助だとか破格の土地大安売りだとか、「制度に則って適正にやっている」その制度のあり方そのものがおかしいんじゃないかということと、その制度によって得をしたのは結局だれなのか、それにだれがつながっているか、です。「勝ち組」になっている組織・団体が首相のお友達だったことは明らかにされていますが、こうした「情実」が働いていそうな事例がほかにはないのでしょうか。この点、加計学園は第二の森友だとかいわれていますが、実態は逆で、森友学園が第二の加計学園になろうとして首相夫妻に接近していたのではないかと思えます。第二なのか第三なのか、もっと多いのか、それこそが知りたい。

 

しかし現状はどうも、最後のおいしいところをだれが持っていったかという内輪の恨みつらみでやりあっている印象があります。どっちの肩を持つ気にもなれないですねえ。まあ、もともとお先棒を担いでいた民進党に実態解明を期待するのは無理は話で、今後もピントのずれたグダグダな展開か。とりあえず、今年の流行語大賞に「忖度」と「印象操作」はエントリしたいところです(爆)。

posted by みっち | 17:33 | お気楽妄想系 | comments(0) | trackbacks(0) |
作曲は鳥のごとく

吉松隆『作曲は鳥のごとく』

 

春秋社 2013年

 

日本人作曲家、吉松隆の自伝。この人のトロンボーン協奏曲『オリオン・マシーン』の初演(1993年)を、みっちは聴いています。日本フィルの定期会員だったときで、もうよくは覚えていないけど、現代ものにしては案外楽しめました。演奏後に客席から立ち上がり拍手に応えていた作曲者、たしかベレー帽を被っていたと思います。プログラム・ノートに吉松自身が「キワモノシリーズ」などと自嘲気味に曲紹介していたのも、ユーモアのある人だと好感を持ちました。その後、田部京子が弾いた『プレイアデス舞曲集』が人気になったりしたことは知っていましたが、CD買わなくなっていたこともあり、縁がありませんでした。NHK大河『平清盛』も、途中で観るのやめてしまったし。曲もあまり印象に残っていません。

 

14歳でベートーヴェンの「運命」を聴いて、クラシック音楽に目覚めたという体験はみっちと同じでしたが、違うのは、吉松隆はこのときスコアも見ながら聴き、「交響曲を書く」という決意を抱いたということです。その後はまったくの独学だそうで、がんばったなあ。世代が近いこともあって、社会背景や生活感がよくわかるため、自分のことのように読みました。クラシック音楽ではとくにシベリウスに大きな影響を受けたらしく、日本人では武満徹、松村禎三のほか、冨田勲と宇野誠一郎という、どちらかというと芸術ではなく娯楽音楽とみなされていた分野の作曲家に対しても同じように敬意を払っているのが特徴的です。

 

松村禎三とは「師事」といってもいい関係にあったようですが、実態は家に出入り・交流していただけで、いざ松村がなにか具体的に教えようとすると受け付けなかったという。とにかく「人から教えられる」ということを徹底的に嫌い、それを貫いたのがすごい。楽器演奏ならあり得ない、作曲だから可能なことでしょうね。反面、自分で気に入ったものはプログレから和楽まで時代やジャンルに関係なく幅広く取り入れ、吸収しているようです。作曲手法をけっこう細かいところまで明かしていて、手の内をここまで見せて大丈夫なのかと心配になるくらいですが、積み上げてきたものが違うのでマネされることもないのでしょう。

 

クラシック音楽の発展は、既存のルールを開放することで成し遂げられてきたにもかかわらず、現代音楽に至って「調性やメロディーがあってはならない」といったシバリをかけ、曲に少しでもそのような要素があると堕落とか大衆迎合などと排斥するようになった状況がリアルに語られています。人間って、成長過程では比較的寛容だったのが、ある程度の高みに達すると自らを窮屈にしたり排他的になったりするものなんでしょうか。守りたい意識なのかエリート意識なのかわかりませんが。このあたり、ちょっとウィキペディアを連想しましたよ(爆)。また、佐村河内の騒動前に出版されていることもあり、交響曲第1番<HIROSHIMA>を「多くの聴衆を感動の渦に巻き込んだ大作」として紹介しています。

 

すでに書きましたが、シベリウスには特別な思い入れがあるようで、宮沢賢治にも深く共感し、シベリウスの交響曲第6番と『銀河鉄道の夜』がシンクロして泣いたという体験、よくわかります。賢治同様、吉松のもっとも身近で理解者だった妹を亡くした話は涙なくしては読めません。で、もう交響曲第5番まで書いてるんだ、この人。同じ時代に生き、交響曲作家として初志貫徹中のホンモノの「現代のベートーヴェン」(いや、シベリウスかf^^;)、もう少し応援しなければいけないという気がしてきました。これを機会に、吉松作品を聴いてみたくなりました。

posted by みっち | 14:15 | 読書 | comments(0) | trackbacks(0) |